「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第4章≪辻川の刃≫・8

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「今日は残業?」
 肩にかかるかかからないかの長さに切り揃えられた髪を揺らして、櫻井冴子(さくらいさえこ)はニコリと“夫”へ笑いかけた。
 終業時間近くの処置室には、時間を潰しに来るような社員もいない。居るのは、担当養護職員である冴子と、“妻”の様子を見に来ていた櫻井だけだ。
「うん、まぁ、でも、遅くならないうちに帰るよ」
 腰を下ろしていた寝椅子から立ち上がり、薬棚の整理をしている冴子に近付く。片手で彼女の耳にかかる髪を梳き、そのまま指を頬に滑らせ顎を掬った。
「冴ちゃんが起きてるうちに帰る……」
「ふふっ、じゃぁ、意地悪して早く寝ちゃおうかしら」
「襲うぞ」
「りっくんに襲われるのなんて慣れてるわ」
 何を言っても“姉さん女房”は余裕だ。クスクス笑う冴子を見詰め、櫻井は身を屈める。
「減らず口。塞ぐからな」
 唇を近付け、冴子も目を閉じる。新婚二ヶ月。“クールな櫻井係長”を知っている秘書課の面々には見せられないくらいの甘っぷりだ。
 ――が……。

「冴子さぁん、これ差し入れですぅっ」
 ノックも無しに飛び込んで来た美春に、甘い雰囲気は中断される。
 どうせ誰も居ないだろうと油断して飛び込んで来た彼女だが、目の前で今まさに繰り広げられようとしていたキスシーンを目の当たりにして、「失礼しました!」と慌ててドアを閉めた。

 ドアに背を付け、美春はハァっと息を吐く。
「び……びっくりしたぁ」
 自分だって他人が見たら恥ずかしくなってしまう様なキスシーンを展開しているはずなのだが、見るのとするのとでは違う。するのは平気でも、人がしているのを見るのは限りなく恥ずかしい。
 処置室のドアに貼り付いて慌てている美春を、通りかかった社員達が何事かと目で追って通り過ぎていく。照れ臭そうに繕い笑いを浮かべていると、いきなりドアが押されて美春は前にのめりそうになった。
「何やってんだ、お前」
 櫻井が訝しげに顔を出したので、取り敢えず不服を述べる。
「きゅ、急に開けないで下さいよっ。転ぶかと思ったじゃないですかっ」
「そんな所に貼り付いてるお前が悪いんだろう」
 確かに事実なので、これ以上の反抗はしない。美春は不服顔のまま手に持っていた白い小さな箱を差し出した。
「冴子さんに差し入れのケーキ。外出の帰りに、専務に買ってもらいました。あ、係長の分もありますから。専務がデスクに置いておいてくれてると思いますよ」
「俺のもか? なんだ、残業のご褒美か?」
「そうですよ。それと、……御面倒をかける、お詫びに……」
 勢いの良かった美春の口調が消沈する。理由を悟った櫻井は、苦笑いをして美春の頭を小突いた。
「気にすんな。これも、俺の仕事だ」

 櫻井の残業は、水曜日からの“もしも”に備えたものだ。
 明後日の水曜日、学は北欧へ発つ。学がいない期間、美春の監視を頼まれている櫻井と須賀は、自分の仕事のスケジュールを調整中なのだ。その為に、ここのところ休日出勤に加えて残業が続いている。
 学がいない期間、何も無ければそれに越した事は無い。
 しかしもし、“何か”あったら……。
 学が危惧している通り、辻川の手が美春に迫る様な事があれば……。
 北欧へ行っている期間、美春を守れるのは“専務のお傍付き”と“葉山学の右腕”だけなのだ。

 学だって何日ほどで帰ってこられるのかは分からない。本人は一週間もかけないとは言っているが、そんなに簡単な事ではないはずなのだ。
 一国の女王に、三十年間詳細不明だった王子の存在を認めさせるというのだから。

 もちろん学や美春も、水曜日からの仕事を調整する為に大忙しだ。水曜日に発つ時間ギリギリまで秒刻みのスケジュールなのだから。
 その忙しさの中、学は発つ前に紗月姫の元を訪れ、自分が四人目の婚約者候補である事を告げなくてはならない。

 そしてその日から、神藤が五人目の婚約者候補として認められるまで、学と美春は、婚約者同士ではなくなる……。

「宜しくお願いします……」
 口調が静かになり、静粛な面持ちで気持ちを口にした美春を前に、櫻井は苦笑いを漏らす。
 詳細な説明はされていなくとも、“辻川財閥に美春が狙われるかもしれない”というのは、会長に関わっているおかげで辻川の勢力という物を知っている櫻井にとっては驚くべき話だった。
 櫻井や須賀にとっても緊張する特別任務ではあるが、美春当人の立場になってみれば、緊張どころの話ではないだろう。学が戻るまでの期間、彼女は夜も眠れない不安の中で過ごすのだ。

 俯いてしまった美春。
 櫻井はさっき彼女を小突いた手で、不安に下がるその頭を優しく撫でた。


*****


 パーティーの翌日から、早速、婚約者候補達の御機嫌伺いが始まった。
 結婚相手を決める為に設けられる時間が一ヶ月というのは、あまりにも短い様な気もするが、紗月姫ならば決断するのに充分過ぎる時間だろうという、総司の判断だ。
 その一ヶ月間で、より紗月姫に印象付けておかなくてはならないという事を、候補の三人はよく分かっている。土曜と日曜、二日続けて三人が揃った。
 御機嫌伺いの為に辻川邸を訪れる時は予め時間の確認を取ってもらい、何度も紗月姫に時間を取らせぬよう、各人面会の時間を同じにする。
 振り分けるのはもちろん神藤だ。
 だが彼は、この仕事をどんな気持ちでやっているのだろう……。

「一番熱心なのは、九条様かしらね……」
 玄関ホールの閉まったドアを見詰め、紗月姫は大きく息を吐いた。
「そうで御座いますね。三日続けていらっしゃったのは、九条様だけです」
 見送りの際、離れて後ろに控えていた神藤が紗月姫の真後ろに来ると、紗月姫は身体の力を抜いて神藤に寄りかかった。
「……ご苦労様な事だわ……」

 今日は、九条だけが紗月姫の元を訪れていた。
 夕食前の三十分間だけだが、彼にとっては大きなリードだと感じていただろう。
 ――紗月姫に言わせてみれば、会いに来る回数が多かろうと少なかろうと、心自体が傾かないのだがら無意味であるだけなのだが……。

「明日も来るのかしら……」
「明日は二十時に、九条様と袴田様がお揃いになる予定です。久我山様からの申し出は入っておりません。病院の方がお忙しいのかもしれませんね。お仕事熱心なのは良い事かと」
「興味無いわ……」
 明日の予定を袖にして、紗月姫は上目遣いに神藤を仰ぐ。強請る目線のその意味を悟った神藤は、クスリと笑って紗月姫を抱き上げた。
「何が御希望ですか? お食事の時間になるまで、温室にでもお連れ致しますか?」
 気分転換をしたかった気持ちを悟ってもらえた事が、紗月姫は嬉しい。誰に分かってもらうより、神藤に分かってもらえるのが一番だ。
 紗月姫は神藤の首に抱き付き、彼の耳元に唇を寄せると楽しそうに囁いた。
「ヴァイオリンを弾きたいわ。神藤が好きなブラームス、弾いてあげる」

 見詰め合い微笑み合って、神藤が紗月姫を抱いたまま歩き出す。
 ――その姿を、通路の陰から、章太郎が眺めていた。


 そして……。

 屋敷から帰る途中の九条貴明が、車で衝突事故を起こし、即死だったという連絡が入って来たのは……。
 それから、三時間後の事。――――







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**********

後書き

 こんにちは。玉紀 直です。
 忘れた頃に出て来る、櫻井夫妻。(///∇///)
 りっくん、冴ちゃん、でございます。
 学君が北欧へ行く日も決まって、その準備で忙しい中……。
 この事故は、偶然なのでしょうか。

 では、次回!!



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