「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第9章≪淘汰される愛≫・10

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「いい香りですね」
 今日は朝から、何度この言葉を聞いただろう。
 午前中の早い時間に届いてしまった白百合の花束は、ずっと専務室に保管されている。
 天井の空気清浄装置も罪の無い花香は見逃すのだろうか。広い専務室には、百合の芳醇な香りが充満している。しかし、不快なほど濃厚な香りではない。心地良く優しい香りであるが故、出入りする者は皆、同じ様に穏やかな心持ちになるのだ。
「百合が、こういった香りである事も知りませんでした」
 入室した時は少々険しい表情だった櫻井も、白い秀憐(しゅうれん)な姿と香りに、笑顔を引き出されてしまっている。

「係長も、お土産に買って行ってあげたらどうです?」
 臨時に入れたリフティングテーブルの上には、出番が来るまで待機をする白百合の花束。腕を組んで花を眺める櫻井に、美春は一言アドバイスを入れる。
「冴子さん、悪阻時期なんですよね? 綺麗な物を見たり感じたりして気を紛らわすのも、悪阻対処法のひとつらしいですよ」
「……そうなのか? じゃぁ……、試してみるか……」
 いつもは美春からの意見などあまり素直に聞いてくれない櫻井が、妙に素直だ。これは、同じ部屋に学がいるから、という理由ではなく、徐々に重くなり始めた冴子の悪阻に本気で辛いものを感じているからだろう。

 生まれてこのかた、どんな無茶な事をしても“恐怖”というものをあまり実感した事の無い櫻井。
 愛する妻の体内で起こっている見えない変化には、少々なりと見えない恐怖を感じているらしい。
「ああっ、でも駄目だな……」
 パンっと額を掌で押さえ、櫻井は落胆を表現する。
「匂いがきつい物は駄目なんだった。……最近すぐ吐き気を起こすし」
 せっかく白百合で心和んだというのに、芳醇な香りが逆に冴子の辛そうな表情を思い出させ、櫻井は溜息をついた。
 いつもは何かとやり込めてくれる指導係のこんな動揺を見てしまうと、美春としては優しくしてあげたくなってしまうではないか。
 美春は櫻井の背をポンポンッと叩き、にこりと微笑んだ。
「物や香りじゃなくたって大丈夫ですよ。係長が優しく抱きしめて『大丈夫だよ』って言ってあげて下さい。背中ポンポンって撫でてあげるのも忘れないでくださいね。相手の小さな気遣いひとつ感じるだけで、悪阻の辛さを頑張って乗り越えようっていう気持ちが生まれるものですから」

 珍しくアドバイスらしきものを上司に対して施してしまった美春だが、櫻井に怪訝な表情をされ、自分の台詞が少々気まずいものであった事に気付く。
 これではまるで、経験者のアドバイスそのままに聞こえてしまうではないか。

「……って、……女性雑誌に載っていたんですよ。パートナーの気遣いひとつ感じるだけで『ひとりじゃないんだ』って心に安心が生まれるってっ」
 美春は慌てて言葉を足した。我ながら、いささかわざとらしい様な気もしたが、まさか「ほんの短い間ですが経験ありです」とも言えないだろう。
 横目でチラリと学を盗み見ると、彼は美春がどう切り抜けるのかを興味ありげに見守っている。とても穏やかな目をしているので、悪気ではなく微笑ましく見守っているというところなのだろう。
 実際彼は、美春が“そうなったら”「抱きしめて『大丈夫だよ』と言いながら背中ポンポン」を実行しようと、固く心に決めていた最中なのだ。

「そうか、やってみるかな。僕も若い頃に大抵の事は経験したけれど、コレだけは初めてでね。やっぱり女性の意見は心強いね」
(……コレ、が初めてじゃなかったら、問題ですよ……。係長)
 心の中でチェックを入れつつも、白百合を見て表情を和ませている櫻井を、美春は心嬉しい気持ちで見詰めた。
 いつもの彼ならば「ふーん、専務はポンポンしてくれたのか?」だの、「お前嘘が下手だな」だの、ひっかけ的な言葉が飛んでくるはずだ。彼に意地悪な気持ちを起こさせる隙も与えないほど、心の中は二人の繋がりを宿した冴子の事でいっぱいなのだろう。

 心嬉しい気持ちになっているのは美春だけではない。学もまた同じだ。
 紗月姫と神藤の事はもちろん、櫻井の妻が懐妊し、須賀が結婚を決めて、ここのところ幸せ続きではないか。
 こうなってしまうと、来月やってくる大仕事をうまく収め、学もこの幸運の波に乗ってしまえる予感がしてならないのだ。

 そんな良い雰囲気漂う中、学のスマホが着信を告げる。取り出して確認をすると情報屋の元締めだ。一瞬だけ過った妙な予感を打ち消し、応答した。
 学がスマホを手に取ったのは美春も気付いていた。話し中の彼に目を向けると、学の表情が心持ち険しくなっている事に気付き眉を寄せる。
「そうか、……分かった。ああ、役に立ったよ、有難う。あとはこっちで手を回す」
 口調に険しさを感じる。何か起こったらしい事を察し、美春は素早く学に近寄った。
 スマホをホルダーに収めた学は、美春を目の前に、重い口調で真実を伝える。
「成澤咲月が、いなくなった」
「……いなくなった?」
「家の者が、今朝気付いたらしい。最初は身内で探し回っていたようだが、少々の現金と、とんでもない物を持ち出している事に家族が気付いて、午後から捜索願が出された」
「とんでもない物、って……」
「……祖父がマニアの間では有名な銃兵器コレクターで、祖父の倉庫から短機関銃を実弾込みで一丁持ち出している。中東のテロリストなんかが良く使う、ウージーっていう小さな物だ。そんなに重くもないから、女性でも扱える代物だ」
「機関銃……って、どうしてそんな物……」
「――今朝、駅のプラットホームで、西海女子の制服を着た少女が目撃されたそうだ。……西海女子の生徒が電車に乗るなんて珍しいと、駅員も覚えていたらしい」
 美春は目を瞠り、同時にゾワリと全身が粟立った。
 考えたくはない予想で思考が満たされる。その考えを振り払いたくても、頭の中から離れない。
 西海女子学園の制服を着て、成澤咲月が戻って来たというのだろうか。それも、とんでもないお土産を持って。
 ならば彼女はどこへ行こうというのか。――――考えるまでもない。
 そんな恰好をして戻って来た彼女が、行こうとしている場所はひとつ。そして、“会いたい”人間も一人だけだ。
「……まさか……」

 青くなる美春から目を逸らし、勢い良く立ち上がった学は、歩きながら指示を出す。
「美春、ここにいろ。櫻井さん、美春を頼みますよ」
 何が起こったのかは分からなかったが、櫻井が仕事モードに戻り美春へ近付く。しかし、彼の傍らをすり抜け、美春は学について歩き出した。
「私も行く……! 成澤さんに会えたら、彼女と話がしたいの……!」







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後書き

 こんにちは。玉紀 直です。
 まいってる櫻井というのも珍しいです。(笑)
 でも、学が思っている通り、周囲は最近幸せ続きですね。
 学と美春も、この流れに是非乗って欲しいものです。^^

 ですが、ちょっとおかしな事になってしまったようですよ。
 行方不明の成澤咲月、それも、とんでもない物を一緒に持ち出しています。
 目的地へ向かおうとする学に同行を粘る美春。
 もしも美春が咲月に会えたなら……。もしかして……。

 では、次回!!




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