「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第9章≪淘汰される愛≫・14

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「……紗月姫ちゃん……」
 慈愛に満ちた、優しい声が紗月姫を呼ぶ。
「……泣かないで」
 温かな指が、紗月姫の目尻から流れ出る涙を拭った。だが彼女の涙は、拭っても拭っても溢れてくる。
「お願い……泣かないで」
 泣かないでと嘆願しつつ、泣いているのは美春の方だ。
 辻川総合病院、一族専用フロアの特別室。大きなベッドに寝かされた紗月姫に付き添い、美春はずっと起こった悲劇を思い出して涙を浮かべていた。
 精神安定剤で眠っているはずなのに、紗月姫の閉じられた瞼からは涙が流れ出す。
 夢を見ているのだろうか……。
 何の夢を見ているのだろう……。

 ――あの、悪夢のような惨劇だろうか。

「紗月姫ちゃん……」
 それを思うと、切なくて、苦しくて、美春は涙が止まらない。


*****


 プライベートルームに飛び込んだ後、学はすぐさま総司に連絡を入れた。
 事故事件関係で総帥が自ら動く事はまず無い。しかしこの件には紗月姫が関わり、神藤が大変な状態に陥っている。もちろん総司自らが病院側へ指示を出し、弁護士達を動かし、学園側への対応に当たってくれた。

 現場の後処理と、秘密裏に動く精鋭達を取り仕切ったのは章太郎だ。
 数分後に覆面救急車と共にやって来た彼は、神藤を抱き締めて離そうとしない紗月姫を美春と共に諭したのだ。
「旦那様が、最高のスタッフを用意して下さっています。『私の息子を殺すな』と、指示を出されました。信じましょう、お嬢様、神藤は死にません!」
 章太郎も必死だった。
 信じたい気持ちで身体中がいっぱいになっていながらも、血まみれの棒人形さながらの姿になった神藤を見て、抑え切れないほどの憤りと息苦しさに襲われていたのだ。
 兄弟のように育ち、お互い良いライバルとして鍛錬し合った。
 優しく、強く、強靭な精神力を持ち、紗月姫に対する忠誠心は、執事一族の直系である彼でさえも敵わないと感じるほど。
 その神藤が、絶命するかもしれないなどと、どうして思えようか。
 強烈な嗚咽感を、彼は掌に爪を立てて耐える。
 自分が泣く訳にはいかない。紗月姫は、もっと辛いのだろうから。

 覆面救急車には、紗月姫はもちろん学と美春も乗り込み、美春は処置台から離れた場所でずっと紗月姫を抱き締めていた。
 二人の前には学が立ちはだかり、まるで、処置台の様子を少しも見せまいとしているかのよう。
 応急処置を受ける神藤を見ていた学なら、彼の経験と知識を考えても、神藤がどういった状態になっているのかを察する事が出来たと思われる。彼が「これなら大丈夫」と思えたのなら、振り向いて一言「大丈夫だよ」と声をかけてくれたに違いない。

 しかし学は、ひと言も声を発する事は無かった。

 眉を寄せ、表情を硬く固めて、唇を結んだまま処置を受ける神藤の様子を見ていたのだ。

 病院へと到着し、手術室へと運ばれる神藤を見た途端、紗月姫は半狂乱に陥った。
 恐らく、神藤が撃たれ、自分の腕の中で息絶える寸前であったというショックを思い出したのだろう。
「神藤……! 神藤!!」
 彼の名を呼び、手術室のドアを叩き続けた。もちろん美春では止める事は出来ず、強制的に学が床に押さえつけ、待機していた主治医が精神安定剤を腕から注入したのだ。
 気絶のように意識を失った彼女は、それからずっと眠り続けている。

 その時点で美春は涙が溢れた。
 こんな紗月姫を見るのは初めてだ。
 辻川の宝刀と謳われ、常に凛然と、聡明であり続けた紗月姫。
 半狂乱になって感情のままに叫び暴れる姿は、彼女には信じられない醜態だ。
 そんな姿を晒してしまうほど、彼女の心は崩壊寸前だったのだ。


*****


 病室の中には、紗月姫と美春だけが残されていた。学は手術の様子を窺いながら、紗月姫の主治医と話をしている。
 紗月姫の涙を拭い、頬を撫で、美春はくすりと口元を和ませた。
 ひとまず目を覚まして落ち着いたら、シャワーを使う様に勧めようと思い立ったのだ。
 病室へ運んだ時、紗月姫は神藤を抱き締めていた為に血まみれになっていた。制服を脱がせ、ある程度の血を拭ってから寝かせたが、髪の毛に付着したものが固まってしまっている。
「……漆黒の黒髪が、台無し……」
 髪を洗い、流れ落ちる血の痕を見て再び動揺しては可哀相だ。紗月姫を湯船に浸からせたまま、髪は美春が洗ってあげようかと思い付いた。
「洗ってもらうのって、気持ちいいのよねぇ」
 時々学がやってくれる場面を思い出し計画を立てるが、紗月姫の長い黒髪を朝晩梳いて手入れをしていたのは神藤だ。誰かに髪を触られて彼を思い出し、また悲しくなってしまうような事は無いだろうか。

「美春、紗月姫ちゃんは?」
 呼びかける声と共にドアが開く。入って来たのは学と、主治医の斉医師だった。
「まだよ。……まだ、目を覚ましてくれないわ……」
 美春は椅子から立ち上がり、斉へ向き直って頭を下げる。
「斉先生、お久し振りです。先程は御挨拶も無く、失礼しました」
「いいえ、先程はそんな場合ではありませんでしたからね。頭を上げて下さい、美春様」
 美春が頭を上げると、斉は穏やかな表情を和ませた。

 斉和彦は、この辻川総合病院の産科婦人科担当医師であり院長だ。
 そして、椿や紗月姫、さくらなど、辻川系列の女性達の主治医でもある。
 大学三年の時に斉の世話になった美春も、それから定期的に彼の診察を受けるようになった。後々、学と結婚をした時には、正式に彼女の主治医にもなる。

「先生、……紗月姫ちゃんは、いつまで眠っているのでしょう……」
 すでに三時間以上が経っている。紗月姫が打たれたのは、精神安定剤だけではなかったのだろうか。
 眠る紗月姫の傍らに歩み寄り、斉は彼女の顔を覗き込んだ。
「本来なら、もう目覚めても良いのですが……。きっと、神藤君の事故がショックで、精神的疲労が深いのでしょう。明日の朝まで、目覚めないかもしれませんね」
 横に学が立つと、美春は彼に問いかけた。
「そういえば手術は、……どうなったの?」
「終わった。一命は取り留めたよ。今、叔父さんと叔母さんが医師達と話をしている。……でも……」

 学は美春を見詰め、一度言葉を切る。瞳に翳った躊躇いが彼の言葉を塞いだ。
 塞がれた言葉を続けたのは、斉だった。

「極めて、危険な状態ではあります。現段階で著しい心肺機能の低下がみられ、これ以上進むようなら、すぐにでも延命治療の処置を施す事になるでしょう」

「延命、治療……?」

 その言葉の意味に、美春は身震いを起こした……。







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