「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・1

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「どうぞ」
 章太郎がドアを開ける。病室内の光が目に入った瞬間、苦しげに結ばれていた美春の唇は、偽りに笑んだ。

「こんにちは。ご機嫌いかが? 紗月姫ちゃん、神藤さん」

 明るく物柔らかな声が、広い特別室内に響く。窓から射し込む夕陽で穏やかな明るさに包まれていた室内だったが、美春の声は更に空気を活性化させた。
「美春さん、ごきげんよう。来て下さって嬉しいわ」
 アームチェアから立ち上がり、紗月姫は笑顔で振り向く。ベッドの傍へ近付いてきた学と美春へ向き直り、学にも声をかけた。
「ごきげんよう、学さん。お仕事は?」
「ああ、今日はガッチリと残業になりそうだから、先に会いに来たんだよ」
 ベッドの足元側へ立った学は、抱えていた白百合の花束を置いた。
「……神藤さんに、これを渡したくてね」

 大きなベッドには神藤が眠っている。
 事件から三日。彼は依然目を覚まさず、昏睡状態が続いていた。
 昨日一昨日と、仕事が終わってから様子を見に訪れていた二人だが、今日は仕事が詰まっていて遅くなりそうだという事で、外出帰りを利用し、病院へと立ち寄ったのだ。

「……素敵な百合……」
 ベッドの上に置かれた白百合の花束に笑みを零してから、紗月姫は悪戯な視線を学へと向けた。
「もしかして、誕生日の日に頂けるはずだったのかしら? 三十本あるわ。嫌がらせかしら?」
「紗月姫ちゃんまで美春と同じ事言うんだな」
「それに、誕生日ならともかく、お見舞い代わりにするなら、白い花は避けるのが礼儀では?」
 学は軽くハハッと笑って、紗月姫の頭にポンっと手を置いた。
「これは、神藤さんが大好きだった花だから良いんだよ。香りが強くて気になる様ならロビーにでも飾ってくれ。でもこれは、紗月姫ちゃんの代わりだから、出来れば神藤さんの近くに置いて欲しいな」
「私の代わり……?」
「神藤さんは、白百合の清らかさと華やかさを紗月姫ちゃんに見立てていた。この花を近くに置いて、紗月姫ちゃんの代わりに彼を見守ってもらおう? そうすれば、紗月姫ちゃんが傍に居ない時に彼が目を覚ましても、白百合に紗月姫ちゃんの面影を見て寂しくはならないだろう?」
「学さん……」
「だから、紗月姫ちゃんも少し休みなさい。今日は邸に帰ってベッドで眠るんだ。神藤さんが目を覚ました時に、寝不足でやつれた顔を見せるつもりかい? まぁ、彼なら『憔悴なさったお嬢様もお美しいです』とか言いそうだけどな」
 紗月姫の背後に立って、美春も彼女の両肩に手を置いた。
「傍に居たい気持ちは分かるわ。……けれど、疲労で貴女が倒れてしまったらどうするの? せっかく神藤さんが目を覚ましても、彼は不安で療養出来ないわよ?」
 紗月姫は肩に置かれた美春の右手に頬を寄せた。
「……分かっているのです……。けれど、いつ目を覚ますかと気になって……。目を覚ましてくれるのか……心配で……」

 事件があった日から、紗月姫は神藤の傍を離れない。
 元々、紗月姫の我儘を受け止め、説得にあたれるのは神藤だけだった。もちろん、他のお付きが邸へ戻るよう説得しても耳を貸さない。章太郎でさえも説得は出来ず、主治医である斉の忠告も聞かなかった。
 それでも、辛うじて椿の意見は聞き入れ、付き添っている間も食事と睡眠は取るよう、心掛けているようだ。
 しかし、やはりこの張り詰めた状況では、いくら心掛けても心休まるものではない。そこで心配した学と美春が、彼女の説得に当たろうと決めたのだ。

「神藤さんは凄いわ」
 明るいトーンで神藤を褒め、美春は紗月姫から離れてベッドの頭側へ回る。
「手術後、先生方は覚悟していたんでしょう? すぐにでも延命治療用の装置を用意しなきゃならないんじゃないかって。でも、そんな物に頼らなくたって、神藤さんは持ち堪えているわ。自分で呼吸をし、シッカリと心臓を動かしている。本当に強靭な精神力を持った凄い人。きっと、早く回復して意識を取り戻し、また紗月姫ちゃんを守らなきゃって、無意識に身体が頑張っているのよ」
「美春さん……」
「彼の気持ちに応えなくちゃ。彼は紗月姫ちゃんの為に頑張っているの。なのに、紗月姫ちゃんが倒れちゃったらどうするの? ――ねぇ? 神藤さんもそう思うでしょう?」
 後ろ手を組み、美春は神藤を覗き込む。
 笑顔を向けても、話しかけても、神藤の作り物の様に綺麗な表情はピクリとも動かない。刹那、笑顔の中で藍色の瞳が潤んだ。
 美春は動揺を隠し、笑顔を保つ。そのまま紗月姫を振り向き、彼女を説得した。
「神藤さんもそう思うって。紗月姫ちゃんが体調を崩しちゃったら、元気になってから神藤さんの仕事が増えちゃうわ。だから、少し、キチンと休みましょう?」

 沈んだ気分にならぬよう明るく接してくれている美春の気持ちが、辛いほど伝わってくる。紗月姫は自嘲の笑みを浮かべると、小さくこくりと頷いた。
「では……今夜は、邸へ戻ります。……でも、もう少しだけ、ここに居る事を許して下さいね?」
 紗月姫の返事を聞いて、待ち構えていたように、学は彼女の頭をポンポンッと撫でた。
「よし、じゃぁ、疲れが取れるようにケーキでも差し入れよう。邸へ戻ってくれるって聞いたら、水野さんも泣いて喜ぶぞ」
 神藤の代わりを務め、ずっと紗月姫に付いているのは水野だ。時々他のお付きと交代をする時間を除けば、彼は常に病室の外で待機し、紗月姫と神藤を見守っている。
 彼は紗月姫のお付きでもあるが、主な仕事は邸での執事補佐。主流としている仕事もプライベートも全て投げ出し、病院で付き添う紗月姫のお守り役を買って出た。紗月姫の為に待機しているのはもちろんだが、ここに居れば、いちはやく神藤の様子も知る事が出来る。神藤の状態が、彼も堪らなく気がかりなのだ。
 事件が起こってからの働きを考えれば、彼も疲労が溜まっている事だろう。
「学さん、ケーキは、水野の分もお願いします」
 にこりと笑って学に強請った紗月姫は、すぐ思い付いたように指を二本立てて、訂正を入れた。
「――水野の分は二個で。彼は、疲れを癒してくれる人と一緒に食べると思うので」


*****


 病室を出て水野に紗月姫の件を告げると、二人はエレベーターへと向かった。
 無人の箱へ乗り込みドアが閉まった途端、耐えきれなくなった美春が俯き両手で顔を押さえる。
 すぐに漏れ始める嗚咽。学は美春を抱き寄せ、頭を撫でた。
「有難う、美春。……紗月姫ちゃんを、説得してくれて……」
「……学……、私、私……、嘘つきだ……」
 スーツの胸を握り締め、美春は声を震わせる。悲しみに暮れる心は、学の腕の中で身体を固めた。
「分かってるのに……あんな事……。神藤さんは、良くなってなんかいないのに……」

 神藤に、延命治療が施されると決まった。
 その決定は数分前に出されたもので、総司から学が連絡を受けたのだ。
 紗月姫には知らされていない。身も心も疲れきっている紗月姫に、神藤が命綱を付けなければならない事実を伝えるのは忍びなかった。
 また、取り付けられる姿を見せたくはない。延命治療を施される姿を見るという事は、命が危険に晒されている事実を目の前で見せられるという事だ。
 だからこそ今夜は、紗月姫に病室から離れてもらいたかった。
 せめて今夜は邸へ戻り、ゆっくりと身体を休めて欲しい。そんな気持ちで、美春は説得に当たった。

 明日病院へやってくれば分かる事ではある。
 しかし一時、紗月姫に安息をあげたかった。

 その為についた嘘。だがそれは、美春の気持ちを深い悲哀へと追いつめた。

「美春が悪いんじゃない……。紗月姫ちゃんの為だったんだ」

 人は時に、誰かの為に、何かの為に、敢えて嘘をつかなくてはならない時がある。
 今までも、何度もそんな場面に遭遇した事はあった。
 しかし……。

「……学……、神藤さんは、どうなってしまうの……?」

 例え誰かの為だとしても、命を偽る悲しい嘘なら、もう二度とつきたくはないと……。
 美春の心は、泣き続けた――――。







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**********

後書き

 こんにちは。玉紀 直です。
 第10章≪迷宮の天使≫
 スタートします。
 またしばらく、お付き合いくださいね。

 少し明るい雰囲気から始まりました。
 会話を聞いている限り、神藤は回復に向かっているかのような印象です。
 ですが、彼は今大変な状態にありました。

 紗月姫の心の痛みを感じながら、その辛さを共に感じる美春。
 風前の灯となりつつある神藤の命。
 それは紗月姫に、とある決心を促します。

 では、次回!!

  



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