「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・3

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 ドアの前でネクタイを締め直し、章太郎は鍵を挿し込んだ。
「お嬢様、失礼致します」
 朝一番に、紗月姫の部屋を訪れ朝の挨拶を行うのは、十八年間神藤の役目だった。
 彼が居ない今、代行を務めるのは章太郎だ。
 部屋を訪れた時間、すでに紗月姫が起きてメインルームに居る時もあるが、まだ寝室で休んでいる場合もある。
 そんな時は声をかけ、体調の確認を行う。もしかしたら体調が悪くて起き上がれないのではという懸念があるからだ。
 だが今朝の紗月姫は、メインルームで朝陽に当たっていた。カーテンを開け放した大きな窓の前で、足を崩し、絨毯の上に座っている。
 いつから起きていたのだろう、章太郎は眉をひそめる。長い髪が絨毯に広がる後ろ姿は、まだネグリジェ姿。

「おはようございます、お嬢様。起きていらっしゃったのですね」
 振り向かない紗月姫に頭を下げ、章太郎はゆっくりと彼女の背後へ歩み寄る。
「御気分はいかがですか。ゆっくりとお休みにはなれましたか?」
 返事を返さない紗月姫の横に跪き、流れる黒髪に半分遮られた横顔を見詰めた。
 紗月姫は瞼を閉じている。両手は膝ではなく腹部に有った。大きく静かに腹式呼吸をしている様が見て取れ、章太郎は体調不良を疑う。
「御気分が、優れないのですか?」
 すると紗月姫は右手を差し伸べ、瞼を薄く開いて花恥ずかしげに笑んだのだ。
「……手を、貸してちょうだい。水野が来てから立ち上がろうと思っていたのだけれど、クスッ……足が痺れてしまったわ……」
 傍に就いていても滅多に見る事は出来ない可愛らしさに、つい章太郎も見惚れてしまう。だがすぐに紗月姫の手を取り、「失礼致します」と一声かけて左腕を支え、ゆっくりと立ち上がる手助けをした。
「御足(おみあし)の痺れを起こすくらい……、一体いつから座っていらっしゃったのです?」
「……陽を浴びたくて……、明るくなるのを待っていたの」
 章太郎は閉口した。今の言葉が本当なら、紗月姫は夜中から窓の前に居た事になる。ずっと、何時間も、ひとりで……。
「眠れなかったのですか? お呼び下されば、何か温かい物でもお持ちいたしましたのに」
 これが通常であるなら、紗月姫は夜中であろうと明け方であろうと神藤を呼び付けた事だろう。足が痺れて動けない様子を察しただけで、神藤は紗月姫を抱き上げてソファへと運んでしまうはずだ。
 紗月姫の傍には、常に神藤の影があって当然。また、その代わりをやりこなせる人間はいない。章太郎は、神藤の代行を務めていると、痛いくらいにその事実を感じる。
「朝陽を、一人でお待ちになっていたのですか? お部屋が暗いままでは心細かったのでは?」
 薄暗く広い部屋で一人きりでは、心細い前に怖くなかったのだろうか。暗闇の心細さを問いかけた章太郎に、紗月姫は穏やかな笑みを向けた。
「……大丈夫よ。ひとりでは無かったから……」
「は?」
 ぬいぐるみでも抱いていただろうかと、足元に視線を這わす章太郎には理解する事が出来なかったが、紗月姫は微笑んだままそれ以上を口にしない。
「ゆっくり歩きます。宜しいですか……」
 痺れているという足に気を遣い、一歩踏み出してはしばらく止まり、ゆっくりとソファへ向かう。その間を利用して、章太郎は朝の予定を紗月姫に訊ねた。
「御目覚めにハーブティーはいかがですか? 僭越ながら、私が淹れさせて頂きます。すぐにお持ちしても宜しいでしょうか? それとも、お着替えになられてからに致しますか」
「……そうね、着替えたらすぐに行きたい所があるから、今にするわ」
「すぐ?」
 病院の事だろうか。すぐにでも神藤に会いたい気持ちは分かるが、せめて朝食は摂って欲しい。その気持ちを伝えようと口を開きかけるが、章太郎の言葉は紗月姫の笑みに制止された。
「温室へ……。藤を少し、神藤に持って行ってあげたいの……」


*****


 紗月姫の様子が心配だった美春は、昼の時間を利用して一人病院を訪れた。
 学のスケジュールが詰まっていたので、本来なら会社を出る事は出来なかったのだが、延命治療に入った神藤を見て紗月姫が動揺してはいないかと、心配するあまり仕事に身が入らない。見かねた学が「様子を見に行っておいで」と許可をくれたのだ。

「水野さん」
 特別フロアに入った美春は、ロビーで待機する章太郎を見付け駆け寄った。
「美春様、お待ちしておりました。学様から連絡は頂いております」
 頭を下げた章太郎の背筋が伸びないうちから、美春は矢継ぎ早に質問を口にする。
「紗月姫ちゃんは……、どうでした? 動揺してはいなかった? 今は、どうしているの?」
 主人に心を割いてくれる美春に感謝を示し、章太郎は右手を胸に当て、僅かに上半身を倒したまま答えた。
「御心遣い感謝いたします。到着の際、藤の花を持参致しましたので私も部屋へと入りましたが、お嬢様は特に取り乱す事もありませんでした。人工呼吸の装置を興味深げに見てはいらっしゃいましたが、『マスクをすると顔が半分見えない』と、少々の御不満はあったようです」
「――それだけ?」
「はい。それだけでございます」
 美春は安堵すると同時に拍子抜けする。てっきり神藤を見て取り乱しているのではないかと思っていたのだ。
 紗月姫は頭の良い女性だ。延命治療を施されるであろう覚悟を、付き添っている間に固めていたのかもしれない。


「お嬢様。美春様がいらっしゃいました」
 章太郎が声をかけ、ノックの後にドアが開く。室内が目に入って、すぐに美春は目を瞠った。
「……藤の、花?」
 藤を持って来たと聞いてはいたが、花器に飾れる程度、ひと房ふた房程度だろうと予想をしていたのだ。
「随分と持ってきたのね」
 美春はクスクスと笑いながらベッドへ近付く。傍らに置かれたワゴンには、大きな花器一杯に藤の花が活けられていた。
「これでも、選りすぐったのですよ。藤棚の皆が神藤に会いたがったのですが、まさか藤棚ごと持ってくる訳にはいきませんから。選抜隊を作るのが大変でした」
 紗月姫はサイドチェストに飾られた白百合の横で微笑む。選抜隊とは言っても人の話では無く花の事だ。しかし、彼女の口から出るとおかしな事には感じない。
 それは、紗月姫にとっては当然の事であるからだろう。
「神藤にも、藤の花を見せてあげたかったのです。藤達に話しかけてもらったせいか、顔色が良いみたい」
 白い指先が神藤の頬を撫でる。昨日までは顎まで指を這わせても平気だったのに、今日は酸素マスクに遮られ、紗月姫の指は唇の横で止まってしまう。
「……顔色が良いのは……、マスクを当てられたお陰かしら……」
 ポツリと呟く声が、どこか憎々しげに聞こえた……。








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