「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・4

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 忌わしげな自嘲の笑みを浮かべる紗月姫など、今まで見た事があっただろうか。
 彼女の表情に息を呑んだ美春だが、傍らの白百合に顔を寄せた紗月姫の表情は、すぐに和んだ。
「……良い香り……。神藤もきっと、喜んでいるわ」
 芳醇な花香を身体に通し、紗月姫の視線は神藤へと流れる。
「でも、マスクをしていたら、白百合の香りも感じられないわね」
 彼女の瞳はとても切なそうだった。章太郎の話では紗月姫に動揺は無かったとの事だったが、表に出さなかっただけで紗月姫は深く傷付いていたのではないだろうか。

「……大丈夫よ……。人工呼吸器で少しでも心肺機能が回復すれば、……状態によっては外して様子を見たりもするんでしょう? すぐに、白百合の香りを感じたり藤の花を見たりも出来るようになるわよ」
 咄嗟に出た言葉が、ズキリと胸に響く。命が関係した確信の無い嘘。それがどんなに辛い物か、昨日身体中で思い知ったというのに、それでも紗月姫を見ていると口から出ずにはいられない。
「有難うございます。……美春さん」
 紗月姫はにこりと微笑むと、チェストを回ってベッドの頭側に置かれた人工呼吸用の装置へと近付いた。
「大丈夫です。白百合の香りを感じてもらいたいと思ったら、このスイッチを切れば良いのですもの。マスクを外してしまえば、味気の無い酸素などでは無くて、神藤が好きだった白百合の香りが彼の体内を満たしてくれる事でしょう。……ふふっ……、その方が刺激を貰えて良いかもしれませんね」
「紗月姫ちゃん……?」
「スイッチを切ってしばらくすれば、もしかして藤を見られるようになるかもしれません。……その時は、肉体を捨てた状態であるかもしれませんが……」

 悪趣味な冗談だ。
 美春の背筋が、ゾワリと冷たくなる。
 紗月姫は人工呼吸器のスイッチを切って、神藤が人間としての機能を停止させてしまう例えを口にしている。
 口元に笑みを浮かべ。穏やかな表情で。
「……お、おかしな事を言わないで、紗月姫ちゃん……。どうしたの……、冗談でもそんな事を言うものじゃないわ……」
 美春はベッドを回り紗月姫へ歩み寄ると、穏やかに諭した。
「言葉は魔法よ。冗談でも、現実になって欲しくない事は口に出す物じゃないわ。その通りになってしまう事だってあるんだから」

 紗月姫はほわりと微笑む。
 それは、とても可愛らしく、淑(しと)やかな笑みであるはずなのに、美春が感じている薄ら寒さは治まらない。
 そして同時に湧き上がる、微かな懸念……。

「紗月姫ちゃん……、何を考えているの……」
 胸騒ぎは大きくなる。
 人工呼吸器を付けられ、延命治療の開始を見せ付けられたというのに、動揺ひとつしなかったという紗月姫。
 彼女の中に、おぞましいほどの“覚悟”が見えるのは、気のせいなのだろうか……。

「美春さん、神藤の命は、私のものなのです……」

 美春は息を詰め、慌てて彼女を人工呼吸用機器から引き離した。
 このまま立たせておいたら、すぐにでもスイッチを切ってしまうのではないかという恐ろしい予感に襲われたのだ。

「そして……、神藤が居ない世界など、私には無意味なのです……」

 紗月姫は頬笑みを崩さない。相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま、最も残酷で愚かな例えを口にする。
 彼女の両腕を握ったまま、美春は吃驚を隠せない。
「紗月姫ちゃん……、シッカリして……。どうしたの……」
 美春は小刻みに紗月姫の腕を揺すった。夢を見ているかのようなとろりっとした瞳は、紗月姫が正気を奪われているのだとも感じさせる。
 夢を見ているならば、覚めて欲しい……。
 紗月姫の言葉の意味を理解しながらも、美春は懸命に心の中から追い出そうとした。
 彼女は美春に告げているのだ……。

 神藤の命を奪って、自分も命を絶つ事に、迷いは無い、と――――。

「シッカリして、何を言っているの? どうしたの、駄目よ、いきなり希望を失っちゃ……。神藤さんは、まだ生きているわ……」
「ええ……。これからは、“生かされる”人間になります。……機械の助けを借りて、無理矢理……」
「紗月姫ちゃん……」
 紗月姫の腕を掴んだ手は震え、冷や汗が滲むのが分かった。
 この恐ろしいまでの覚悟は何だろう。
 ここまで紗月姫を頑なにさせている物は、一体なんだというのだろう……。

「馬鹿言わないで……。あなたまで……、そんな事をするの……? 紗月姫ちゃんまで、成澤さんと同じ事をするの!?」
 感情を襲う動揺の波。そこから逃げようとするかのように、美春は声を荒げた。
「もしも……、もしも神藤さんが最悪の事態を迎えてしまったら、……あなたも一緒に……なんて、そんな事を考えている!? あなたは、そんな浅はかな事を考える人だった!?」
 紗月姫は答えない。ただ儚い笑みを浮かべて、美春を見詰めた。

「命を捨ててどうなるの? 何が残るの? 『死んであの世で幸せに』なんて……、そんな愛情の結末、私は認めない!」

 紗月姫を説得しながら、美春の瞳は涙で滲んだ。
 それは、神藤の命が失われた時、共に朽ち果てる事を覚悟した紗月姫への哀れみでも、死を覚悟しなくてはならないほど愛し合っている二人を不憫に思ったからでも無い。
 心に閉じ込めてあった、哀しい思い出が湧き出してきたからだ。

「死ぬ事で、本当に幸せになれるの? 生きて掴めなかった幸せを、死を選んで掴もうとする事を、あなたは最良の方法だと、本当に思っているの!?」

 美春には、かつて、伝わらない愛に苦しみ、狂気に走った末に愛した男性を殺め、自分も命を絶つという愛情の最期を選択した友人がいた。
 彼女が最期を迎える瞬間、近くに居ながらそれに気付けず止められなかった自分。
 彼女は死を選ぶ事で、愛した人と共に命を絶つ事で、本当に幸せになれたのだろうかと、長い間美春を悩ませ、その出来事はトラウマとなって心の奥に仕舞われた。

 長い事現れる事の無かった悲憤を思い出したのは、昨年、ハイタワーマンションで知り合った女性が、愛した男の罪と共に命を絶つ選択しようとした時。
 あの時は思い留まらせる事が出来た。
 しかし、成澤咲月は……。
 予感はあったのだ。成澤咲月が、大切な彼の後を追おうとしているのではないかという……。確信が、あったのに……。
 止める事は、出来なかった。

 愛の為に死を選ぶ事が本当に正しいのか。
 それは本当に幸せな事なのか。
 美春には、分からない。

 ただ分かるのは、死を選んだ人間から、残されてしまった者としての悲しみ。

「私は認めたくない……。ううん、認めない! もしも、……もしも神藤さんがこのまま帰らない人になっても、私は、監禁してでも、あなたに後追いなんてさせない! しっかりして、紗月姫ちゃん、それは本当にあなたの幸せなの!?」

 思い起こされる心の傷。溢れ出る悲憤。止まらない悲しみは、美春の頬を涙で濡らす。

 必死に握り締められる腕が痛い。しかしその痛みを訴える事もしないまま、紗月姫は美春に問い返した。
「ならば美春さん、あなたなら、どうしますか……」

 紗月姫は、儚くも強心な瞳で、涙に濡れる美春を射抜く。

「もしも、学さんが目の前で絶命しようとしていたら……。あなたはどうしますか……」








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