「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・6

 ←第10章≪迷宮の天使≫・5 →第10章≪迷宮の天使≫・7


(誰…………)

 紗月姫は白い闇の中で、うずくまる少年を見ていた。
 膝を抱えて顔を伏せているのに、何故かそれが男の子である事が分かっている。歳はいくつくらいなのか、それは分からない。幼い様な、そうでは無い様な……。
 ただ気になるのは、少年の髪。ふわりとした黒髪の癖毛。

(煌……?)

 髪型だけで断定付けてしまうのはおかしいが、何故か心に沁みてくる安心感が、少年を身近な存在であると紗月姫に認識させる。
 そして、全身で感じる感情は、未経験の気持ち。
 例えられないほどの愛おしさと心地良い穏やかさの中で、紗月姫の心は小舟の様にたゆたう。
 不思議な感覚に、全神経を支配されていると感じながら。

 少年が顔を上げ、立ち上がった。
 見た事は無い顔だ。なのに、紗月姫は彼を知っている気がしてならない。
 黙って見詰める紗月姫と目を合わせた少年は、にこりと微笑んだ。

 ――≪藤を、見に行こう……≫

 声ではない。それは、音。
 けれどその音は、紗月姫の耳に声となって聞こえてきた。
 聞いた事など無い声なのに、その声をいつも聞いていたような気がする。この笑顔を、いつも感じていたような気がする。

 少年が手を差し出す。
 紗月姫は、何の疑いも無くその手を取った。
 その途端、彼女の視界から白い闇は消え、代わりに咲き乱れ狂い咲く藤棚が広がったのだ。

 ――≪藤が、運命を知っている……≫

 花びらが吹雪の様に舞った。
 少年は笑んだまま、紗月姫の手を握り締める。

 ――≪いつの日か、こうして、本当に手を繋いでね……≫


*****


 倒れた紗月姫が処置室へと運ばれると、美春はすぐに学へ連絡を入れた。
 下半身から血を流していた姿を見た時、美春はそれが突然の月経などで起こったものでは無い事を直感で悟った。
 それが分かったのは、同じ女性である事と、過去、彼女が同じ経験をしているからだろう。

 章太郎には、恐らく疲労で倒れたのだろう旨を告げ、主治医の許可が出るまで邸には連絡を入れないよう口止めをした。
 もしこれが、本当に美春が思った通りの原因で起こった出血ならば、紗月姫の希望が何よりも優先されるべきだからだ。
 しばらくして学がやって来ると、二人はすぐに処置室へと通されたのだ。
 処置室のベッドで、紗月姫は眠っているようだった。倒れた時に蒼白になっていた顔色が少々良くなっているように見えるのは、左腕に施された点滴のお陰だろうか。
 美春と一緒に痛切な思いで紗月姫を見降ろしていた学が、点滴の横に立つ斉へと顔を上げた。
「先生、美春から、倒れた時の状況は訊いています。もしも……、もしも男の俺が聞いて不都合のある話になるのなら席を外しますが……。美春には、話してやってくれませんか……」
 斉が使う言葉で言うならば、デリケートな話、に当たるのだろうと察し先手を取るが、斉は静かに首を左右に振った。
「……いいえ……。こうなってしまっては、親族の方に聞いてもらった方が良いでしょう。学様は、お嬢様のお兄様の様なものです。……ただ、今すぐ旦那様と奥様に伝えるかは、お嬢様の意思を仰ぎたいのです」
 美春はドキリと胸が痛んだ。紗月姫の意思を優先したい事情がある話といえば、おのずと内容も見当がつくではないか。
 紗月姫を見降ろして表情を固める美春の肩を、学が抱き寄せる。彼に守られて、美春は心の傷口に触れた。

「……流産、したんですか……?」

 抱き寄せた学の手に力が入る。斉の答えは、すぐに返って来た。
「切迫流産です。――ですが、まだ妊娠は継続されている状態です」
 絶望しかかっていたところに、一筋の光明。美春が顔を上げると、斉は辛そうに鼻から息を抜く。
「神藤君が事故にあった日、本来ならお嬢様の診察をするはずでした。指定された健診項目から予感はありましたが、事故の後であった為にお嬢様が診察を拒否され、真相は分からないままだったのです。……無理もありません、子供の父親が、あんな事故に遭った後です。あのショックの中で、よく今まで持ち堪えたものだと思います」
「じゃぁ、紗月姫ちゃんの……赤ちゃんは、まだ居るんですね……?」
 美春は縋る気持ちで斉へと問いかけた。切迫流産でも、妊娠が継続されているのなら安静次第で普通の状態に戻る事が出来ると、大学三年の時、様々な文献で知った。

 紗月姫が妊娠をしているのなら、彼女の中に神藤から貰った本当の“命”が宿っているのなら、もしもの時は神藤の後を追おうなどと考えなくなるのではないだろうか。
 美春は、その可能性にかけた。
 だが、斉の口からは、彼女の希望を摘み取る言葉が出されたのだ。
「極めて、危険な状態ではあります」
 斉は一度カルテを見てから、紗月姫に視線を落とした。
「この先、正常に妊娠を継続出来るかどうかは、かなり難しいところです。お嬢様の切迫流産は重度のものです。経過次第では、胎児のみならず、お嬢様の身体にも大きな負担と危険を強いる結果になってしまう。――私は、お嬢様の主治医として、掻爬(そうは)を選択したい」
「でも……、生きているんでしょう? まだ、紗月姫ちゃんの中で……」
「美春様」
 動揺して身を乗り出す美春を、学の腕が引き寄せる。それと同時に斉が彼女を諌めた。

「母体の為に、苦渋の選択をしなくてはならない時もあります。お嬢様を、敢えて危険に晒す訳にはいきません」

 切迫流産にも症状のレベルがある。安静のみで良いものから、母体が死の危険に晒されるレベルまで。
 知識の一環として美春も理解はしているが、神藤の後を追う覚悟をしていた紗月姫の気持ちを考えると、彼との“繋がり”を生きる希望として残しておいて欲しいという気持ちが、我儘なほどに大きいのだ。


「そういった事情らしいよ。……紗月姫ちゃん」
 学が紗月姫に話しかける。場の雰囲気的に眠る彼女へ話しかけたのだろうと思っていた美春だが、彼の視線の先には、ぼんやりと瞼を開いた紗月姫がいた。







人気ブログランキングへ



 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ 3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ 3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第10章≪迷宮の天使≫・5】へ  【第10章≪迷宮の天使≫・7】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第10章≪迷宮の天使≫・5】へ
  • 【第10章≪迷宮の天使≫・7】へ