「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・7

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 どこから目を覚ましていたのかは分からないが、学は紗月姫が全てを悟っている事を前提に話を進める。
「斉先生は、もしも君が望めば、君をずっと寝た切りの安静状態にしてでも妊娠の継続に尽力してくれるかもしれない。例え子供を、超低出生体重児扱いにしてでも産ませて、保育器の中で命の可能性に懸けてくれるかもしれない。けれどそれらは、途轍もなく大きなリスクを孕んでいる事だ。君にとっても、子供にとっても、そして斉先生にとってもだ。……分かるね?」

 美春は口出しをする事が出来なかった。
 紗月姫に生きる希望を持たせる為、子供は生かしてあげたい。
 しかしそれを望むには、もしもの代償が大き過ぎるのだ。

「……分かりました」
 紗月姫はゆっくりと呟くように言葉を出し、微かに顔を斉へ傾ける。
「斉先生のお気持ちに……、準じます」
 斉は一瞬辛そうに表情を歪めるが、頭を下げて心痛を隠した。
「分かって頂き……、感謝致します」

 心で涙を流し、実際に見せぬよう堪え、美春はせめてもの気持ちで視線を逸らす。
 学に肩を抱かれて守られる美春を視界の隅に収めて、紗月姫は学に話しかけた。 
「学さん、お願いがあるのです」
 返事をする代わりに、学の視線が紗月姫へと移る。遅れて美春も後を追った。

「藤を、見たいのです。……神藤と一緒に……、この子と、一緒に……。三人で」


*****


 自分が泣いてもしょうがない。
 美春は何度もそう考え、流れ出る涙を止めようとした。
 だが出来ないのだ。紗月姫が置かれた状態を思うたび、彼女の気持ちを考えるたび、それに付属して神藤の状態と、決断を出されてしまった子供の事をも考えてしまい、心の中が悲しみでいっぱいになってしまう。

 ――幸せになれるはずだった。
 紗月姫と神藤の幸せは、確かに目の前にあり、二人の手中に収まっていたはずなのに。

「美春」
 呼びかけられ俯いていた顔を上げると、フロントガラスの向こうに覆面救急車の後ろ姿が見えた。
 学が運転するレクサスは、覆面救急車を追う形で後ろから走っている。助手席の美春は、車に乗ってから泣く事に一生懸命でずっと顔を上げられないままだった。
「もうすぐ、辻川邸に着くぞ」
 学は柔らかな笑みを浮かべて、美春の頭にポンっと手を乗せる。車は信号待ちで停まっていた。
 慰めをくれる学の笑みが嬉しい。彼だって辛いはずなのに。学の心を感じながら、美春は前方の覆面救急車に目を移した。

 紗月姫の望みは、すぐに実行された。
 今、あの中には、人工呼吸器を付けられたままストレッチャーに乗せられた神藤と、動きを制限され、車椅子に乗せられた紗月姫がいる。
 斉の他、三人の医師と五人の看護師が付き添い、もちろん章太郎は無言のまま紗月姫の車椅子を掴んでいるだろう。

 車は、辻川家の温室へ向かっているのだ。
 紗月姫と神藤、そして二人の愛情の証が、三人で藤を見る為に。

 藤棚は二人が出会った場所。
 二人の運命が廻り始めた場所。
 まるで二人を見守る為に咲き続けているかのような“神様が咲かせる藤”
 紗月姫は、藤の美しさを強く感じる時、必ず神藤を傍に呼んで一緒に見るのだと言っていた。
 藤棚は、二人の想いが満ち溢れる場所。
 その藤を、三人で見たいと言う……。

「何も……、してあげられないのね……」
 悔しそうに美春が呟く。信号が変わり、救急車の後を追ってレクサスも走り出す。学は前を向いたまま、望みを口にした。
「まだ終わった訳じゃない。……変える事の出来る運命は、まだ廻っていると……信じよう」


*****


 ――――藤棚は、今日も満開だ。
 薄紫色のカーテンが、温室の光に揺れている。
 それまで気まぐれにはらりはらりとだけ遊んでいた花びらが、紗月姫の姿を見た瞬間、騒ぎ出す。
 藤棚全体がざわりと揺らめき、花びらは舞い踊り出した。
 降り注ぐ光は角度を変え、車椅子で近付く紗月姫に道を標す。
 風は彼女を歓迎し、絹糸の黒髪をふわりと揺らした。
 
 まるで、藤棚の周囲だけ、違う空間になってしまったかのよう――。

 その光景を、学と美春は離れた場所から見入った。
 章太郎に車椅子を押された紗月姫が藤棚の下に入ると、医師達に守られた神藤のストレッチャーが傍に着けられる。人工呼吸機器も傍らに置かれ、電源はバッテリーに繋がれた。
 用意が済むと医師達が下がる。章太郎も紗月姫に頭を下げてから、共に出入口へ向かって歩き出した。
 他の医師達から外れて学と美春の傍へやって来た斉が、厳しい表情で学に念を押した。
「宜しくお願い致します学様。何かあったら、すぐ……」
「分かっています。すぐに、お呼びしますよ」
 学の返事を聞いて、斉も出入り口へと向かう。その後から歩み寄って来た章太郎は、痛切な表情のまま頭を下げた。
 そんな章太郎の肩に、学が手を乗せる。
「水野さん、信じましょう。最後まで」
「はい……」
 彼らしくない、小さな返事だった。

 学と美春を残し、他の者は温室を出る。これは、「藤を見たい」と言った紗月姫の望みを、最大限に譲歩したものだ。
 “三人”だけにしてあげたいのは山々だが、やはり神藤や紗月姫の状態から、まったく監視を無くす訳にはいかない。そこで学と美春が、藤棚から離れた場所で見守る事になった。

「以前学は、この藤棚が、あの二人を見守る為に咲き続けているんじゃないかって、言った事があるわよね……」
 美春はまっすぐに藤棚を見詰め、目の前で感じられる不思議な空間に心を奪われる。
「それは、正しいんだって、思えるわ……」

 藤棚が、紗月姫と神藤を包む。
 花びらが話しかける。
 薄紫の光に包まれた空間。
 そこは、別世界のようだった。

 美春にも、信じられる。
 ――この藤棚は、二人の運命を見守る為に、存在しているのだと。


*****


 藤の歓迎を受け、紗月姫は口元に笑みを浮かべた。
 ゆっくりと車椅子から立ち上がり、ストレッチャーへ寄り添う。
「……煌……」
 紗月姫はそっと、神藤の酸素マスクを外した。








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