「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・8

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「煌……、藤よ……」
 ゆるやかな優しい声で、紗月姫は神藤に囁きかける。
「藤を見るのは、久し振りでしょう?」
 ふわりと揺れた風が、紗月姫の髪を神藤の頬に垂らす。絹糸の黒髪を彼の頬から指先で拾うと、微かな体温が伝わってくる。それを感じて、紗月姫の胸はキュッと締め付けられた。
「煌……」
 左腕には点滴が施されている。紗月姫は神藤の右手を取り頬擦りをした。いつも彼がしてくれるのを真似て手の甲に唇を付け、そのまま下腹部へ持っていく。
「……一緒に、藤を見ましょう……?」
 神藤の胸に頭を乗せ、頬を寄せて、紗月姫は彼の心音を感じようと瞼を閉じた。

 幼い頃から、彼の心音を感じるのが好きだった。
 抱き上げてもらう時も、その腕の中で眠る時も、紗月姫はいつも神藤の胸に頬を寄せ、優しくも頼もしい心音を感じる事で、穏やかな気持ちを得ていたのだ。
 とくん、とくん、……と、いつもよりは儚い気配ではあるが、確かに生きている神藤の気配を感じられて、紗月姫は閉じた目頭が熱くなるのを感じた。

 下腹部が徐々に熱くなり始める。ピッタリと当てられた神藤の手が熱いのか、下腹部から漏れる“思い”が熱いのか、紗月姫には分からない。
 だが、涙で潤い始めた彼女の瞼の裏には、白い闇の中で見た少年が笑っていた。

「藤が……、運命を知っている……」
 無意識のうちに出た言葉は、本来少年が囁いた言葉ではあるが、紗月姫はそれを覚えてはいない。それどころか、ハッキリと見たはずの顔さえ、ぼんやりとした記憶に変わってきている。
 下腹部が熱くなればなるほど、少年の記憶は消えていく。
 それを不思議と感じる前に、“声”は聞こえた。
 ――――≪藤の役目は、終わるよ……≫

「煌……」
 紗月姫は神藤の鼓動を感じ、体内から沁み出す熱に陶酔し、この迷宮の出口を見る……。
「――ずっと、いっしょに居てね……」

 頭の中で大きな白い光がフラッシュする。
 その光の中に見えた少年を、紗月姫はもう覚えてはいない。


*****


「藤が……!」
 美春は叫び声を上げた口を両手で押さえた。学でさえ目を見開き、その光景を見ている。
 紗月姫が神藤の傍へ寄り添い彼に寄り掛かった時から、藤の花びらが激しく散り始めた。
 藤は間違いなく温室の人口送風以外の揺らめきを見せ、大きく乱れた後に一斉に花びらを散らし始めたのだ。
 まるで、スコールのように……。

 その様は、まるで藤のカーテン。
 花火のナイアガラさながら、火の粉の如くきらめいて零れ落ちていく。

 あまりにも不思議な光景に、学も美春も動く事は出来なかった。
 花びらは、寄り添い合う紗月姫と神藤の上に降り積もっていく。本当に雪が降り積もっているかのようだ。

 見詰める二人は言葉も出ない。
 だが、不思議な光景だと思いつつも、その影響を受けているのが紗月姫だと思うと、神秘的だという感情しか起こらないのだ。
 そしてそれは、思わず見惚れてしまうほどに美しい光景だった。

 花びらのスコール。
 薄紫色の火花のように……。

「……綺麗……」
 声を震わせ呟いた美春が、耐えきれず涙を零したほど……。
 この美しい花びらのスコールを、紗月姫は神藤と、そして二人の愛情の証と、三人で見ているのだろうか。
 神藤に寄り添い、動かないまま、藤の温情を感じているのだろうか。

 幻想的な光景は数分間続いたが、やがて全ての花を散らして終焉を迎えた。
 そこにあるのは、数分前に見事な花を狂い咲かせていたとは思えない、ただの枠組み。唯一絡み付いた蔦は、生命力の全てを失ったかのように項垂れている。
 その枠組みの中には、相変わらず紗月姫と神藤が寄り添ったままだ。
「何故……藤が……」
 口元から手を離し、美春が呟く。
 藤の幻想に興奮さめやらない彼女の肩を抱き寄せ、学は正面を見詰める。
 そこには、持ち得るエネルギーの全てを、見守り続けてきた二人に与えてしまった藤の抜け殻があった。

「藤の役目は、終わったのかもしれない……」


*****


 この数分間は、とても温かい時間だった。
 神藤の体温と心音を感じる中、彼の手が触れる腹部に熱がこもり、まるで神藤の手を介してお腹の子供と話が出来ているかのような気分になれた。
 目を閉じていても、目の前には藤の花が見える。
 さざめき、舞い散る、美麗な藤が。
 この藤を、神藤と、そして子供も見ているのだと思うと、とても幸せな気分になる。

 穏やかで心和むひと時。恍惚とした脱力感を覚えるのは何故だろう。
 身体の中から、大切な物を全て抜き取られてしまったかのような感覚だ。

 紗月姫はふと、ずっと下腹部に感じていた熱さが無くなっている事に気付いた。
 感じるのは、神藤の手の感触。そして、数分前よりも温かくなっている、彼の体温。
 紗月姫はそのままの態勢で、耳に感じられる鼓動に胸を高鳴らせた。
 僅かな響きしか感じなかった彼の鼓動が、胸に当てた耳にまで感じられるのだ。

「――――さつき…………」

 花びらが零れ落ちる音に消されてしまいそうなほど、小さな囁き声。
 それでもその声は、紗月姫の耳から身体に沁み渡る。  
 ゆっくりと瞼を開き、積り上がった花びらを身体から滑らせて、紗月姫は顔を上げた。

 ――――息が止まる……。

 呼吸をするのも忘れ、紗月姫は見開いた瞳を揺らめかせて、目の前に見えるものから目が離せなくなった。

 彼女を見詰める、愛しさに満ち溢れた、グレーの瞳から……。








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