「理想の恋愛 完璧な愛・シリーズ(第7部~第11部)」
理想の恋愛 完璧な愛・第11部

第10章≪迷宮の天使≫・9

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「……あき、ら……?」
 紗月姫の声が震えた。
 ぼんやりとした半開きの瞼。温室に溢れる光を吸い込み、グレーに輝く瞳は間違いなく紗月姫を見ている。
 安らぎを感じさせる、温かな双眸で。

「煌、分かる? ……私が、……見えている?」
 紗月姫は下腹部で支えていた神藤の手を胸に当て、両手で握り締めた。
「見て……。私を見て……。目を閉じては駄目よ……」
 紗月姫は必死になって神藤に話しかけた。彼の目は確かに彼女を見ている。しかしどこか虚ろで、本当に紗月姫の姿を認識出来ているのかが、限りなく不確かなのだ。
「煌……」
 目を開いてくれた。だが、もしかしたら何かの衝撃に身体が反応して瞼が開いただけで、意識が戻った訳ではないのかもしれない。
 微かに聞えた声も、気のせいだったのかもしれない。

 瞼を半開きにしたまま、神藤の表情はそれ以上動かない。声を発したと感じた唇も、動く事は無かった。
 紗月姫は神藤の手を握り締め、彼を睨み付ける。
「神藤! 返事をしなさい! 私が分からないの!?」
 不安と恐怖の両方を胸に、紗月姫は主人を演じる。
「いいこと!? 目を閉じては駄目よ! 命令よ、分かった!?」
 声を荒げ、両手で神藤の頬を挟むと、紗月姫は真上から混濁した彼の瞳を見詰めた。
「――お前の命は、私のものなのでしょう? ……私は、お前が死ぬなんて事は許しません……」

 支えられた神藤の頬に、ぽたりと雫が落ちる。それは続けざまに零れ落ち、彼の頬を濡らす。
「――分かったの? 神藤……。返事をなさい……」
 雫の正体は、こらえきれず零れる、紗月姫の涙だった。

「――――はい……。おじょうさま……」

 耳をかすった小さな囁きは、間違いなく神藤の声。
 涙腺は更なる崩壊を遂げ、紗月姫はもう泣く以外出来ない。止め処なく涙が流れ、彼女の頬を、顎を伝い服まで濡らしていく。時に神藤へ降り掛かり、まるで彼が泣いているかのように筋を作った。
「神藤……、しんど……っ……」
 みっともないと分かってはいても、溢れる涙と嗚咽が止められない。
 主人としての紗月姫に反応を示し喜んだのも束の間、彼の瞼は再び落ちそうになった。
「神藤……!」
「紗月姫ちゃん!」
 慌てた紗月姫の肩を掴み、神藤の傍から離したのは学だった。
 離れた場所から様子を見ていた学と美春は、紗月姫が必死になって呼び掛けている姿を見て、神藤が意識を取り戻したのだろう事に気付いたのだ。
 美春は温室の外で待機をしている斉を呼びに走った。すぐに医師達を連れて戻って来るだろう。

 紗月姫を避けさせた学は、うっすらと瞼が開く神藤の瞳孔を確認し、右手首を取る。厳しい表情は、刹那、安堵に和むが、彼はすぐに表情を引き締め神藤に声をかけた。
「神藤さん、しっかりしてくれよ。……貴方には、俺との約束を果たす義務があるんだ」
 心配そうに見守る紗月姫に目を移し、彼女と場所を変わる。閉じかかった瞼がまた少し開いたのを感じて、学は念を押した。
「紗月姫ちゃんを、一生守るって、約束しただろう? ……俺は、信じているから……」

 温室の通路が騒がしくなる。すぐに医師達が駆け付けてきて、紗月姫も学の手で車椅子へと戻された。
「気分は? 大丈夫かい?」
「はい」
 素直に返事をする花恥ずかしげな表情は、儚げだがとても可愛らしい。学が紗月姫の頭を撫でていると、美春が章太郎を伴ってやってきた。
「お嬢様、御気分は……」
 煩慮のあまり青くなってしまった表情は、紗月姫よりも章太郎の方が病人であるかのようだ。彼は紗月姫の膝に膝掛けを預け、医師達に囲まれた神藤を振り返った。
「神藤は……」
 彼とて心配だろう。大切な友人を、失うか失わないかの瀬戸際なのだ。
「大丈夫よ、水野。……神藤は……死なないわ」
 不安を拭い取ったのは紗月姫だった。彼女はにこりと微笑み、それ以上を口にはしない。
 章太郎は神藤の無事を信じるよう促してくれた学を見てから、紗月姫の前に跪き、「安心いたしました」と返事をした。

 病院へ戻る為に、ストレッチャーが動き出す。紗月姫の車椅子も、章太郎に押され後を追った。
 学も一緒に病院へ向かおうと美春を振り返る。しかし、美春の姿に彼の言葉は止まってしまった。

「有難う……」
 降り積もった花びらの中へ膝を落とし、美春は両手いっぱいに花びらを掬って、胸の中で抱き締めていたのだ。
「二人を……、ずっと見守ってくれて……、有難う……」
  
 学は口元をほころばせ、美春を見詰める。生命の抜け殻のような姿を晒す藤を見上げ、かつての姿を思い起こし、ふと憂愁の翳を落とした。
 長い間生命を維持し続けた樹木が、何かの瞬間、急速に命を閉じてしまう例がない訳ではない。
 だが、自分の目で見たあの神秘的な光景を、彼はただの自然現象で片付けたくは無かった。

 別れを名残惜しむように、花びらがふわりと舞い、学の足に絡み付く。
 美春の髪にも沢山の花びらが懐いているのを見て、学は彼女の傍らに屈み、一枚一枚、花びらを外していった。
「学……」
 花びらを抱き締めた美春を、学は柔らかく抱き締める。
「――大丈夫だ……、きっと……。――神藤さんには、天使が付いている……」

 その言葉を歓迎するかのように、花びら達は二人の周りで優しく舞った……。


*****


 ――――不思議な事は、まだあった。

 病院へ到着し、神藤が検査を受けている間、紗月姫は処置を受ける予定だった。
 しかし、その時はもう、彼女の中に胎児の姿は無かったのだ。
 斉は訝りながらも、医師としての見解でこの件を治める。流産が起こった時、既に胎児も流れていて体内に妊娠反応だけが強く残っていたと考えるか、若しくは、藤棚の一件で衝撃を受け、自然流産を起こしたか。

 どちらも、妊娠初期には有り得る症状だ。
 丁寧な斉の説明もあり、紗月姫が動揺を見せる事も無かった。

 ――だが……。

 消えた子供の命の行方を、学と美春がただの自然淘汰として考えられなかったのは、やはりその目で、藤棚の奇跡を見たからなのかもしれない……。








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