そうだ、君にキスしよう

第8話・君を好きな気持ち、全部全部

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「んっ……」
 それは、寝息と共に漏れる微かな呻き。
 目を覚ました訳ではないのだと分かってはいても、信は急激に妄想の世界から現実へと引き戻された。

(なっ、何をしようとしているんだ、オレはっ!)

 この距離、この行動、どう考えても、自分は涼香にキスをしようとしている態勢だ。
(しっ、しっかりしろぉ! オレっ!!)
 自分で自分を叱り、信は動きを止める。止めただけで離れないので、目は涼香の寝顔を見詰めたまま。そして、唇は触れてしまいそうなほど近寄ったまま。

「ごめん……、卑怯者になるところだった」
 あどけない寝顔に謝罪をして、信は屈み気味の身体をゆっくりと起こす。彼女の頭が肩から落ちないように気を遣うが、少し動かしてしまったらしく、見降ろせば見えていたはずの顔は俯き垂れた髪の毛に隠れて見えなくなってしまった。
 せっかくの寝顔ではあるが、まさか頭を持って直す訳にもいかない。そんな事をすれば、すぐに目を覚ましてしまうだろう。

(残念……。ま、しょうがないか……)
 信は涼香の後頭部を見詰め苦笑いを漏らす。眠っている彼女にキスをしてしまおうかなどと邪な考えを抱いた罰かと、少々後悔の念に捉われた。

 顔を前に向け、スクリーンに見入る。レポートを書いてあげる約束をしているのだ、途中からでもしっかりと観なくては。

 肩に感じる、彼女の重みと温かみ。
 幸せを感じながら、信は映画に集中しようと努めた。


 スクリーンに集中する彼は、俯き髪の毛に隠れた涼香の頬が赤くなっていた事にも、質感の有る可愛らしい唇が呟いたひと事にも、気付く事は出来ない……。

「……田島君の……バカ……。鈍感男……」

 呟いた後、彼女の唇が、嬉しそうに、花恥ずかしげに微笑んだ事にも……。


*****


 誰も居ないだろうと予想をしながら、男子生徒は三年A組のドアを開ける。今日の進路相談は彼が最後。教室で待機をしている者も居ないはずだ。
 しかし、ドアを開けて彼は立ち止った。
「あれぇ、田島? お前、今日相談日だっけ?」
 夕焼け射し込む教室に、信がひとり残っていたのだ。
 開いた窓の縁に両肘をかけて外を眺めていた彼は、肩越しに振り返り、「いんや~、なんとなーく残ってるだけ~」と返事をした。
 曖昧な返事ではあるが、思わず苦笑いを漏らしてしまうおどけ振りは信の得意技。男子生徒は私物を持ち、「じゃぁ、鍵閉められないうちに帰れよ」と教室を出て行った。

「バーロー、学校に泊る気は無いぞ」
 反論しながら再び窓の外へと目を向ける。彼が見ていたのは、前庭に見える桜の木だ。
 生徒玄関に近い場所に立つ、大きな桜の木。
 卒業生を送り、新入生を迎える桜は、全生徒にとって学校の存在と共に心に残るものだ。

 信が初めて涼香を見たのは、この桜の下だった。

 入学式の日、この桜の下に佇む彼女を見て、彼はひと目で恋に落ちた。
 彼女が持つ、たおやかな優雅さが、まるで桜の木の下に牡丹の花が咲いているのかと錯覚させるほどの感情を、彼に抱かせたのだ。

(凄く綺麗だった……。女の子を見て、あんなに感動したの、初めてだった)

 その感動のまま自分の気持ちを大切にして、同じくらい涼香という存在を大切に思ってきたはずなのに……。

(寝ている隙をついてキスしようとするなんて……。何て事をしようとしたんだっ、オレはぁっ!)
 学に相談すれば「そんなに悩むな。俺なんか美春の寝込みを襲いに行きたいくらいなのにっ」と、真顔で答える事だろう。
 しかし、何処までも涼香に対して真面目な彼は、どうしても考えずにはいられないのだ。

 信は溜息をつく。芸術鑑賞が終わった後、「有難う、田島君。ごめんね」と言ってくれた涼香の言葉に感動する事も出来ないまま、心の中には罪悪感ばかりが有った。

「ごめん……、涼香さん……」

 ポツリと呟くひとりごと。
 何故か、それに対して帰ってくる返事。

「いいよ。許してあげる」

(え!?)

 信は目を見開いて振り返った。
 何と涼香が信の真後ろに立っていたのだ。
「りょっ、りょーかさんっっ!!」
 驚きのあまり後ずさるが、後ろは窓だ。反り過ぎて頭が窓の外へと出て行きそうになり、彼は慌てて態勢を整え直した。

「はい、これ」
 そんな慌てる彼に、涼香は一本の缶コーヒーを差し出す。
「居眠りの片棒担いでくれたお礼。ごめんね、一本で。今度、ハンバーガーでも奢るから」
 にこりと笑って繰り出される、嬉しすぎる言葉。
 信は缶コーヒーを受け取りながら、彼女の頬笑みを穴が開くほど凝視した。
「あ、有難う……。涼香さん……」
 有難そうに両手で受け取ってしまった為、缶を持っていた彼女の手を触ってしまった。信が気にしてしまう前に手を引いた涼香は、後ろ手を組み肩を竦めて見せる。
「ごめんね、田島君」
「え?」
「謝らなくちゃならないのは私の方……」
「……どうして?」
「ずっと、田島君の事無視するような態度を取っちゃったでしょう?」
「あ、……それは……」
 それは自分が悪いのだと、信は改めて自分の軽口を反省する。しかし涼香は、とんでもない事実を口にした。

「だって、恥ずかしかったんだもん。同じ事考えていたのよ。『じゃぁ、一回キスしてあげるから、私の下僕になる?』とかって。そんな事を考えちゃって恥ずかしくなっているところに、田島君が同じ事言うんだもん。恥ずかしくて恥ずかしくて、顔なんか見られなかったわ」

 信は再び目を見開いた。
 頬を染めて「ごめんね」と、はにかむ涼香。
 これは夢ではないのか。冗談でも、同じ事を考えてくれていたという事実が堪らなく嬉しい。

「本当に……?」
 呆然とする信に、涼香はコクリと頷く。安堵感が津波の様に彼へと襲いかかり、信はズルズルっと身体を滑らせて床に座り込んだ。
「ちょっとっ、田島君っ」
「良かった……」
 貰ったコーヒーを額に当て、その冷たさで頭を冷やす。
 信は目を閉じ、心からの安心感に身を投じた。

「ホント……、良かった……。嫌われたのかと思った……」

 さりげなく告白めいた言葉を口にしてしまったが、彼女は気付いてはいないらしく、信に合わせて床に正座をすると首を横に傾げる。
「じゃぁ、次は田島君の番ね」
「何?」
「さっき、どうして謝ったの? 教えて?」

 信はドキッとする。さっき謝った理由など答えられる訳がないではないか。
「『涼香さん、ごめん』って謝っていたでしょう? 一応返事はしたけど、何、何? 何かすごい事? 更衣室覗いちゃったとか、体操服持ち出したとか、やっぱりスカートが欲しくて画策してた?」
「それじゃぁ変態じゃん。オレっ」

 声をあげて楽しそうに笑う涼香を見て、信はホッとするのと同時に、今すぐにでも抱き締めてしまいたい衝動にかられる。
 不謹慎だと思っても、そう思ってしまう気持ちは止められない。

(それだけオレ、涼香さんが好きなんだ……)

 だったらそれで良いではないか。
 彼女に対して不謹慎な想いを持ってしまうほど、彼女に避けられてあんなにも辛くなってしまうほど……。
 信は涼香が、好きなのだ。

「だからぁ、今回の芸術鑑賞、涼香さんの顔ばっか眺めていたから内容もよく覚えてないんだ。レポート、上手く書けなかったら嘘つきになるだろ? だから、ごめん、って」
「えぇーっ、酷いっ、信用してたのにぃ」
 責めつつも笑う涼香を見ながら、信は誓う。

 近いうち、きっと、涼香に気持ちを伝えよう、と。

 好きだっていう気持ちだけではなく、一年の時からずっと、どれだか彼女の事を好きでいたか、全部伝えよう、と。

「しょうがないなぁ、じゃぁ、ハンバーガーショップのポテトで勘弁してあげる」
「承知した!」
 親指を立てて信が笑うと、涼香は頬を染め、彼の心を誘った唇を嬉しそうに形作る。


 ずっと、切ないほど、苦しいほど、好きだった気持ち。
 伝わるまで、何度でも言おう。何度でも、その唇に伝えよう。

 伝わるまで、何度でも、何度でも。

 君に、キスしよう――――。




     『そうだ、君にキスしよう』

      END










**********

後書き

 こんにちは。玉紀 直です。
『そうだ、君にキスしよう』お読み頂き、有難うございました。
 短いお話でしたが、楽しんで頂けましたなら嬉しいです。
 
 信君と涼香ちゃんは、別作品にも登場しています。
 知っている方も知らない方も、これからも二人をどうぞよろしくお願いいたします。

 また別の作品でお会い出来ますように。

 有難うございました。


     玉紀直
     2012/08/07





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~ Comment ~

直さん、こんばんは(*゜▽゜)ノ

【君キス】ありがとうございました(*'-'*)

甘酸っぱいわぁ~。じれったいけど、高校生ならでは…ですよね。
カンが鋭い学クンあたりは2人の気持ち解ってるんだろうなー(でも癪だから教えない(笑))

信クンと涼チャン、連載当初から大好きです!!

みわさんへお返事です8/11

みわさん、こんにちは!

『君キス』読んで頂き、有難うございました!

 大好きなジレジレ系が書けて楽しかったですよ。^^

 二人が付き合う時期が決まっちゃってるので、どんなに良い雰囲気になっても手を出せない、っていうのは、私もじらされてるみたいで「きーー!」ってなります。(笑)

 信君と涼香ちゃん、これからも宜しくお願いします。^^

 有難うございました!

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