理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第5章6(ma cherie)

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「君に会いに来たんだけど、留守みたいだから帰るところだった」
「アラン……」
 驚きに目を丸くするエリを前に、アランは笑顔で胸を撫で下ろした。
「良かった。もう少しで秘書にタクシーを向かわせるように頼んでしまうところだった。出かけていたんだね、……買い物、というほどではないみたいだけど……」
 一枚物のワンピースにシフォンのショール。ショルダーバッグの他には、ジェラート専門店の小さな箱。大きな買い物がないのは一目瞭然だ。
「どこへ行っていたんだい?」
「教えてあげないわ」
 詮索をするアランから、拗ねた態度で目を逸らす。御機嫌斜めの様子に彼が困った顔を見せた時、チラリとだけ彼に視線を馳せた。
「何のために日本へ帰って来たのか、どころか、美春や夫の仕事に深く関係する人間になっていることさえも教えてくれなかった人に、私を詮索する資格なんてないのよ」
「おや? ミハルに聞いたのかい?」
「アランが、ずっと美春を手古摺らせていた会社の社長だなんて……。驚いたわ。もっとも、美春はもっと驚いたでしょうけど」
 エリに拗ねられても、アランとしては可愛いとしか思えない。クスクス笑い出した彼を見て、エリはふいっと横を向いた。

「懐かしいなぁ、昔も、そう言われたことがあったっけね。『アランに私がしていることを詮索する資格なんてないでしょう。そんな資格は、恋人や旦那様の特権よ』って」
「言ったわよ。だって、その通りでしょう?」
「――だから僕は、『そのどちらかになりたい』って答えた。――覚えている?」
 エリは息を詰める。蘇る過去に動揺を見せないよう、ゆっくりと息を吐きながら小声で言い捨てた。
「忘れたわ……」
「自分が言った文句は覚えているのに?」
「覚えていたくないことは、すぐに忘れるようにしているの」
「じゃぁ、僕とのことは、覚えていたいこと、だったんだね?」
 言葉を逆手に取られ、エリは口をつぐんだ。下手なことを言えば、次はどんな揚げ足を取られるか分からない。

 ふと、一真の言葉が脳裏をよぎる。美春を手助けする意味で、アランにひと言口添えしてはどうかという話だ。
 あの時は、ロシュティスの社長と妻が知り合いだったのだという事実に呆然としてしまった大介に気を回していたので、一真への返事は保留になっていた。だが、ひと言くらいなら言っておいても良いだろうか。
(冗談っぽく言えば、角も立たないかしら……)
 だがそんな話を持ち出せば、彼は調子に乗ってエリが回答に困る条件を出してくるかもしれない。
(でも、……大介と美春の為になるなら……)
 おかしな言及をし出したら、話をはぐらかして「はいはい」と笑えば良い。昔からアランの悪ふざけは度が過ぎるのだ。
 顔を逸らしたまま思案を巡らせていると、アランが身を屈めエリの顔を覗き込んできた。
「……お願いしても良いんだよ? エリ」
「何を?」
「ミハルをよろしく頼む、って。……彼女が、昨年から我社との契約に必死になっているのは知っているだろう?」
 エリは返事もせず、後の台詞を黙って待った。彼のことだ、きっとこの後、「その代わり……」と交換条件を出してくるに違いないのだ。

 だがアランは、条件などは出さなかった。
「エリがお願いするなら、僕は最大限ミハルを頼まれてあげても良い。――それこそ、彼女の将来まで、引き受けてあげよう」
 驚きに目を見開き、エリは至近距離にあるアランの顔を直視した。彼が何を考えているか真意を測りかねていると、アランはエリの顎を指先で挟み顔を更に近付けたのだ。
「……ね? ma cherie(マ・シェリー)」

 唇が触れそうな一歩手前で、エリの指が唇の前に翳される。アランの吐息は細い指の前で止まった。
「また間違っているわ……アラン」
 瞳の奥に宿る碧に警固の気配を湛え、エリはアランを睨み上げる。

「私は“シェリー”じゃない。“エリ”よ。昔から、何度同じことを注意したら分かるの?」

 エリの表情に眉を寄せたアランは、彼女から手を離して一歩引く。ふっと鼻で息を抜くと、両手を軽く肩の高さに上げおどけてみせた。
「エリに睨まれるのはこれで二回目だ。……今回も君がこんな目をしたのは、“自分を守るため”なのかい?」
 キスをされそうになったことに対する自衛かと思われたエリの態度。しかし彼女は、家族も見たことがない険しさでアランに反論した。
「違うわ。――大切な“分身”を守るためよ……」

 須臾(しゅゆ)の沈黙。
 だがふたりにとっては、とても長く感じる時間だった。
 アランの額から一筋顎を伝い落ちた汗は、決して暑く照りつける太陽の陽射しのせいばかりではないだろう……。

 先に動いたのはアランだ。だが彼は再びエリに触れるのでもなく、ゆっくりと彼女の横を通り過ぎていった。
「また顔を見にくるよ、シェリー。心配しなくても、今回の仕事はミハルを泣かせる結果にはならないだろう」

 離れていくアランを背後に感じ、エリは下唇を噛んだ。
 「シェリー」と呼んだ彼が、二十五年前の彼と重なる。
 “ma cherie(マ・シェリー)”はフランス語で、男性から女性へ対する愛の言葉。
 “わたしの最愛の女性”という意味を持つ言葉を、アランは二十五年前からエリに対して使っていた。
 それを彼得意のジョークであると思っていたエリは、「違うわよ。“シェリ”じゃなくて、私は“エリ”よ」と返していたのだ。
 ふたりにとって、それは挨拶のようなやり取りだった……。

 だが、知り合って一年も経った頃……。
 アランの言葉が……、冗談ではなかったと知った……。


「美春に何かしたら、許さないんだから……」
 苛立ち高まる心。怒りに震え出しそうなエリの心をいつもの彼女に戻したのは、握り締めていたジェラート専門店の箱だった。
 元々タクシーで家の前まで行くはずだったので、テイクアウト用のドライアイスは三十分保冷該当量しか入れてもらってはいない。
 タクシーを降りてから何分経ってしまっているだろう。この炎天の空の下だ、ジェラートは溶けかかっているのではないか。
 溶けかかったアイス系を、家庭用冷蔵庫で冷凍すると硬さや味が変わってしまうのは誰もが知る事実だ。
「大変……、皆に食べさせてあげられなくなっちゃう……」
 今あった嫌な出来事など忘れたかのように、エリは家族の為に駆け出した。







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