理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第5章8(二度目の目覚め)

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「会長、この後の予定なのですが、社へ戻る前に寄って頂きたい場所があります」
 そのまま空想の中で美春の頭を連打してやろうかとも思った櫻井だが、間接的に話題がさくらに触れたことで、本来伝えるべき要件を思い出した。
「何だい? 前のスケジュールが早め早めに済んでいたから、会社で少し休めるかと思っていたのだが? 余裕が出来た隙間にも仕事を入れ込んで行くなんて流石だね」
「有難うございます」
「以前専務が櫻井君に秘書代行を務めてもらった時、見事なまでのスケジュール管理能力に息切れを起こしていた。あの専務を息切れさせるなど大したものだ。私は専務より年配だからね、少し手加減してくれなくては困るな」
「かっ、会長……」
 うろたえる彼を見て楽しげに肩を震わせる一を前に、櫻井は空咳をして気を取り直そうと努める。窓から外を確認し、あらかじめ運転手に言い付けてあった目的地が近いと察すると、一へ笑いかけた。
「辻川総合病院へ、寄ります」

 ふと一の笑いが止まる。理由を訊こうとする前に櫻井が先手を取った。
「余計なことをしてしまい申し訳ありません。思ったよりも予定が早く進んだので、社へ戻る前のルートに入れさせて頂きました。そんなに多くのお時間はとれませんが、お会いになって声をかけられる程度ならば大丈夫かと思います」
 さくらが原因不明のまま眠っている件を知っているのは身内だけだ。会社では疲労ということになっているので、もちろん櫻井もそう思っているだろう。
 会長付きである彼は、仕事中の一とさくらが、どれほど互いを認め信頼して仕事をしているかを知っている。仕事が終われば、もちろん一は様子を見に行くのだろうが、その前に少しでも肇の姿を見て声をかけてもらったなら、さくらの回復も違うのではないか、櫻井はそう考えたのだ。

 献身的な部下を見詰め、一は表情を和めた。
「感謝するよ、櫻井君」

 その表情の中に嬉しげな一を見付け、櫻井は今回の判断に自信が持てたのと共に、とても気持ちが明るくなった。


*****


 車を駐車場に待たせ、病院内へ入ったのは一のみだ。
 機嫌良く車を降りる際、「社へ戻ってからも予定が入っています。お気持ちはお察しいたしますが時間通りに出てきてください」とひやかされたが、「その時は、この予定を組んだ君の失策として、始末書を出してもらう」と笑顔で櫻井を脅したのだ。

「さくら……」
 呼びかけながら病室へ入る。
 名前を呼べば、彼女の笑顔が返ってくるのではないだろうかとの希望が、胸を過るのだ。「何ですか? 一さん」そう返事をしてくれる気がするのだ。
 ベッドへ近付き、傍らから身を乗り出して、眠るさくらの顔を覗き込む。相変わらず眠り続けている彼女に、一は再度声をかけた。
「……さくら」
 彼女の寝顔を見詰めていると、昔からこうして黙ってさくらの寝顔を見詰めているのが好きだった自分を思い出し、一の心も表情も和む。
 さくらが花嫁修業として葉山家へ入ったのは十四歳の時だ。娘時代の彼女は、今の落ち着き払った様子よりも無邪気で可愛らしさが目立つ少女だった。大和撫子気質はその頃から強く、まだ結婚もしていないうちから一を夫として立ててくれる、そんな女性だった。

 ――――はい、一さん。

 呼びかければ、とても可愛らしい笑顔と声で返事をしてくれたさくら。
 瞼を開かない彼女を見詰め、一は心の中に、瞼を開き微笑む彼女を忍ばせる。
 ――すると……。

「……んっ……」
 小さな呻き声をあげ、さくらがもそっと動いたのだ。
 単なる睡眠時反応だろうとそのまま見ていた一だが、彼女は手を瞼に当て、呻きながらひとこすりした。
「ぅ、ん……」
 それも、ころりっとうつ伏せに転がり、枕にくりくり顔をこすりつけ、もそもそ動きながら身を縮めたのだ。
「……さくら?」
 この小動物を思わせる動きには覚えがある。昔はよくこの動きを、真横で見た気がするのだ。

 一の声に反応をしたのだろう。さくらはゆっくりと顔を上げた。半開きだが瞼も開いている。
「さくら」
 再度の問い掛けに、さくらの顔が動いた。ぼんやりとした瞳が一を見詰め、しばらくして彼女はふわりと真綿のような笑みを浮かべる。
 その笑みに、一は己の中に動揺を感じた。さくらの笑顔に戸惑うなどおかしな話だが、その表情は、“今のさくら”ではなかったのだ。

「はい、一さん……」
 彼女は、彼女としていつも通りの応答をした。小さな動きでベッドの上で正座をすると、流美な所作のまま三つ指をつき頭を下げたのだ。
「おはようございます。……一さんより遅く起きてしまうなんて……、失礼をいたしました」

 一は言葉を失った。これは、彼にしてみれば非常に珍しいことだろう。
 せっかくさくらが目を覚ましたというのに、彼は今、信じられない事実を目の前にして、心を動揺に支配されようとしている。

 寝起きの動作、小さくあがる呻き声、花恥ずかしげな微笑みと、一を呼ぶ愛らしいトーン、穏やかな口調。

「さくら……?」

 それら全ては、少女の頃のさくらを思わせるものだったのだ――――。








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