理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第5章9(難局の予感)

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「専務、研究室の光野です。入ります」
 ノックと共に聞こえた声は、瞬時にして学の背筋を直立させた。
 ドアが開くと彼の腰は上がる。立場的には立ち上がって迎えなくてはならない相手ではないが、無条件に気を遣ってしまうのは、やはり相手が美春の父親だからだろう。
「室長、どうかしましたか? 伝達をくれれば私から……」
 デスクを回って前へ出てきた学に、大介は苦笑いを見せながら、手を顔の前で左右に振った。
「学君、一から連絡は入っているかい?」
 親しみのある口調と、白衣に負けないくらい爽やかで優しい笑顔は、学に仕事用ではなくプライベートで話をするように促していく。学は喜んで態度を変えた。
「いいえ、来ていませんが、どうかしましたか?」
 問いかける学に掌を立てて制止をかけ、左右を見回す。どうやら彼は内密の話をしようとしているようだ。
「美春は?」
「秘書課のオフィスにいると思います。もう三十分もしないうちに来るでしょう。呼びますか?」
「いや、いない方が良いんだ」
 これは何とも珍しい言葉だ。大介が美春を邪魔にするなど普通で考えれば有り得ない。

「さくらさんが目を覚ましたらしい。一が病院に寄ったところ、ちょうどタイミング良く起きたそうだ」
「本当ですか? じゃぁ、仕事が終わったら俺も……」
「いや、可能なら今すぐにでも病院へ来て欲しいと連絡が入ったんだ。出来れば……、美春は抜きで……」

 学は眉を寄せる。さくらが目を覚ましたのなら、美春だって彼女には会いたいだろうし、さくらだって可愛がっている美春には会いたいはずだ。それを、よりによって一が「連れてくるな」と言及するということは、彼女には聞かせたくない話、つまりは“良からぬ話”があるということではないのか。
 学に連絡を入れて、もし美春も一緒にいたのなら、彼女は会話の内容を気にするだろう。それだから一は、大介にのみ連絡を入れ、学を連れてくるように頼んだのだ。ただし、美春抜きで。

「分かりました、すぐに用意をします。美春はタクシーで帰らせます。……自宅に」
 最後にわざわざ“自宅”と付け足したのは気を遣ったわけではないのだが、大介は少しだけ複雑な表情をした。


 一階のエントランスで落ち合う約束をして大介が専務室を出ると、学もまずは美春に連絡を入れるために内線電話に手を伸ばした。
 しかし丁度その時、腰のホルダーでスマホが着信を伝えたのだ。見ると、かけてきた相手は紗月姫だ。
 彼女がアランを調べさせて二時間以上が経過していることから、学はスマホを握る手に力が入った。この電話は、間違いなくその件であろう予想がつくからだ。

『学さん? ご機嫌いかが?』
 紗月姫の第一声はご機嫌だった。楽しくて堪らないという口調。ただこれが、幸せで楽しい、の意味ではなく、“これから面白くなりそうだ”という意味での楽しさなのだと、学にはすぐ分かった。
「もちろん御機嫌だよ。母さんが目を覚ましたらしくてね。これから病院へ行くところだったんだ、光野室長と一緒に。……美春抜きでね」
 これだけで、紗月姫は状況を察したようだ。
 須臾の沈黙を見せるが、その間、得たばかりの膨大な情報や憶測が、彼女の脳内で動いたことだろう。

 耳に紗月姫の悪戯っぽい笑い声が入ってくる。今この時に連絡を入れてくるなど、何というタイミングの良さ。彼女はもちろん、決して「NO」とは言わせぬ気迫で、学にお願いをしたのだ。
『私も行ってよろしいですね? さくら伯母様のお顔も拝見したいし、一伯父様と光野博士にも、ぜひ聞いて頂きたい一件がありますのよ?』

 もちろん、駄目だなどという言葉が出ようはずがない。
 そして学は、さくらの異常にアランが関係しているのではないかという一件が、気になって仕方がなかった。


*****


「お母さん、風邪?」
 自分のことを棚に上げたわけではない。仕事を終えて家に帰った美春は、本当にそう思ったのだ。動きがノロいから「元気がない」と思われ風邪疑惑をかけられた美春に対して、エリはソファに横たわっていたのだから。
「お帰り美春。どうしたの? 何か取りに来たの?」
「違うの、学がね、急に社長と研究室室長に挟まれての会議に連れ出されちゃったのよ。で、帰って来たらお母さんが寝てるんだもん、具合悪いのかと思ってびっくりしちゃった。一真は?」
「今日は家庭教師のバイトの日よ。お父さんも遅くなるって電話が来ていたし、ふたりに夕食はいらないって言われちゃったから、胸やけもするし、お夕飯の支度さぼって転がってたの。でも、美春が帰ってくるとは予想外だわ。ごめんね、すぐ何か用意してあげるね」
「いいよ、いいよ。連絡もなしに帰って来ちゃったし。自分で何か作るよ。それより、胸やけがするって、どうしたの?」
 立ち上がりそうになったエリを両手で制した美春は、ソファの前に置かれたテーブルに、空になったジェラート専門店のカップが四つ置かれていることに気付いた。

「まさかと思うけど、お母さん、……これ、全部食べたの?」
「んー、皆の分買ったんだけどね、あまりの天気に気持ちが良くて、公園前でタクシーを降りて散歩していたのよ。そうしたら半分溶けちゃって……。これって冷凍し直しても美味しくないでしょう? そんなの皆に食べさせるのもなんだし、……溶かした責任とって、午後からずっと食べてたの。そうしたら胸やけしちゃって……」
「んもっ、何やってんのっ」
 照れ臭そうに話したエリではあるが、美春は両手を腰に当ててプンっと怒って見せる。
「良いじゃなの、少しくらい風味が変わったって。『お散歩してたら溶けちゃった、ごめんね』ってお母さんが言って、責める家族はウチにはいないよっ。もぅ、何を無理してるの」
 娘に叱られ両肩を竦めるエリの横に腰を下ろし、美春はその肩に抱き付いた。
「私が冷たいもの食べ過ぎたら『おなかこわすよ』って怒るくせに。ひとりで四個も食べてずるい」
「それ怒るとこ? でも、ごめんね」
「お腹痛くない? 今度溶けかかっても冷凍庫に入れておいてね。お母さんがお腹痛いなんて泣き出したら、お父さん心配で仕事にならないよ」
 心配しつつもからかってくる美春の頭をコンッと小突き、エリは娘の肩を抱き返す。
「ありがとう……、美春」

 んふふっ、と嬉しそうに抱きついて来る美春の温かさが、冷えていた身体を温めてくれる。
 冷えていたのはジェラートのせいではない。
 エリはどうしても、アランの行動を思うと薄ら寒い気持ちに襲われてしまうのだ。

(どうか……どうか美春に、何も起こりませんように……)

 何に願ったら良いのか分からないまま、エリは美春を抱き寄せる腕に力を入れる。
 まるで、守ろうとするかのように。








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