理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第7章2(一の決意)

 ←第7章1(夫婦愛) →第7章3(ティータイムの彼女)
 ――――絶対に、起こしてね、一さん。

 さくらの声がいつまでも耳の中で繰り返される。それを心地良く感じながら、一は彼女の髪を指で梳いた。
「絶対に起こしてやる。……案ずるな……」
 返事のないさくらを見つめ、病室を出る。ドアを閉めた途端いきなり去来する寂寥感に、一は眉を寄せ溜息をついた。その時、そんな彼の心情も知らず、とても明るい声がかけられたのだ。
「お父様!」
 視線を向けた先には、弾む足取りで近付いてくる美春がいる。その後ろには学の姿もあった。
「やぁ、美春ちゃん。学も」
「お父様の社用車があったので、来ていらっしゃるんだと思いましたが、もうお帰りですか?」
「ああ。あまり待たせると、櫻井君の眉間にしわが増えてしまいそうだからね。まだ若いのに」
 一の台詞通り、眉間にシワを刻んだ櫻井を想像してしまい、美春はぷっと噴き出した。それだけでは足りず声を上げて笑ってしまいそうな彼女の背を叩いて、学がもしやと尋ねる。
「お母さんが目を覚ましてから美春を会わせていなかったので連れてきたのですが……。お父さんがお帰りということは、もしかしてお母さんはお休みですか?」
「ああ、今しがた眠ったところだ。美春ちゃんが来ると分かっていたら、もう少し起こしておいたのだが……」
 ふたりの会話を聞いて、美春は驚きの声を上げる。
「え!? また眠ってしまったんですか!」
 再びさくらが深い眠りについてしまったのかと思ったのだ。だが、もちろん一は軽く笑って否定をした。
「眠るには眠ったのだけどね。美春ちゃんが心配しているものではないよ。さくらは、少し休んでいるだけだ」

 少し休んでいるだけ。そう口に出した一本人が、自分自身に再確認をさせる。
 ――深い眠りに、入ったわけではないのだ、と。

「確認してから来た方が良かったですね……。私、いつでも会える気になっちゃって……」
「さくらも美春ちゃんに会いたがっていたよ。また上手く時間を作って、会いに来てあげてくれるかい?」
「はい、専務を急かして、時間を空けます」
 張り切って答える美春に、学はフォローが入れられない。彼女の自信を見ていると、以前櫻井に秘書代行を務めてもらった時、一分一秒のズレも許してもらえなかった経験を思い出してしまう。
 美春は櫻井の指導を受けているのだから、少々似てくるのは当然なのかもしれないが、学としては微妙だ。

 一も学と同じ人物を思い出したのか、チラリと学に同情的な視線を送る。だが、滅多に見られない複雑そうな学の表情を目に、父親として気持ちが和んだ。
 さくらにしか見せない表情というものが一にあるように、学にも、美春の言葉にしか反応しない表情がある。
 学の気持ちを思えば、アランの被験者になったのが美春ではなくて、本当に良かったと思えるのだ。
 そして、さくらに降りかかったこの一件は、自分が動けば良いだけだ、と……。

「ルドワイヤン社長は、今日は来ていなかったのかい?」
 仕事の話を振られ、可愛らしく笑んでいた美春の表情は引き締まる。間を置くことなく彼女は即答した。
「はい。次回は金曜日にいらっしゃいます。なんでも、日本にロシュティスの支社を置く計画があるらしくて、本社との会議もお忙しいご様子でした」
「日本にかい? いずれは進出してくるだろうと思われていたが……、初耳だ」
「はい、『一応極秘』だそうです。昨日、帰り際に教えて頂きました。オフレコのようでしたけど」
「良いのかい? 私に話してしまって。社長は、美春ちゃんにだから話したのではないのかい?」
「ですから、これもオフレコ、もしくは“ひとりごと”です。私にだけではないですよ、専務もいました」
 屈託なく笑う美春を、一は微笑ましく見つめる。張り切る彼女に、ロシュティス日本進出の先駆けとして、この提携を進めていきたいという意気込みが見えるようだ。
 激励の意味を込めて美春の肩をポンッと叩き、一は学に視線を向けた。
「ならば尚更、社のためだけにではなく、お前達のためにも、成功させなくてはな」
「はい」
 意欲に満ちた返事を耳に、一は頼もしさを感じる。
 仕事の件で、今ふたりに口を出す必要はないだろう。

 一がやるべきことは、別にある――――。


*****


 急な出張が入った一は、発つ前にもちろん病院へと向かった。
 金曜には戻ると、直接さくらに伝えたかったのだ。
 まだ十九時だ、本でも読んでいるか、もしかしたらパソコンでも眺めているかもしれない。
 そう気楽に考えていた一の足は、看護師の話を聞いて緊張に早まった。午後から眠ったさくらは、今だ目を覚まさず、用意された夕食も手つかずだという。
「さくら!」
 静かな病室へと飛び込み、ベッドへ駆け寄る。教えられた通り、彼女は目を閉じて横たわったままだ。
 昼に取り上げた本は、そのまま枕元に置かれている。目を覚まして動いた様子も見られない。
(まさか……、また……)
 胸が詰まるような不安が襲い、一はさくらを揺すった。
「さくら、……起きなさい。……さくら」
 また深い眠りに入ってしまったのだろうか。それを覚悟した一だったが、不安はすぐに解消される。揺すられた振動と呼び掛けに、さくらがうっすらと目を開いたのだ。
「……さくら……」
 ホッと安堵の息が漏れた。彼女は眠りについてしまったわけではないのだ。
 しかし、一の姿を目にしたさくらは、目をこすりながら慌てて起き上がった。
「……一さん……、お仕事は終わったのですか? お疲れ様で御座いました。……すみません、起こして頂くなんて、……私……」

 安堵したはずの息が止まる。それは、再び見せ付けられる、さくらの退行現象。
 目を覚ましてはいても、安心などはしていられないのだ。目に見えていなくても、症状は間違いなく進行しているはずなのだから。
「さくら……」
 一はベッドに片膝をつき、キョトンッと小首を傾げる彼女を抱き寄せた。
「どうしたのですか、一さん? 何か悲しいことでもありましたか? 大丈夫ですか?」
 あどけない口調は、先日見せた退行反応よりも幼い。
 目を覚ましていたとて、さくらが“今のさくら”ではない限り、眠っているのも同じだ。

「……絶対に……、私が起こしてやる……」

 一は呻くように呟き、彼女を強く抱き締めた。


 ――――そして。
 
 一が決意をしたその夜から、さくらは再び、深い眠りへと落ちたのだ……。








人気ブログランキングへ




もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第7章1(夫婦愛)】へ  【第7章3(ティータイムの彼女)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第7章1(夫婦愛)】へ
  • 【第7章3(ティータイムの彼女)】へ