理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第8章2(止まらない涙)

 ←第8章1(驚愕の光景) →第8章3(見送れない理由)


「そんなことはありませんよ。ルドワイヤン社長」
 だが一は、自分の為、そしてさくらの為に、アランの希望通りの返事はしなかった。
「さくらはとても物分かりの良い素直な少女でした。自分の置かれた立場をしっかりと分かっていた。あの頃は、かえって私の方が排他的だったのかもしれない。さくらに優しい気持ちをもらって、人間らしい心も貰った。……彼女は、出会った時から、私の宝物ですよ」

 土下座をさせられ、その姿を部下と娘に見られ、額が床につくほど頭を踏みつけられて、プライドや威厳までも踏みにじられようとしているというのに。一の口調は、いたって穏やかだ。
 彼はいつもそうだ。とかくさくらに関する話をする時は、言葉も口調も、とても幸せそうな響きを持つのだから。

 アランは酷く悔しかった。優位に立っているのは自分であるはずなのに、身体中を襲う遣る瀬無さが、地団駄を踏んでしまいたくなるほどの切歯扼腕を起こさせる。
 このまま力任せに頭を蹴り上げてやりたいくらいだが、流石にそれは大人げない。おまけに視界の端に映り込んでいる美春が、櫻井に身体を支えられたまま、涙をぼろぼろと流し、今にも泣き崩れてしまいそうではないか。
 アランは怒りの形相を解き、鼻で笑って足を除けると、美春へ歩み寄りながら一寸逃れを図る。
「泣かないでくれ、ミハル。君に泣いて欲しかったわけじゃないんだ」
 櫻井に抱き支えられ、彼の腕にしがみついたまま口惜しさにカタカタと震える美春に笑いかけて、アランは彼女の頭を撫でた。
「おかしなところを見せてしまった。怖がらせてしまったかい? 悪かったね。でも来週には、君が喜んでくれる結果と返事を持って来社をするつもりだ。待っていてくれ」

 喜ぶ返事と結果とは何だろう。単純に考えるならロシュティスとの契約のことだ。手応えは感じていたが、アランが社長としてこの件を取り結びに入ってくれるとでもいうのだろうか。

「この先も、ミハルとはずっと関わり合いを持って行きたいと思っているんだ。きっと、その泣き顔を笑顔に変えてくれるものだと信じている」
「……社長……」
「待っていてくれるね、ミハル」
 アランの口調は、優しさと慈しみに溢れていた。仲の良かった知人の娘であるにしろ、さっきまでの彼とはあまりにも違いすぎる。すぐ傍にいる櫻井は、同じ男として嫌なものを感じた。

 アランはグレースへと視線を向ける。彼の視線から撤退の意思を感じ取った彼女は、書類を素早くまとめノートブックを閉じて立ち上がった。
 そしてアランは次に、平伏したまま動かない一に声をかける。
「来週、お返事しますよ、葉山会長。ですが心配はしないでください。抗体は、恐らくそちらへお渡しすることになるでしょう。――あ、すみません、頭は上げて結構です」
 美春の肩をポンッと叩き、アランはそのまま歩き出す。後を追ったグレースが呆然とする美春を見て辛そうに眉を寄せたが、それも一瞬だった。

「会長!」
 会議室のドアが閉まりふたりの姿がなくなると、美春は櫻井の腕を振り切り、弾かれたように一へと駆け寄った。
「会長! 大丈夫ですか……あの……」
 涙も拭わず泣き顔のまま、立ち上がりかけている一を気遣う。慌てて屈み、付いたかどうかも分からないズボンの汚れを手で払っていると、その腕を一に掴まれゆっくりと引き上げられた。 
「大丈夫だよ。有難う」
「会長……」
「泣かせてしまって申し訳なかったね。けれどもう泣きやんでくれ、学に見られたら『美春を泣かせたんですか』と睨まれて、彼からの冷たい視線で風邪をひいてしまう」
「……お父様……」
 ショッキングな光景に、美春の感情は大きく揺れ動き続ける。一が誰かに対して土下座などという行為に及んだのもショックだったが、愛する者の為に自分の立場もプライドも捨ててしまえる姿が学と重なってしまい、涙を誘わずにはいられないのだ。
「お父様……、お辛かったでしょう……? お父様……」
 自分でもみっともないと感じてしまうほどメソメソと泣きながら、美春は締めつけられる胸の苦しさと共に一の胸にしがみついた。
「大丈夫だよ。有難う」
 大きな手が背中を撫でる。幼い頃、美春を抱き上げ、頭を撫でて、優しさをくれた手。この手が、目の前で床に伏す身体を屈辱から支えていたのだ。
「……お父様……ぁっ……ヒクッ……」
「すまなかったね……」
 まだ会社内であるうえ、傍には櫻井もいるというのに、美春は自分を繕えない。彼女の心は、一を想う娘のままに、彼を思いやり彼がおかれた状況を嘆く。

(どうして、……お父様がこんなことを……)

 一にしがみつく美春と、娘を想い慈しむ、初めて目にする一の表情を見つめ、櫻井は己の非力さを悔やんだ。
 あの場合、彼にできるのは一の意思を尊重し美春を止めることだけだった。
 それ以上の手出しも口出しも、できる状況ではなかったのだから。
 はずみで知ってしまったさくらの病状、発症における真実、背筋が冷たくなる事実に櫻井は立ち竦む。
 尊敬するさくらの、凛としたあの姿をもう見られなくなるのかもしれないという有り得ない考えは、彼を戦慄させた。
(何故、さくらさんが……)
 悔しさと憤りが、彼を強く捉えて離さない。








人気ブログランキングへ




もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第8章1(驚愕の光景)】へ  【第8章3(見送れない理由)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第8章1(驚愕の光景)】へ
  • 【第8章3(見送れない理由)】へ