理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第8章3(見送れない理由)

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「状況が……、似ているからかな……」
 信から受け取った調査結果の封筒を小脇に、学はエレベーターの中でひとり考え込んだまま三十四階へと向かった。
 いつもながら信の仕事は早くて的確だ。満足のいくものであるはずなのに、何か今回は後味が悪い。
 ――何となく、分かりかけてきたのだ。
 アランが、研究の被験者を美春からさくらにしてしまった理由が。

 三十四階へ到着し、エレベーターのドアが開くと、そこで待っていたふたりを見て学は目を瞠った。
「社長、お帰りですか?」
 そこには、アランとグレースが立っていたのだ。他に美春どころか櫻井の姿もないということは見送りを受けていないということだが、櫻井が付いていながらそんな礼を欠く行為を美春にさせるはずがない。不審に思い視線を巡らせた学に、アランはにこりと笑いかけた。
「ちょっと会議室で面白い余興があってね。堪能したので帰ることにしたんだ。ミハルの紅茶は飲めなかったが、来週来た時にでも飲ませてもらうことにしよう」
「そうですか。秘書がお見送りにも出ていないようで、失礼致しました」
「いや、いいんだ。……見送りなんて、今はそこまで頭は回らないだろう」
 いちいち言葉に引っかかりを感じるが、学はエレベーターの開ボタンを押たまま、ふたりを手で中へと誘導し、敢えて問い返した。
「女性の柔らかな笑顔ではなくて申し訳ありませんが、私に見送らせて頂けますか?」
「いや、遠慮をするよ。男でも振り返ってしまうような美男子に丁寧な見送りを受けて、僕の秘書が骨抜きにされてしまっては仕事にならないからね。ここでいいよ」
 アランのお世辞交じりのジョークには学もクスリと笑みを漏らしてみせるが、話の引き合いに出されたグレースは、相変わらずポーカーフェイスでアランの横に付き従っている。
 仕事に徹したクールさは評価できるが、お愛想笑いのひとつくらいしたならば場はもっと和んだことだろう。
(美人なのに、もったいない)

 以前美春が「グレースさんって美人なのに、笑わなくてもったいないね」と言っていたのを思い出すと同時に学も同じことを考えてしまい、彼はふっと思い出し笑いに口元を緩ませた。
「では、お言葉通りここで失礼します。次にいらっしゃるのは来週ですね」
「ああ、来週の金曜日に来るよ。じっくりと検討して回答を持って来なくてはならないものができたのでね」
「金曜日?」
 学の表情から笑みが消える。丸一週間来社無しとは、どうしたのだろうという疑問が湧いたのだ。
 約一カ月をかけて、じっくりと視察をさせてもらいたいという要望だった。途中一週間が丸々抜けることになるのではないか。会議からも手応えは感じているのだから、まさか視察取りやめの判断ではないとは思うのだが……。学は僅かに疑念を抱くが、それは全くの杞憂であると確認出来る言葉がアランから飛び出した。
「日本支社に関する話を性急に進めているので、本社との会議が詰まっているのですよ。日本に支社を置く件に関しては、まだ早いとの声も多かった中、葉山製薬に関する報告は上手く反対派を懐柔してくれた」
 学は全身の血が湧き上がってきそうな感覚に襲われた。それは、仕事で大きな手応えを感じた時の高揚感だ。
 だが彼は感情の変化を表には出さず、エレベーターから降りて頭を下げた。
「では、お待ちしています。予定の打ち合わせは、後ほど秘書の方からお伺いが行くかと思いますので」
 下がった頭を見て一を思い出したアランは、笑いながら彼に忠告を投げる。
「そんなところで頭を下げていないで、早く会議室へ行ってあげなさい。その秘書が、メソメソ泣いているよ」
「え?」
 学が驚いて顔を上げる。しかし彼の表情をアランが見る前にドアは閉まり、エレベーターは下降を始めた。
「美春……?」
 学は踵を返し、会議室へと足を速める。高ぶった気持ちは、ザワリとした胸騒ぎへと変わってしまった。
 アランは、会議室で余興を堪能したなどと意味深な台詞を残している。それは美春に関するものなのだろうか。しかし櫻井が一緒なのだから、おかしなことにはなっていないだろうと思うのだが……。

 おかしな予感を抱きながら会議室のドアを開けた学は、足を踏み入れた途端立ち止まり、目の前の光景を凝視した。
 足元には、散らばったティーカップやスプーン、中身が散乱したのであろう濡れた床。
「専務、踏まないように、気をつけてください」
 そこに櫻井が屈み、床に落としたトレイの上に割れた破片を集めていた。
 彼がそんなことをしていたのにも驚いたが、もっと驚いたのは一にしがみついて泣いている美春の姿だ。
 あんなにも和やかな雰囲気の中で、美春は紅茶を用意しに行ったはずだ。それなのに、何が原因でこんなことになっているのだろう。

「言っておくが、私が苛めたわけではないぞ」
 冗談めかした一の台詞ではあったが、この場の雰囲気、特に学の気持ちを安心させる為には、もうひと捻りあった方が良かったのかもしれない。
 それでも、一の胸にしがみついて嗚咽を漏らしていた美春は一瞬クスッと小さな笑いを漏らし、涙で濡れた瞳を入り口に立つ彼に向けた。
「……学……」








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