理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第8章6(引き換え条件)

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『すぐに、抗体をスイスの研究室から送らせます』
 ホテルへ戻ると、グレースは早速アランに申し出た。
 送ってもらった車は葉山製薬の社用車で、運転手も会社に雇われている人間だ。例え些細なことも口にするなとあらかじめ言われていたので、この件に関する話は一切できていない。
 大企業のトップに土下座までさせたのだ。アランは間違いなく次の来社時、抗体を一に渡すつもりでいるだろう。
 そう思っての措置ではあったが、そんなグレースの配慮をアランは鼻で笑ったのだ。
『いいや、まだいい。今から送らせることもない』
『ですが、航空便で一週間近い日数を要しますから、今のうちに手配をしなくては来週持っていけないのでは……』
『構わないさ。――持って行くつもりはないからな』

 グレースは目を見開いて立ち止まった。
 脱いだスーツの上着を彼女へと投げ、ネクタイを緩めながら、アランはソファへ乱暴に腰を下ろす。大きく吐息し背凭れに深く身を沈めると、細かいデザインを施された美術的な高い天井を見上げた。
『抗体を渡すのは、もっと後になるだろう。渡す前に、ひとつ決断させたいことがある』
『ですが、……葉山会長には、渡すから心配するな、と……』
『もちろん渡すつもりではいる。だがそれは、僕が出す条件を呑めば、の話だ。そして向こうは、その条件を呑まざるを得ないだろう。それが分かるからこそ、渡すことになると、言ったんだ』

 話を聞きながら、グレースは受け取ったアランの上着をクローゼットへ掛けに向かう。メインルームの一角を使ったクローゼットは広く、中は十平方メートルほどの小部屋風だ。身嗜み用にドアの一面に大きな鏡がはめ込んであるが、実はマジックミラー。クローゼットの中に入り込んでいても、メインルームの様子が分かるようになっている。
 グレースは上着をハンガーに掛け、自分も上着を脱ぎながら、ミラーの向こうに見えるアランを見つめた。
『契約を結び、抗体を渡す。その条件をもとに、葉山側にはひとつ条件を呑んでもらう』

 いったい何を要求するつもりなのだろう。日本支社設立にかかる費用でも負担させようとでもいうのだろうか。
 彼から目を逸らし、上着を掛ける。これからスイスとネットを繋ぎ、副社長へ報告する件をまとめ始めた頭の中へ、アランの無情な言葉が響いた。
『グレース、お前、マナブを誘惑してこい』

 フックに掛けようとしていたハンガーが手から滑り落ちる。バサリと足の上に上着がかかるが、彼女はしばらく拾うことも忘れた。
『その方が、これからの仕事がやりやすい』
 閉まっていたクローゼットのドアが開く。いつの間にかアランが歩み寄ってきていたらしく、ドアに寄り掛かり、ニヤニヤと口角を歪めて面白そうにグレースを見ていた。
『……これからの仕事とは……、提携契約の件ではないのですか……?』
『その提携のための条件を呑ませやすくなるという話だ。マナブだって男だ、婚約者がいるからと抵抗したって、フェラのひとつもしてやればすぐに勃つさ。なんだったら強精剤でも用意してやる。……そんな物も必要ないかな。まぁ、来週の会議後でも良いさ』
『そんな……正気ですか……、どうして、マナブを……』
『“あの子”を手に入れる為だ』

 グレースは唇を結び、奥歯を噛み締めた。
 分かっていたはずだった。副社長からこの件を引き継いだ時から、アランの目的が“彼女”であることは。
 “彼女”の存在に気付いたからこそ、アランは昨年、いきなり弟である副社長に手を引かせたのだ。半ば無理矢理に。

『……ひとつ、良いですか……』
 問いかける声が震える。グレースは言葉を失ってしまわないよう、ゆっくりと言葉を出した。
『アランは……、葉山会長が、羨ましかったのですか?』

 彼の顔を見ることなど出来なかった。それは、予想出来ない表情の変化を見せられるのが怖かったからだ。

『葉山会長が、お金で与えられた女性と心を通わせている姿が……、羨ましかったの? だから、さくらを……』

 顔を伏せたグレースは気付かない。
 アランが、今どんな表情をしているのか。
 今にも泣いてしまいそうな表情も、憂いを集めたブラウンの双眸にも。

 顎を掬われ顔を上げさせられると、肌を叩く鋭い音がクローゼット内に響いた。
 焼け付くような熱い痛みを頬に与えられたグレースは、ぶたれた反動でマジックミラー側のドアに身体が吹き飛ぶ。

(怒らせた!?)
 それを悟った瞬間、トラウマ的な恐怖が全身を縛りつける。彼女は身体が固まり、震えることしか出来なくなった。
 動けない彼女のブラウスを肩から掴み上げ力任せに引き上げると、アランは自分の身体を使ってミラーの内側に彼女を押しつける。
『どうしたグレース、……今日は口が軽いな。……馬鹿みたいに平和な葉山の空気にヤられたか?』

 グレースは返事どころか動くことも出来ない。
 いつもそうだ。アランを怒らせてしまったと脳が認識した瞬間、噴き出すように蘇ってくる過去のせいで、彼女の一切は凍りつく。
『ごめん、なさい……、ごめんなさい……アラン……』
 怯え出される、あまりにも小さな声。彼女の謝罪は、アランの憂いを一層深くした。
 彼は胸が詰まる切なさのまま、後ろからグレースのブラウスを引き裂き、握り潰してしまわんほど強く乳房を掴むと、彼女の襟足に噛みつく。

『……ごめんなさい……、許して……』

 その切ない哀願を口にするたび、グレースの中には、十五歳の少女が蘇るのだ。


 ――――ごめんなさい……アラン……。何でも言うことをきくから、……お願い、誰も、殺さないで……。








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