理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第12章9(身代わりの眠り)

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「おかしな気を起こす時は鍵を確認しろ。専務が忘れていても、気にかけようとしなくても、お前が忘れないで気にかけろ。秘書なら気を遣え。いや、秘書じゃなくなっている時こそ忘れるな」

 専務室を出る間際、櫻井がこっそりと耳打ちしてきた忠告を、美春は苦笑いで聞き入れた。
 彼の観察眼は秀逸だ。終業間際、専務室へ入った際に見た美春の様子から、“一戦”始まる手前であったことを悟ったらしい。
 デスクに寝たままであったわけでもなく、衣服の乱れが大きかったわけでもない。椅子に腰を落ち着けて何食わぬ顔をしている学の横で、急いで作った繕い笑いを披露していただけだ。
 それでも櫻井は、美春の様子から状況を読み取ったらしい。

「もしかして、カマかけられたのかな? 分かるわけがないよね、いくら何でも。ホント、相変わらず意地悪なんだから」
 病院へ向かう車の中で美春がポツリと呟いた愚痴を耳に、学は笑って冷やかした。
「相変わらず仲が良くて妬けるよ。櫻井さんは美春を良く見ている」
「なっ、仲が良いって……、いっつも苛められてるのよ? あれで学がいなかったら、丸めた書類で頭をポコポコ殴られているところだわ」
「カマをかけたにしろ、その気配というものを見抜かなければ、ただの勘違いになって恥をかくだけだ。それを見抜けるくらい、櫻井さんは美春を知っているってことだよ」
 そう諭されると文句も言えない。元々、櫻井が嫌いだから言っているのではなく、ちょっと拗ねて見せているだけなのだ。
 彼の指摘にだって一理ある。あの時、入ってきたのが櫻井だったから場を取り繕う時間もあったが、もしも須賀だったなら、ノックと共にドアは開けられていたはずだ。
(でも、ムードに乗っている時に『あ、鍵』って言うのも雰囲気壊す気がするし……。学が『そんなもの良い』って言いそう……)

 口に出せば、間違いなく櫻井に丸めた書類で頭を連打されそうな思いを巡らせていると、学にその頭をポンポンッと撫でられ、美春は何となく和んでしまった。
「まぁ、櫻井さんに怒られないように、鍵の件は俺も気を付けるから。『そんなものは良い』とは言わないから、安心しろ」
 はにかみかけた笑顔は苦笑いに変わる。櫻井の観察眼も凄いが、学の洞察力は脅威だとも思う。
(紗月姫ちゃんもそうだけど、ここの一族、勘が良すぎ)

 またもや思惑を探られそうな思考を巡らせているうちに、病院へ到着した。
 さくらに会おうとする前は、どうしても一瞬不安に襲われる。また眠りについてしまってはいないかと考えてしまうからだ。
 先週の金曜日から異常なく過ごしているだけに、「もしかして」の不安は大きい。だが、一時間ほど前に異常は見られないと確認をとってから会社を出た。今日は安心をしても良いだろう。
 駐車場に会長専用の社用車が待機していたので、一が来ているのだということは分かった。
 久し振りに一とさくらの仲の良い姿を見られるかと、気持ちが温かくなる感覚を得た美春だが、その温かみは、病室へ入った途端に失われていく。
 ふたりがいるのだから、当然病室の中には温かい笑い声が溢れていると予想していた。しかしそこにあったのは、怖いほどの静寂。現実になって欲しくはなかった光景だったのだ。

 ベッドの傍らには一が座っていた。さくらの手を握り、彼女の髪を指先で撫でている。
 滅多に見ることのない、苦悶を押し殺す表情で。
 そしてさくらは、ベッドに横たわり、眠っていた。
「……つい三十分前に、眠ったところだ……」
 部屋へ入り、再度訪れたこの光景に立ち竦むふたりへ、一はさくらを見つめたまま説明をする。
「何も変わらない様子で話をしていたが、急に眩暈を起こして『眠い』と言い出した。今まで長い眠りにつく時も、いきなり睡魔に襲われる様子だったから、恐らく今回も……」
 誰もが察することができる言葉の続きは、敢えて口にしない。一はたださくらに、閉じたその目をすぐに開いてはくれまいかと、彼らしくない性急な願いをかける。
「睡魔に襲われて、倒れるように横になった。『眠りたくないのに』と、笑っていたよ」
 穏やかな話し声だ。しかし彼は、「眠りたくない」と願いをかけた、哀しげなさくらの微笑みを思い、震え出してしまいそうな自分を抑え込んでいるのだ。
 そんな一の横に進み、美春は眠るさくらへ視線を落とした。

 本来なら、ここで眠っているのは美春だった。
 アランの標的は、本来美春だったのだから。
 そして、傍らで手を握り、こうして辛さを押し隠して愛しい寝顔を見つめているのは、学であるはずだったのだろう。

 今日、さくらに会ったら、美春は彼女に謝ろうと思っていた。
 さくらが身代わりになってしまったことを本人が知っているかは分からないが、それでも、黙っていることはできない。
 真実を告げて、必ずこの状況を改善させると、さくらに誓おうと考えていた。
「……ごめんなさい……」
 穏やかなさくらの寝顔を見ているだけで、涙が浮かんでくる。苦しさを押し殺しているのであろう一を見ていると、心苦しい思いでいっぱいになる。
「……ごめんなさい……、お母様……、お父様……」

 美春が謝罪した意味を悟ったのだろう。悔しさに震える美春の手をふわりと握った一は、彼女と視線を合わせ、口元を和めて小さく首を振った。
 謝るなと言われているのは分かるが、それでも切なさは止められず、美春の瞳からは涙が零れる。そんな彼女を、学は病室から出そうとした。

 だがその時、学のスマホが着信を告げる。相手は信だった。
 彼からの用件を聞き、学は、今夜これからのデートをお預けにしなくてはならない覚悟を決める。

 アラン側が、予定していなかったライバル会社の視察を内密に行ったとの情報を、信が掴んだのだ。


 徐々に追い詰められていく予感に、一番の不安と恐怖を覚えたのは、他ならぬ美春だっただろう――――。







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