理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第13章2(情報漏洩)

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「葉山も、もう終わりだな」
 それは、その場で口にしてはいけない言葉だった。
 例え仲間内で飲んでいたのだとはいえ、話していた内容はまだ外部へ洩らしてはいけない決まりだったのだ。
 だが、小さなバーのボックスで飲んでいたその男は、口にせずにはいられなかった。そしてその台詞は、一緒に飲んでいた仲間ふたりに向けてではなく、視界に映るカウンター席の背中に向かって放たれたのだ。
「ロシュティスがウチと契約したら、葉山なんか目じゃなくなるからな。まぁ、困窮事態になったら吸収合併してやるよ、ウチの会社で」
 ハハハと大声で笑う男はご機嫌だ。それはそうだろう、男が長いことかかってきたプロジェクト、“難攻不落のロシュティス”といわれる世界屈指の製薬会社が、とうとう会社の視察に訪れたのだ。
 ロシュティスは、視察対象企業としてライバル企業である葉山製薬を有力視していた。諦めていたところに、これは驚くべき出来事だったのだ。
 視察の手応えはあったように思う。明日になれば、プロジェクトの責任者が「契約検討段階に入った」という報告を上層部へ行うだろう。
 会社の繁栄はもちろんだが、男の出世も間違いはない。
 同僚と気持ち良く飲んでいるところへ現れたふたり連れ。片方には見覚えがある。大学で、薬学部に籍を置いていた時の同期だ。
 彼は今、その葉山製薬で、開発研究部研究室室長の助手兼秘書を務めているという。同期ではあるが、入社した会社のレベルも待遇も肩書も給料も、全てにおいて違う。おまけに男は、葉山製薬の入社試験に落ちているという過去まであるのだ。
 長年積み重なった恨みと妬みは、見苦しい優越感を引き出した。
 彼も男の存在には気づいていたが、敢えて視界には入れていなかったのだ。だがその態度を“気取っている”と取った男は、わざわざ声を大にした。
「おい、天野! 会社が潰れそうになったらウチに来いよ!頼りないお前の上司なんか捨ててさ、“オレ”が使ってやるから!」
 その言葉は引き金になる。カウンターの椅子が倒れんばかりの勢いで、天野が立ち上がったのだ。

 *****
 
「お疲れ様でした、柵矢室長」
 柵矢の前にコーヒーを置いた美春は、続いて室長室のソファに腰を下ろした、もうひとりの前にもコーヒーを置き、にこりと微笑んだ。
「光野室長も、お疲れ様です」
 大きな溜息をついていた大介だが、娘の仕事用スマイルにハッと途中で息を止める。疲れた様子を誤魔化すために咳払いをし、仕事用の繕い笑いを返した。
「有難う、美春君」
 仕事なので呼び方を変えるのは当然ではあるが、いまだに大介は美春を仕事用で呼ぶことに慣れない。こんなことでは、数年後に一真が入社をし、彼が何かミスをしようものなら「こら、一真っ」と口をついて出はしないかと心配だ。
 だが実際、仲良し親子のよそよそしい光景を見ている柵矢が、一番居心地が悪い。彼は同じく「有難う」と口にすると、滅多に飲めない“専務秘書のコーヒー”に口をつけた。
「先方との話は、上手くいきましたか?」
 どちらともない美春の問い掛けに答えてくれたのは柵矢だ。
「ああ、別に天野君が手を出したわけじゃないからね。腕は掴んだらしいが、胸倉を掴んで突き飛ばしてきたのは相手側だし、相手側が暴言を吐いていたと周囲の証言もある。かえって、向こうの上司に頭を下げられてしまったよ」
 平然とした様子は見せているが、苦々しい口元は隠せない。美春は大介に問いかけた。
「……天野さんは? 今は……」
「今日のところは自宅謹慎だ。一日だけだから、明日には通常出勤だよ」
「秘書がいなくて、大丈夫ですか?」
「今日は大きな予定もない。僕もすぐに自分の研究室に入るから、大丈夫だよ」
「私、代行に入りましょうか?」
「専務付き、でかい?」
 大介の返しにクスリと笑うと、彼も和んだ笑顔でコーヒーカップを手に取った。ふたりの室長から一歩下がり、美春は一礼する。
「柵矢室長、光野室長、お疲れ様で御座いました。おふたりが戻られました旨と、話が解決致しました報告を専務にしてまいります」
 頭を下げた状態で、一瞬だけ大介へ“娘”の顔で笑顔を向け、室長室を出た。

 秘書課に籍を置き、研究室室長の助手兼秘書を務める天野が、昨夜警察に連行された。
 会員制のバーで乱闘騒ぎを起こしたというのだ。彼に非があったわけではない。だが、喧嘩になりそうだったところを、店員がすぐさま警察へ通報してしまったため、彼の上司である大介や柵矢にも話が伝わってしまった。
 原因は誰が見ても相手側ではあったが、よりによって葉山製薬のライバル企業といわれている会社の社員だ。遺恨を残さないためにも、上司ふたりが天野を連れて直々に出向いた。
 連行されたといっても事情聴取のみで帰されている。どちらも怪我をしたわけでもないのにこの対応。驚いたのは相手側の上司だ。
 反対に「わざわざすいません」と、何の関係もない常務や専務までもが出てきて頭を下げてしまったという事の顛末だった。

 室長室を出てエレベーターホールへ向かう最中、美春は周囲からのおかしな視線に気づかざるを得ない。
 室長が戻ったことで、天野の件を気にする社員や研究室職員などがうろつく中、誰ひとりとして美春に声をかけてこないのだ。
 大介の関係もあって、開発研究部には美春のファンが多い。研究室となれば尚更だ。普段でも大介に用事があってフロアに下りた時などは、うるさいくらいに話しかけられるというのに。
 今日は、皆、困惑した視線を向けるのみで近寄ってもこない。

 話しかけられるわけはない。
 誰もが知っているのだ。
 ロシュティスが、葉山以外を提携対象に入れてしまったことを。
 会社にとって一大事である事情を知っている社員たちは、担当秘書である美春にどう声をかけたら良いものか考えあぐねている。いや、声などかけても、何をどう問うたら良いか、見当もつかないだろう。

 まさか、「契約に失敗したんですか?」と訊くわけにはいかないのだ……。






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