理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第13章4(美春限定おにぎり)

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「美春が作ったんなら美味しくないわけがないな。中身は何?」
 中腰になって伸び上がり、おにぎりをひとつ手に取る。御満悦な表情でにっこりと微笑んで、学は椅子へ腰を戻した。
「中身? 入れてないよ? 素にぎりだもん」
「素? 海苔とご飯だけ?」
「塩はついてるわよ。心身ともにお疲れぎみだろうから、うんっと、しょっぱくしておいたからねっ」
 学はぷっと噴き出し、肩を震わせ笑い出した。世の中ひろしといえど、学に平気で素にぎりを差し出せるのは美春くらいだろう。そして、それを彼が笑って受け止められるのも、美春が自分のためにしてくれていることだと思えるからこそだ。
「お茶、淹れてくるね」
 朝からずっと物思いにふけっていた学の笑顔を確認して、美春はデスクに皿を置き、専務室内の給湯室へ向かった。
 彼女の姿が消えると学は笑いを止める。いつもならばここで笑いのツボに入ってしまいそうな出来事ではあったが、残念ながら今回はそこまでに至らない。
 心に余裕がない証拠かと、学は苦笑した。
 だが手の中のおにぎりを目に、苦笑は頬笑みに変わる。自分を気遣ってくれている美春の気持ちが、痛いほどに分かるのだ。
 美春自身が、辛い精神状態であろうと思うのに……。

 “秘書交換”など、そんなものに応じる気持ちを、学は一切持ってはいない。
 ロシュティスとの交渉が決裂した場合、契約はもちろん抗体も手には入らないだろう。
 だが抗体の件に関しては、心配をするなと一から言われている。詳しくは訊けなかったが、大介が研究室や葉山家の温室に出入りしていることから、とある可能性についての察しはつけていた。
 あと問題になるのは、契約が不成立に終わった場合の“その後”だ。

 学がひとりで何とかできる事態ではない。
 会社にとって焦眉の問題となるならば、それは社員をも巻き込んでしまうということだ。
 
 葉山製薬がこのまま栄華を極め続けるか、それとも困窮に陥るか。
 それは、たったひとつの選択と、彼の決断に委ねられている。

 学は、痛切なほど、分かっているのだ。

「専務、失礼します。須賀です……」
 ノックと共に開くドア。その様子はどこかいつもの勢いがなく硬い。
「社内メールの件で……」
 そこまで言ってから、須賀は片手でハッと口を塞いだ。振り向いた学の手に持たれたおにぎりが、妙に不釣り合いな印象を彼に与え、噴き出してしまいそうになったのだ。
 何とか笑いを呑み込むが、用心のため軽く口を覆ったまま、彼は引きつり笑いを見せる。
「すっ……、すいませんっ。遅いお昼時間でしたか……」
「ああ、良いんだ。これはね、朝から何も食べていないからって、私の優しい秘書が社食でにぎってきてくれたのだよ」
「へ、へぇ、いいですねぇ、羨ましいです」
「欲しい?」
「くれるんですか?」
「駄目っ」
 須賀が動揺した原因を悟り、事情を説明しながら僅かにノロケた学は、須賀をからかい反対に軽く笑声をあげた。
 予想外に学の笑顔を見られたせいか、須賀の表情も軽くなる。
「社内メールですが、悪戯に混乱を招きそうなものが数件引っかかりましたので、社内サーバーで止めました。監視は続行中です」
 ロシュティスの件を伝え、この話題を使って悪戯な悪意が広がらぬよう須賀が監視を申し出た時、珍しく学はなかなか返事をしなかった。「お願いします」と希望を伝えたのは、一緒に報告を受けていた美春だ。
 事態が緊迫していく経過を一番気にかけているのは学だろう。それが分かるだけに、今日の須賀は専務室へ入る足も重くなっていた。

「須賀さん、お疲れ様です」
 明るい声が場を和ませる。トレイに湯呑を乗せた美春が、にこやかに給湯室から出てきたのだ。会話が聞こえ、須賀が来ていると悟ったのだろう。
「様子はどうですか?」
「数件引っかかりました。何とも非常識な話です」
「そうですか……」
 ふっと美春の眉が下がる。その弱気な表情を隠そうとするかのように、彼女は俯き気味のまま学の前に湯呑を置いた。
「美春、いただきます」
 下がってしまった視線を上げさせたのは学だ。おにぎりを掲げ示してから美春に笑いかけ、須賀に「ちょっと失礼」とひと言断わりラップをはがし始めた。
「ん? 凄くしょっぱいって話だったけど、ちょうど良いぞ?」
 嬉しそうにおにぎりを頬張ってくれる彼を見ていると、美春も落ち込みかける気分が浮上する。食べている姿をジロジロ眺めていては、見られているほうも食べづらいだろうし申し訳ないとは思うが、美春は学から目が離せなかった。
 見惚れるように学を見つめる美春を肘でつつき、須賀はこっそりとささやかな疑問を口にする。
「あのぉ、専務のおにぎりの中身って、何入れるんですか?」
 普通ならば“梅干し”やら“鮭のほぐし身”やら、普通の回答があってしかるべきだが、学クラスの人種は、果たしておにぎりという庶民メニューの具に何を選んでいるのだろう。
(なんか、ものすっごい物だったりして……)
 彼なりに公言はしづらいが“おにぎりの具はシーチキンマヨネーズが一番好き”な二十八歳は、心密かにワクワクする。
 興味は一気に広がったが、もちろん美春の回答は“ものすっごい物”ではない。
「うん、今日のは“すにぎり”よ」
「酢? ……寿司飯のおにぎり?」
「やだっ、そんなわけないでしょうっ。塩むすび、って言ったほうが良いのかなぁ。まぁ、海苔はついてるけど」
「具ナシですかっ?」
 須賀は思わず、驚きを通り越して感心してしまった。
(専務でも、塩むすび食べるんだ……)

 但し、美春がにぎった物、限定ではあるが……。





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