理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第13章5(嵐の予兆)

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「専務、櫻井です。失礼致します」
 ぱくぱくぱくと、学が美春特性“素にぎり”のひとつ目を食べ終える頃、再び専務室のドアにノックの音が響いた。
「どうぞ」
 当人は食べている最中であったため、美春が返事をする。何の覚悟もなく入室した櫻井は、学の姿を見て須賀と同じ言葉を口にした。
「すみません。遅い昼食をお取りになっていましたか」
 違うのは噴き出さなかったことと、冷静さのレベルだろうか。
「いいや、良いよ。今食べ終えたところだ」
 最後のひと口を飲み込んで、学はおにぎりを巻いていたラップを手の中に握る。差し出された美春の手にラップを渡すと、その手で湯呑を取り、彼女に笑顔を向けた。
「もうひとつは後で食べる。ふたつもいっぺんに美春のおにぎりを食べたら、浮かれ過ぎてすぐ家へ連れて帰りたくなるよ」
「はい」
 クスリと笑い、ゴミを捨てに給湯室へ歩いていく。そんな美春の姿をお茶のお供にしていると、櫻井にコホンッと咳払いをされた。
「本日、仕事の進みが遅いと聞きまして。様子を見に伺いました」
「遅い? 誰に聞いたのですか?」
 優良なお茶のお供に表情をほころばせていた学だが、櫻井の遠慮ないひと言に、口元は引き締まる。
「会長です」

 アランの動きを一番に捉えたのは信だ。
 しかし、信が持ち得る以上の情報網と人脈を持った男が、彼の傍にひとりいる。
 父親の信悟だ。
 信が手にした情報はもちろん信悟にも伝わっている。ということは、“雇い主”である一にも伝わっているということだ。
 朝から、まことしやかに社内の一部で広がりつつある悪戯な悪意を、一が知らないはずはない。
 ――葉山は、もしかしたら将来的に危なくなるのかもしれない……、と。
 それが“何故”なのか、“何が原因”なのかを知らないのだとしても、面白おかしく噂は流れていく。
 今はちょうど、社員が夏期休暇をローテーションで取っている時期だ。全社員が揃っているわけではないのでこの程度で済んではいるが、揃っていたなら事態は悪化していたかもしれない。

 この件を、学がどれだけ重く捉えているのか、一には良く分かるだろう。
 忙しいスケジュールに追いまわされる期間ではないとはいえ、学らしくはないくらい全く進まない仕事ぶりに、思うものがあるのは当然だ。

 人前で晒すには珍しい躊躇いがちな苦笑いを見せ、学はおもむろに立ち上がる。
「会長は……、会長室にいるのかな……」
「はい、いらっしゃいます」
「気を揉ませてしまったことを詫びてこよう。……いや、そんな暇があるなら仕事をしろと、叱責されてしまうだろうか」
 学に合わせて櫻井も口角を上げるが、それはどこか無理のある笑みだ。
 だが本当に学が出向くつもりならば、会長室へ連絡を入れておかなくてはならない。その旨を申し出ようとした時、給湯室から美春が飛び出してきた。
「待って! ……お願い、少し待って!」
 慌てた口調は三人の視線を引きつける。学が一の元へ行こうとするのを止めるかのような台詞だが、彼女の言葉は学に向けて放たれたものではない。
 その手にはスマホが握られている。どうやら誰かと話をし、その内容に驚いて飛び出してきたようだ。
 美春はスマホに軽く手を当て、動揺を隠しきれない表情で学を見た。
「……アランが……、社長がこちらへ向かっているそうです」
「社長が?」
 学の眉が寄り、須賀と櫻井も話に聞き入る。
「急に何の件だろう? 条件についてなら……」
「いいえ……」
 学の疑問を素早く遮り、美春は言葉とともに空気を呑んだ。
 動揺を隠しきれない顔に冷や汗が浮かぶ。早くなる動悸に、彼女は倒れてしまいそうだ。
「私を……迎えに来るそうです……」

*****

 その会話を耳に、タクシーの後部座席でアランは含み笑いが止まらない。
「どうしたの? 驚くことはないでしょう? 社長があなたと話がしたいと言っているから迎えに行く、それだけよ? わたしがひとりで迎えに行くと言ったのだけれど、社長が直接、ミハルを迎えに行きたいんですって。だから一緒なのよ」
 隣では、グレースが美春と話をしている。いつも以上に強気にも感じる態度の裏には、断られるはずなどない、断われるはずがない、という余裕に満ちていた。
「おもてなしされながらできるような話じゃないのよ。ホテルへ戻って、色々と資料を見ながらしたい話」
『どういった、お話なんですか?』
 疑心を窺わせる美春の声が、僅かに震えている。グレースは一瞬の間をおいてから、もったいぶった言葉を出した。
「昨日視察した企業の話、聞きたくはない?」

 含み笑いを止め、アランは窓の外へ目を向ける。
 明るかった空が、ゆっくりゆっくりグレーに変わっていく。追い打ちをかけるように、小さな雷鳴がどこからか響いていた。
「ひと雨、来そうだ」
 窓ガラスに映るアランが、チラリと視線を流した先には美春の返答を待つグレースの姿がある。毅然とした横顔を崩さない彼女を、刹那、哀しげに見つめ、彼は再び鉛色の空に視線を這わせた。
「……荒れるかな……」

 ――――嵐が来る……。







*次の更新は12日になります。




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