理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第13章8(アステカの生贄)

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(上手いこと言うなぁ……)
 感心している場合ではないのだが、話を聞いていた須賀はついつい小さく頷いてしまった。
「ア……アステ……? はぁ?」
 反面、その意味に気付けず、大きな身体で小首を傾げてしまったのは柳原だ。
 説明をしてやりたいが、今はそんな場合ではない。須賀は黙って学の動きを見守った。
 背後で自動ドアが開く音がする。音が遠いので二枚扉のエントランス側が開いたのだとは思うが、この状態でここを社員に出入りされるのは好ましくない。柳原に頼んで裏口へ誘導してもらおうかと考え、チラリと背後に視線を流した須賀は、瞬時に身体を固めた。
 そこでは、会長である一が、櫻井を従えて学の様子を見据えていたのだ。

 アステカの生贄は、“人身御供”を代表する言葉だ。
 契約と抗体のために、美春を生贄に差し出す訳にはいかないと、彼は遠回しに“秘書交換”を否定したのだろう。
 
 だがその決断をアランはせせら笑う。
「失望したよ、マナブ。君がこんなにも馬鹿な男だとは」
 その言葉に不快を現したのは美春だ。彼女の表情が歪んだのは視界に入っていたが、アランは見ないふりをして言葉を続けた。
「契約条件を快諾しないというのがどういう結果を生むか、分からないわけではないだろう? 既に知っているとは思うが、葉山との交渉が失敗に終わっても、日本支社設立が決定しているロシュティスとしては、他企業との提携を考えている。それがこの葉山製薬にとって何を意味するのか、まさか分からないのか?」
 学は無表情のままアランを見据えた。口を出してしまいそうなのは、むしろ隣に立つ美春だろう。
「それが分かっていて、尚も条件が呑めないとはどういうことだろう。……それは、君がこの大企業の跡取りとして、ふさわしくはない“子ども”だということだ」
 言葉を返そうとした美春の足が出る。しかし、横に伸ばされた学の腕が、彼女の行動を止めた。
「学……」
 不安に揺れる瞳が学を見つめる。彼は黙ってアランを見据え、浴びせられる批判に耳を傾けていた。
 そんなふたりの様子を意に介すことなく、アランは続ける。
「会社の利益と発展を考えるべき立場の君が、前進を否定する。たったひとりの社員を渡したくないがためにね。――確かに、ミハルはアステカの生贄かもしれないね。彼女にしてみれば、君の元を離されるということは、内臓をえぐりだされて悪魔の前に差し出されているようなものなのかもしれないのだから。社員にそんな思いをさせたくない、そう考える君は、本当に馬鹿な神様であり、そして……」
 次に出そうとした言葉に、アランは失笑する。考えただけで、おかしくて堪らない。
「気に入っているオモチャを渡したくないと駄々をこねる……、子どもだ」

 会社の利益と、更なる発展。
 跡取りとしての学が、それを考え、何千といる社員や関係者のことを思うならば、条件を呑み、美春を手放さなければならない。

 ――――今の学に課せられているのは、跡取りとしての、大人の決断なのだ。

 冷たく湿った空気が場を包んだ。
 霧雨らしきものがタクシーのフロントガラスを模様付けワイパーに撥ね退けられた時、やっと学が口火を切る。
「それでも私は、葉山を衰退させるようなことはしませんよ」
 ゆっくりと、重く厳しい口調で、学は決意を口にした。
「例え、ロシュティスが他の企業と結託して葉山に猛攻を加えても、私は屈しません。必ずその状況を、打破してみせます」

 不安しかなかった美春の口元が、学の力強い言葉を耳にして僅かに和んだ。しかしすぐに表情は元に戻る。
 学の言葉はとても頼もしいものだ。だが、その言葉の裏には、とてつもなく大きな代償があるではないか。
 そしてその意味に、アランも気づいている。彼は容赦なく現実を叩きつけた。
「打破するために……。――何千人という社員を、不安に陥れ犠牲にするというのか。とんだ跡取りだ」
 学から外された視線は、遠く彼の背後を捉える。自動ドアの内側に立つ一に向かって、アランは声を大にした。
「葉山会長、貴方の跡取りは、代々続いたこの葉山製薬を、敢えて逆境の中へと落とすつもりのようだ! 葉山グループは貴方の一代で終わりかもしれませんね!」

 一の存在を感じて、初めて学の表情が動く。
 学の決断は、跡取りとして彼を信じ教育してきた父を裏切るものだ。
 覚悟をしていたこととはいえ、この決断を一に相談しないまま晒してしまったことで、学の心に動揺が走った。
 両手を握り締め眉を寄せて、学はこの辛い状況に耐える。

 父の期待と、跡取りとしての重圧。
 彼は全てのものを背負って生きてきた。
 今まで感じたことのなかった重みが、初めて、彼という人間を押し潰そうとしている。

 そんな学を隣で見つめ、美春は涙が浮かんだ。
 学がこんな顔をするなどあり得ない。こんなにも苦しく追い詰められることなど、あって良いことではない。

 学を苦しめているのは、誰だ。

 アランではない……。

(――――私だ……)

 零れそうな涙を堪え、美春は学の前へ出る。
 冷たく注がれるアランの双眸を見つめ、震える唇を開いた。
「……私が、……アラン社長の元へ、行きます……」

 ――――生贄が、悪魔の腕の中へ飛び込んだ、瞬間だった……。






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