理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第13章9(哀しい怒り)

 ←第13章8(アステカの生贄) →第13章10(悲しみに憂う雨)

「美春は、状況が読める“大人”だな」
 アランは美春の申し出に答えたあと、肩を震わせて笑いだした。
「最初から美春にだけ交渉をしていれば、もっと早く答えがもらえていたのかもしれないな」
 霧雨を重く含み、屈辱的な勝笑が響き渡る。その場にいる者は、他に誰も言葉を出すことができなかった。当の美春でさえ、自分が口に出してしまった言葉に目を見開き唇を震わせるばかりだ。
 まるで、今の台詞を幻にしてしまいたいかのように。
 そんな美春の顔を覗き込み、アランはにこやかに笑む。
「契約は早いほうが良いね。もう、明日でも良いくらいだ。まぁ、準備があるし、落ち着いた中でしたいから、土曜か日曜でもどうだろう」
「……え、ええ……、それは……」
 返答をしようとした声が震えた。話が急速に進んでしまいそうな気配に、美春は冷や汗が噴き出す。だが彼女のひと言でアランは限りなく上機嫌だ。美春はそれを利用した。
「でも……、今日は、お伺い出来ません……。あの、色々とこちらも話をしなくてはならないこともありますし……。明日にでも……」
 そこまで言葉を出すのが精一杯だ。これ以上は声が詰まって嗚咽になってしまう。だが好都合なことに、すっかり良い気分のアランは美春の申し出を快諾した。
「分かっている。もちろんだよ。僕もすぐにスイスと連絡を取って、抗体を送らせなくてはならないからね」
 “抗体”の存在に、大きく胸が脈打った。送らせるということは、抗体が手に入り、さくらが助かるということだ。
(良かった……)
 刹那、ホッとした気持ちに全身の力が抜けそうになるが、彼女の身体はすぐに緊張を取り戻す。アランの手がポンッと肩に乗ったのだ。
「じゃぁミハル、明日、待っているよ。“自宅”へ、迎えに行ったほうが良いかい?」
「……いいえ……、大丈夫です。……弟に、送ってもらいます……」
「ああ、あの少年か。美春によく似て、とても優しそうな面立ちの少年だった。そういえば仲が良いと言っていたね。また、ゆっくり聞かせてくれるかい?」
「……はい……」
「そのうち、直接会わなくてはならないしね」
 ビクリと美春の身体が震えた。契約の条件を提示された時にアランが口にした“目的”を思い出したのだ。

 アランの目的は、美春を秘書にするだけではなかった。
 “妻になってもらう”との意思も、伝えられていたではないか。

「雨が強くなりそうだ。ミハルも中へ入りなさい。風邪をひいてしまうよ」
 ここへきて初めて優しい言葉をかけ、アランは美春を抱擁すると背中をポンポンッと叩き腕を離す。言葉なくこの様子を見ている学へ視線を移し、ニヤリと口角をあげた。
「じゃぁ、そちらも契約の方向で準備を進めておいてほしい。準備が整い次第、土曜か日曜にでもサインをしてしまおう。頼むよ“専務”」
 アランはもう一度美春の肩をポンッと叩き、タクシーへ乗り込んだ。その後に続こうとしたグレースは、ただ立ち尽くすしかできない美春を一瞥し、憐憫の情に捉われそうになる自分を押し留める。

 タクシーが走り出し、その姿を見送る間も与えられないまま、美春はいきなり腕を掴まれ乱暴に身体を反された。
「何故、勝手なことをした」
 思わず小さな悲鳴が上がりそうになる。それを制御するため、美春は下唇を噛んだ。彼女の両腕を掴み、その瞳を見据えていたのは、怖いほどに無表情になった学だったのだ。
「何故あんな……、勝手なことを……」

(怒ってる……)
 美春は全身から血の気が引いた。無表情で憤りを表す状態の学が、どれほどの怒りを溜めている時であるか、美春はよく知っている。
「何故あんな勝手なことを言った!」
 荒げられた声と共に、掴まれている美春の両腕に痛みが走る。学の力に驚いた身体が、ビクリと大きく震えた。
 驚いているのは美春の身体ばかりではない。須賀が立ち竦むのはともかく、柳原でさえ、彼の憤りを止めることはできなかった。

「専務!!」
 今の学を放っておいてはいけないと判断したのだろう。櫻井が外へと飛び出してきた。
 考えられない力で美春の腕を掴む学の手を離させようと、櫻井も自身の腕に渾身の力を込めて学の手を掴む。
「落ち着いてください! 何を……!」
「黙れ!!」
 怒声と共に櫻井の手は撥ね退けられた。同時に美春からも学の手は離れるが、あまりの仕打ちに驚いた身体は、解放された瞬間その場へ崩れる。
「光野さん!」
 慌てて須賀が美春の傍へ駆け寄った。彼女の肩に両手を添え、身体を揺すって俯く顔を覗き込む。
「大丈夫ですか……、しっかり……」
 美春の身体は小刻みにカタカタと震えていた。学から直に受けた怒りは、普段それを受けることがない分、心と身体に大きなショックを与えているのだ。

 美春がとった行動を考えれば、学が怒るのは当たり前だろう。だが彼のこと、きっとすぐに思い直し、「すまない、大丈夫か」と美春に手を差し伸べるに違いない。
 その場にいた誰もがそう考えた。
 しかし学は、握り締めたこぶしを解放することもないまま、くるりと背を向けたのだ。
「専務っ……」
 呼び止めようとした須賀の声も届かない。
 学はドアの中へと入り、そこに立って一部始終を見ていた一の横で一度止まる。開きかける口はなかなか言葉を発することができない。また一も、外を見つめたまま、学に声をかけることはなかった。

「……契約は……、成立しました……」
 悔しさと悲哀に満ちた声は、一どころか本人でさえ聞いたことのないものだ。学は絞り出すようにそう告げると、足早にエントランスへのドアを抜けた。
 歩き去る靴音が、まるで絶望を奏でる地団駄のように聴こえる。その音を耳に、ドアの向こうで泣き崩れ立つことができなくなった美春を見つめて、一は苦しげに呟いた。
「……だから早く……、ふたりを結婚させてしまいたかった……」

 高校三年の夏に婚約をした、学と美春。
 本当ならば一は、すぐにでも籍を入れてやりたかった。高校生のうちにでも良かった。大学でも、入社前でも、早ければ早いほど良いとさえ思っていたのだ。
 それはいつか、ふたりの関係性やふたりの未来を壊しかねない、今回のような出来事が起こるのではないかと予想されていたからだ。

 “夫婦”という関係性を持ってさえいれば、学は美春をより守りやすくなる。
 そしてふたりの絆は、“婚約者”という立場であるより強くなるだろう。
 そんな話を、もちろんふたりにも数回した。美春と対峙して、説得に及んだこともある。
 だが学は、結婚までに、美春のため完璧な男になることを望み。美春はそれを待つと決めていた。
 ふたりの夢と目標を聞き入れ、今まで見守ってきたというのに――。

「完璧な男になっても、守るべき自分の“世界”を失っては、全てが無駄になってしまうだけだろう……、学……」

 この時初めて、一は自分の判断を後悔したのかもしれない……。


 濃霧が地雨に変わる。
 小さな雷鳴が時折大きくなり、雨粒は大きくなっていった。

 雨は降り続き……。
 心の嵐は、荒れ続ける……。






人気ブログランキングへ




もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第13章8(アステカの生贄)】へ  【第13章10(悲しみに憂う雨)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第13章8(アステカの生贄)】へ
  • 【第13章10(悲しみに憂う雨)】へ