理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第13章10(悲しみに憂う雨)

 ←第13章9(哀しい怒り) →●『天使が風を紡ぐ日』(2013紗月姫&神藤バースディSS)

「大丈夫ですか……? ゆっくり呼吸してくださいね」
 須賀の指示は的確で、そしてその誘導は見事だった。
 一歩間違えば、動揺と強い憂いで激しい動悸と過呼吸を起こしかねなかった美春の背をさすり、一緒に呼吸を合わせながら急の症状を防いだのだ。
 彼の恋人である悠里が、過去、過呼吸を併発していたパニック障害のキャリアだった。
 発生時から完治に至るまで見守り付き添い続けた彼だからこそ、今の美春の危険な状態を察することができたのだろう。
 気遣ってくれる須賀の気持ちを思い、美春は雨なのか汗なのか分からない雫を頬に流して、儚い笑みを見せた。
「……有難う……。ごめんね、須賀さん……」

 須賀の胸がズキリっと痛む。
 彼は美春の笑顔が好きだ。楽しそうに笑う笑顔も、綺麗な微笑みも、ちょっと悪戯っぽい含み笑いも。
 礼を口にした彼女は、儚くとても秀麗な笑みを見せてくれた。それは見惚れてしかるべき面立ちであったというのに、何故だろう、泣きたくなってしまうほど悲しいのだ。
「光野さん……、オレ、……悔しいです……」
 そんな悲しみが須賀を苛み、悲痛な思いを口にさせた。
「光野さんは、どうして専務を……信じてあげなかったんですか……?」

 微笑んだまま、美春の目だけが僅かに見開かれる。彼女の瞳に映る須賀は、言葉通りの悔しさを湛え、男泣きをしてしまいそうな悲しげな表情をしていた。
「専務は……、どんな苦境に晒されたって、……どんな逆境に追い詰められたって、……絶対に負けない人じゃないですか……。そこに光野さんが絡むなら尚更、『乗り越える』って言ったら自分の命をかけたって乗り越える人じゃないですか」
 その声は、本当に泣いてしまいそうだった。
 いや、須賀は泣いているのだ。
 心の中で。
 悔しくて悔しくて。
 学の気持ちも、美春の気持ちも分かるからこそ。心だけが泣き叫んでいるのだ。
「その専務が、『絶対に屈しない』って……、会社も、光野さんも、両方守るために……、そう言ってくれたのに……」
 美春がアランの条件を呑む発言をしなければ、会社がどうなるか、学の立場がどうなるか、須賀にも分かる。
 だが彼は、それでも美春に、決定的なその言葉を言っては欲しくなかったのだ。

「オレ……、嫌ですよ……。光野さんが、いなくなるなんて……」

 彼は本音を零し、美春に寄り添ったまま顔を下げる。
 黙って見ていた柳原は既にもらい泣きをしてしまい、背を向けて俯きながら帽子で顔を隠してしまっていた。
 ひとり冷静に見える櫻井だが、彼とて心中穏やかではいられない。奥歯を噛みしめ須賀の言葉を聞いている。
 雨音だけが場を包んだ時、その中に近付いてくる足音が混じった。

「美春……」
 聞き覚えのある優しい声に、まさかとの思いを込めて美春は顔を上げる。
 そこには、信に身体を支えられた涼香が立っていた。
「……涼香……」
 何故涼香がこんな所にいるのだろう。来るという話は聞いてはいない。
 だが傍らに信が立っているところを見れば、信が学を訪ねると聞いて一緒に着いて来たというところなのだろう。もちろん、美春に会うために。
 大きくなり始めた雨粒が、涼香の身体を濡らしている。妊娠中だというのに冷えてしまうではないか。美春は急いで立ち上がろうとした。
「涼香、濡れちゃうよ、中に入って……」
 しかしまだ足に力が入らない。ガクリと倒れそうになった身体を、櫻井が抱き止めた。
「すみません……、係長……」
 支えてもらった礼を口にして彼を仰ぐが、そこにあったのは、毅然としながらも痛切な色を濃くした櫻井の双眸。口に出さずとも、彼も須賀と同じ思いを抱えている気持ちが滲んでいる。
 いつもは皮肉な櫻井のそんな思いを感じて、美春の瞳にジワリと涙が浮かぶ。その時、涼香が口を開いた。
「……何かあるんだろうとは、思ってた……」
 彼女の声は、空気に染み込む雨音のように穏やかだ。だがそこには、聞いている者を引き込んでしまいそうな憂いがある。
「信ちゃんの様子もおかしかったし、お父様も慌ただしくて……。ロスのお爺様にも連絡を取っていて、葉山君とは毎日のように連絡を取っているし……。何かが起こっているんだとは思ってたけど……、まさか、こんな……」
「……涼香……、ごめ……」
「あんた、何考えてるの……」
 支える信の手を解き、涼香はゆっくりと美春に歩み寄った。櫻井に支えられながらも身体を立てた美春は、悲しげに柳眉を逆立てた気丈な親友を見つめる。
「あんたが、葉山君の傍を離れて……何ができるのよ……。いっつもいっつも、昔っから、葉山君に守られて守られて、守られ過ぎて生きてきたあんたが……、葉山君がストーカーみたいにくっついていたから今まで生きてこられたようなあんたが、……葉山君の傍を離れて、何をしようっていうのよ……。葉山君がいないと何もできないくせに……。調子に乗ってるんじゃない!」

 美春を叱咤しながら、涼香は気丈な瞳からはぽろぽろと涙を零した。
 彼女だって、アランとの話を聞いていた。察しが良く洞察力に長けた涼香のこと、美春が置かれている状態はよく分かる。
 分かっていて、美春の決断も理解している。

 けれど、言わずにはいられない……。

「あんたなんて、葉山君がいなかったら生きていけないような女じゃないの! なのに……、何を馬鹿みたいなこと言ってるの!? 死ぬ気なの!?」

 美春は櫻井の腕を飛び出し、涼香に抱きついた。
 彼女の身体を抱きしめ、背を掻き抱き、一緒に涙をぼろぼろと流しながら、身を案じてくれる大切な親友に許しを請うことしか、今の美春にはできない。
「ごめん……、ごめん、ごめん……。ごめんなさい……りょうか……っ!」


 ――――雨はやまない。
 心の雨も、強まるばかり……。

 *****

 櫻井の勧めもあり、涼香は医務室で休むことになった。
 彼女が妻の冴子とさほど変わらない妊娠周期なのだと知って心配をしたのだ。
 信もしばらく涼香に付き添っていると言ってくれたので、美春は「後で様子を見に来る」と言い残し、安心して医務室を出た。
 美春も濡れてしまっているので着替えることが先決ではあったが、それよりも先に学に会いたかった。
 会って何を話すべきかはまだ整理ができてはいなかったが、とにかく会って話をしたかったのだ。彼にあんな目を向けられ、怒りを買ってしまったのだから、もしかしたら手を上げられてしまう可能性も否めない。

 そう考えながらも美春は、心のどこかで学は分かってくれているのだと、信じたかった。

「専務、入ります」
 控え目なノックと入室報告をするが、中から返事はない。恐る恐る開いた専務室のドアの向こうに、学の姿はなかった。
 僅かに雨に濡れはしたが、彼ならば気にするほどではなかったはずだ。着替えているのだとしても、ビルの中に入ってからかなりの時間が経っているのだから、まだ終わっていないということもないだろう。
 だとしたら、どこへ行ってしまったのか……。
 学としては、今は誰かと会いたいという気分ではないはずだ。行くとしても、必ずひとりでいられる場所だろう。そう考えた美春は、ふとそんな場所を思い立つ。
 雨は降っているが、その場所へ向かって歩き出した。

 それは屋上だ。

 イベント時は解放されることもあるが、普段は立ち入り禁止になっている。
 ロックはコンピューター管理で、決められた人間のみが解除可能。一や学はもちろん、美春も……。

 外へ出ると、また雨粒が大きくなっているような気がした。このまま強い降りになっていくのだろうかとぼんやり考えながら、美春は無人の屋上を見渡す。そして、目指す人物はすぐに見つかった。
 出入り口のはるか正面。鉄柵から地上を見下ろす、スーツの背中が。
 ゆっくりと足を進め、美春はその背中へと近付く。いつからここに立って物思いにふけっているのだろう。彼は頭からスーツまでびしょ濡れだった。
 取り敢えずは、専務室へ戻って着替えてもらおう。そうは考えるがなかなか口が開けない。すると、振り向かないままの背中が言葉を発した。
「来たか……。会社を救う、英雄……」

 美春の胸が、槍で刺されたかのように痛む。
 皮肉かと思わせる台詞ではあったが、すぐに学の肩は失笑に揺れた。
「いや、……違うよな……」
 そして次に発せられた声は、いつもの優しく愛情に満ちた、“美春の学”の声だったのだ。

「――美春は……、会社じゃなく、……“俺を”救ってくれたんだよな……」

 憤りを見せたはずの学。
 けれど彼は、分かっているのだ。美春が何のために、誰のために決断をしたのかを。
 彼が怒りを現したのは、美春に対してではない。

 ――――自分に対して、だったのだ……。

「まな……ぶ……」
 呼びかけは声にならない。
 美春は声もなく涙だけを零し、学の背中にしがみついた。


 雨が降る。
 今日の出来事を、悲しみと共に流し去ってしまわんとするかのように。







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**********

後書き
 こんにちは、玉紀直です。
 第13章、本日でラストとなります。

 会社と抗体のため、そして何より学の為に大きな決断をした美春。
 誰もが納得はできないとしながらも、これしか方法がなかったことも分かっています。
 第14章は、少々心痛い展開になる予想がありますが、どうか引き続きお付き合い頂けますよう祈っております。

 第14章開始時期や、ちょっとした予告などを書いた活動報告をUPさせていただきます。
 是非、御一読くださいね。

 宜しくお願い致します!





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みわさんへお返事です(5/16)

みわさん、こんにちは!
 いえいえ、こちらこそ、悲惨な展開になってきた第13章ですが、読み進めて頂き、有難うございます!

 美春ちゃんの気持ちは皆が分かってます。
 でもやっぱり、皆言わずにはいられないんですよね。櫻井さんも我慢はしましたが、美春ちゃんがあんなショック状態じゃなかったら、書類を丸めて頭をポカポカ殴りながら「ふーざーけーんーなーーー」って怒ったと思います。

 学くんに頑張ってもらおうと思います。
 14章どころか15章までヘタっているかもしれませんが、彼の動きに注目してあげてください。

 第14章開始までまたお時間を頂きますが、再開の折には是非覗きに来てくださいね。
 宜しくお願い致します。^^

 コメント、有難うございました!

お久しぶりです!

玉紀先生!

お久しぶりです!
いつも楽しませていただいております!!
セブンイレブンの珈琲・・・こんど 試してみますね!!

さてさて、このラスト・・・思いっきり泣かせていただきました!
学っちの気持ちもわかるが、美春ちゃんの追い詰められていく状況もわかる・・・
涼香ちゃんの最後のタンカ・・・状況がわかってるだけに悲しみが増しました;;
いくらハッピーエンドになることが約束されている二人だとわかっていても、その「完璧」になるまでに、起こる試練が今回もきついですね・・・
わかっていても悲しんでますよ・・・普通以上に;;
6月1日が待ち遠しいですが、とにかく、これからの試練、私も心して闘います!
佳境に入ってくると思いますが、先生もお体ご自愛くださいね!
PS;お子様たち、お元気ですか?隼ちゃん、大きくなったでしょう?我が愛する甥っ子龍君は、今年から幼稚園に通ってます!入園式ではママの手を離さず、ママも一緒に入園したそうです(笑)また、お子様のお話も教えてくださいね!
ではでは!

Re: お久しぶりです!(hiromiさんへお返事です5/18)

こんにちは。

 記載頂いたメルアドへお返事させて頂きましたが、届いておりますでしょうか?
 未着の際は御連絡下さいね。^^

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