理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第14章10(最後の十字架)

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「雨、やんでいたんだな……」
 気持ちがひと息つき、緊張が抜けた身体で煙草以外の香りを吸い込むと、やっと外の様子を気にかける余裕が出てきた。
「夕方は豪雨だったな。……いつやんだんだろう」
 書斎の小さな窓からは星空が見える。毎回そうだが、大きな仕事を終えたあとに嗅ぐコーヒーの香りは、酔ってしまうのではないかと思うほどのリラックス効果を彼にもたらしてくれた。
 デスクの置き時計は二十三時を示している。もうこんな時間になっていたのかと苦笑いを漏らして、大介は一気に飲んでしまったコーヒーのお代わりを作りに向かった。
「最終確認は明日だな。……学君も、もう会社から帰っているだろうし」
 ドリップマシンにカップを置き、スイッチを押す。豆が挽かれる音がした数秒後、彼を酔わせる寸前の香りをかもし出す液体が注がれ始めた。
「しかし便利だな……。会社にも欲しいなこんなの。ひとまずここでの役目を終えたら、“社長”に貰おうかな。そうしたら室長室に置くのに……」
 気に入る物を見つけると、つい嬉しくなってしまう。それで時々、エリと買い物に行って笑われてしまうことがあるのだ。「やだ、大介、気に入ったアイス見付けた時の一真とおんなじ」と。
 やっとこんな言葉が出てくるくらい気持ちに余裕ができた自分に、大介は心の底から安堵した。
 カップを取り、視線を部屋の奥へと流す。重厚な一枚ドア。その向こうは研究室だ。ここへ通い詰めた数日間、気が抜ける日はなかった。
「何とか、……間に合ってくれただろうか……」
 口にした渇望が現実になるよう、彼はコーヒーを流し込み気持ちを潤した。

 彼がいる場所は会社ではない。自宅の書斎でもない。
 葉山家の温室の奥に作られた、身内とごく一部の近しい者しか知らない空間だ。
 数多くの文献と貴重な資料が保管されているこの書斎には、学会や世間から秘密裏に抹殺された研究論文なども残されている。同じように研究室には、それに匹敵する検体も数多く保管されているのだ。
 過去数回だけ研究者が籠り使用した研究室だが、一の代になってから使われたのは初めてだ。その存在は知っていても、学でさえここには入ったことがない。
 決して世には公にできない資料や検体の集大成。
 葉山製薬が古くから栄華を誇り、老舗大企業との呼び名と共に、各界へ発言力と影響力を持つ秘密が、ここにある。

 書斎のドアが開かれた。この場所を知っていて入ってこられる者など、今は大介の他にひとりしかいない。彼はコーヒーの液体を見つめながら口を開いた。
「完成したぞ。あとはチェックだけだ」
 一に頼まれていた大仕事もほぼ完了だ。ホッとする幼馴染の顔が見られるかと期待して上げた目には、神妙な表情を湛える一がいる。
「どうしたんだ……。もしかして、さくらさんに何か……」
 まさか、副作用か何かを起こし、この研究が間に合わなかったのでは。ひやりと肝を冷やした大介だが、一は苦笑いでそれを否定した。
「いいや、さくらは大丈夫だ。……とは言っても、まだ眠り続けているのだから『大丈夫』とは少し違うかもしれないが」
 一は言葉を切り、ゆっくりと大介へ近寄る。何事かと首を傾げる彼に、“決定事項”を伝えた。
「ロシュティスとの契約が成立する。向こうに提示された条件で」

 コーヒーカップを持ったまま、大介の動きが止まった。ロシュティス側に指定された条件を呑んでの成立がどういった意味をもつか。彼にも分かっているのだ。瞬時に頭の中には、愛娘の顔が思い浮かんだ。
 茫然とする大介の前に立ち、その肩を叩いて、一は視線を伏せた。
「……すまない……。誰も、止められなかった……」

 美春を犠牲にしたのかと、大介は激憤するのではないか。穏やかな性格の彼ではあるが、美春の件となれば話は別だ。
 一発くらいは殴られるのを覚悟したうえでの報告だったが、一の耳には、怒鳴り声ではなく慎重な問い掛けがもたらされた。
「――どうして謝る。……お前だって、美春の“父親”だろう? 辛いと感じる気持ちは、同じだろう」
 視線を上げたところにある大介の表情は真面目なものだ。動揺を表してはいないが、それでも多少の緊張感が襲っていることは、カップの取っ手に力がこもっていることで分かる。
「美春が決めたんだろう? 学君でさえ止められなかったんだ、一も口を挟めなかったなら、僕がその場にいても、きっと同じように言葉を失っていたと思う」

 学のために出した決断なのだろうと、大介にも察しはついた。美春ならばそう決めてもおかしくはない。
 “娘を救うために”と、大介はこの研究に再度足を踏み入れた。それが終了する手前で出てしまった結果。
 遅れをとったのだろうか。これは無駄なことだったのだろうか。
 いや、そんなことはない。
 彼は望みを捨てない。
「一、また終わってはいない。まだできることはある。僕は明日、最終チェックを学君に託すつもりだ」
「大介……」
「とにかく、抗体はこちらで完成をさせよう。……アラン社長の力を借りなくても良いように。僕はそれが、この先、美春を救うきっかけのひとつになれると信じたい。――“私たちの娘のため”、お前が解いてくれた封印だ。暗黙の了解で消し去られたこの研究が、大切な者のためになる。素晴らしいことだ」

 頼もしさを感じる大介の言葉を聞いて、神妙だった一の表情が和んだ。
「五十年間お前と付き合って来て、初めて理論的に負けた気がするぞ」
「お前な……」

 まだ、負けてなどいない。
 例えそれが、僅かな望みでも……。

 *****

 翌日は、昨日の雨が嘘のような快晴だった。
 八月の終わりも近いが、涼しくなる気配などは一向に見えず、かえって朝から日光と戦わなくてはならないほどの陽射しの強さだ。
 ただ、美春の心だけは、既に秋を迎えているかのようでもある。
「門の前まででいいよ。ごめんね、晶香ちゃんとデートだったのに」
 真っ白のランサーが、眩しさを抑えきれない木漏れ日をボディに反射させながら停まる。ホテルリゾート、マニフィーク・ヒルの門前は、まだ朝の九時前であるせいもあって客や従業員の姿もなく、ただ警備員だけが、この車は何の用事なんだろうと様子を窺っていた。
「デートは昼からだよ。夏休み中だし、気にしないで」
 美春に笑顔を見せる一真ではあるが、その表情は時折戸惑いを覗かせる。最近ひと悶着あったこのホテルに美春が来なくてはならなかった理由を、昨夜美春本人から聞かされ、彼は納得いかない気持ちでいっぱいなのだ。
「帰る時間には、連絡してよ……? 絶対だよ?」
 強い口調で、一真は約束を迫る。何なら学に迎えの連絡をしてくれても良いと言いそうになり慌てて口をつぐむが、約束を取り付けておかないと美春が帰ってこないような、おかしな予感に苛まれるのだ。
「絶対だよ。……今日、帰ってくる時、迎えに来るから。連絡してよ、お姉ちゃん」

 美春は帰ってこないのではないか。
 根拠のない不安。それはもしかしたら、弟としての勘だったのかもしれない。
 そんな予感を、彼は感情で頑なに否定する。
「絶対だからね」

 一真が心配してくれている気持ちが、辛いほどに伝わってきた。
 美春は、青白い肌に儚い頬笑みを浮かべる。
「うん、約束するよ、一真……」

 車を降りると、眩しさに一瞬眩暈を覚えた。
 動悸がする。緊張のせいだろうか。それとも……。
 美春は両手でスマホを抱き、足元を意識してゆっくりと歩き出す。
(学……)

 愛する者への切なさを抱いて、美春は、最後の試練となる十字架を、背に掲げた。







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後書き

 こんにちは。玉紀直です。
 第14章、今回でラストとなります。
 哀しい展開ばかりが続きましたが、お読み頂き、有難うございます。

 雨の中で交わされる、ふたりの気持ちのやり取りがメインになりました今章。
 美春はもうここには戻って来られないという絶望的な雰囲気で進んでいきましたが、周囲では、それを許せない人たちが沢山出てきました。
 そんな中、美春がアランの元へ向かいます。

 第15章でも、失望に捉われる学の姿が続きます。それを取り巻く人たちの活躍を交え、彼がどう自分を取り戻していくか、ご覧頂ければと思います。

 宜しくお願い致します。





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~ Comment ~

直さん、こんばんは(^^)
25日から新章だ…と思い、コメを書いてない事に気づいたうっかり者です^^;

いつもは学君中心に周りが動く感じでしたが、今回は学君の為に周りが動く感じでしょうか。そんじょそこらのお墨付きじゃありませんからね。きっとやってくれるでしょう。
ちょっとヘタレな人間臭い学君も大好きなので、楽しみだったり…。すいません(^人^)

アランの元へ向かった、美春チャンが心配でもありますが…。
信じてますよー、直さん(笑)

いつもありがとうございます。朝を楽しみに…おやすみなさーい。

みわさんへお返事です(6/25)

みわさん、こんにちは!

お返事がすっかり遅くなってしまったうっかり者です!(だめじゃん^^;)

第15章、呆れないでお付き合い頂けていますでしょうか……(どきどき)
学がヘタレで……。
もう、先に謝っちゃいます。ごめんなさい! 復活してくれるの待っていてくださいね。;;
あ、でも、人間臭い学君も好きだ通って頂けるのは嬉しい……。
完全完璧人間ですから。たまにこんな彼も良いかと。(←調子に乗る)

美春ちゃんも弱々しく倒れてしまっていますが、アランに付け入られないよう、見守って頂けると幸いです。

毎朝を楽しみにして頂けるよう、頑張りますね!

ありがとうございます!!

    
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