理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第15章5(消えた専務)

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「専務がどこへ行ったのか分からないのかい? 外出かい?」
 穏やかではあるが苛立ちを感じさせる声は、エレベーターの扉が開いた瞬間に耳へと飛び込んできた。
 声の主が副社長の佐藤であったことが、その現場を目の当たりにしてしまった柵矢には信じられない。“恵比寿の佐藤”と言われるほど穏やかな性格の副社長。彼が怒る姿など、社長が声をあげて笑い転げる姿を見てしまうほどレアなのだ。――実際、社長兼会長である一に四半世紀以上秘書として就いている柵矢でも、そんな光景は見たことがないのだが……。
「どうしました? 副社長」
 しかし、柵矢と共にこの三十四階でエレベーターを降りた一は、佐藤のレアな姿も見たことがあるらしく特に動じはしない、かえって動じてしまったのは、そんな自分を見られてしまった佐藤と、そして彼に責められていた櫻井だろう。
 まさかこのタイミングで、一が現れるとは思わない。
「専務が、どうした?」
 佐藤からの回答を聞かないうちに、一は櫻井に声をかける。専務秘書として仮辞令を出したことで忙しく動き回っている予定の彼が、こんな所で佐藤の叱責を受けているとは、いかんとも理解し難い。
 訊ねられたのは櫻井ではあったが、一の疑問を佐藤がまとめて答えた。
「姿が見えないそうなんですよ。今日は救命救急センターの新しいセンター長が午後から僕の所へ来る予定が入っているのですが、専務にも顔を出してくれるように一週間前から頼んでおいたんです。先方も、専務が同席ということで楽しみにしてくれていて……。どうせなら昼食を一緒にということになったので場所の変更を連絡しようとしたら、肝心の専務が捉まらないと僕の秘書が慌てていたもので……」
 チラリと腕時計へ視線を走らせ、一は再度櫻井へ問いかける。
「いないのか?」
「……朝、専務室を出たきり……。捜してはいるのですが……」

 あまりにも歯切れの悪い櫻井を見て、一の一歩後ろで柵矢は驚きに目を瞠った。
 入社時からずっとエリート社員として仕事をしてきた櫻井。こんな口惜しげな彼を見るのは初めてだ。
 だが、柵矢の驚きは一に中断される。
「柵矢さん、私のスケジュールは、このあと夕方まで空いていましたよね?」
 それこそ四半世紀の仲だ。一が何を言いたいのか、柵矢にはすぐに分かった。
 ひと言で済むところ、彼は同じく長い付き合いである会長第一秘書ならば“こう言うだろう”という見当をつけ、一へと進言する。
「とんでもない。とても大切なスケジュールが入っておりますよ。会長の体調を管理させて頂く意味でも、会長にはこのあと、昼食を取って頂くという大切なお仕事が待っております」
 柵矢の回答に、一はふっと表情を和め、そしてすぐに佐藤へと向き直った。
「センター長との昼食には、私が同席させて頂きますよ。構いませんか?」
「それはもちろん。いや、センター長も喜びます。まさか社長に会えるとは思っていないでしょう」
 充分すぎる代役に佐藤は驚きを見せるが、すぐに気を取り直し、ビルの向かいに建つビジネスホテルのレストランに席を設けてある旨を伝えた。
「分かりました。私も専務室へ用事があったのですが。専務が不在のようなので、一度会長室へ戻り、それからそちらへ向かいます」
「宜しくお願いします。いや、社長と会えて良かった……。専務が捉まらないと聞いた時は驚きました。櫻井くんまでが行先は分からないと言うし……。こんなことは、初めでですよ……」
 不安を感じさせる本音を吐き、佐藤はチラリと櫻井を見る。なぜ専務への取り継ぎを彼がやっていたのかは分からない。有り得ない事態になっている理由を、聞きたい気持ちもあった。しかし今はそんな場合ではない。佐藤は「では、お待ちしています」と言い残し、エレベーターへと乗り込んだのだ。

 理由を聞きたい気持ちは柵矢も同じだった。
 今朝、美春のデスクに異常があったことは彼も知っている。なぜ今日は彼女が出社していないのか、なぜ私物が整理されてしまっているのか、その真相も分からないままだ。
 会長の第一秘書代行を命じられ、櫻井が専務秘書の仮辞令を受けた。一は元より櫻井もその内情を知っているのだと察しはつくが、当の一が口にしないのだ。深い詮索はできない。柵矢はただ、与えられた仕事をこなすしかないのだ。
 たとえ、専務が何の連絡もなく姿を消しているなどという、薄ら寒い異常を感じてはいても。

「会長……、申し訳ありません……」
 一の配慮に、櫻井は頭を下げる。初日からこれでは、彼に信用を置いてくれた一の期待を裏切っているようなものだ。
 いつもは堂々と張っている櫻井の肩が、今日は心なしか小さく見えてしまう。一は「しょうがない」と呟き、その肩をポンッと叩いた。
 昨日の状況から、学の異変を予想して櫻井を傍に着けたが、おそらく手に負えないのではないかという予感も持ってはいたのだ。

 ――――葉山学という男の“ストッパー”となり得る者はひとりしかいない。
 それを、一は辛いほどに知っているのだから。

「櫻井君もひと休みしなさい。午前中いっぱい探して見つからなかったのなら、出てくるのを待つしかない。出てきて見つけられたら私に知らせてくれ」
 そう言い残し、一はエレベーターへ乗り込む。「分かりました」と頭を下げる櫻井を残して、ドアは閉まった。
 一と柵矢の姿がなくなると、櫻井は重い息を吐き頭を上げる。“休め”とは言われたものの、そんな気分にはなれないのが実情だ。
「……どこへ行ったんだ……。専務……」
 学を見つけたら、彼に相談をしようと思っていることがあるのだ。
 アランの元へ、美春を迎えに行ってはどうかと。
 いくら契約条件だったとはいえ、美春はまだ葉山製薬の社員なのだ。彼女に関わってはいけないという規制はないはずだ。
「……何もしないで、諦めるのは早いな……」

 そう呟きふっと苦笑すると、彼は階段に向かって歩き出した。
 今朝、その言葉を口にした男の元へ、美春を迎えに行く話をしようと思い立ったのだ。






 *章の途中でお休みを頂いてしまい、申し訳ありませんでした。
 引き続き、宜しくお願い致します。


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