理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第16章3(従者の制裁)

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 少々手荒な一の煽りも、エリや一真の激励も、どちらも今の学にとっては力強いものだ。
 それは良い意味で彼の気持ちを盛り立ててくれる。
 自分は、いつもの自分の考え方で行動しても良いのかと、思わせてくれるのだ。
 ――――だが、感情が勢いの乗ろうとすればするほど、理性が危険信号を放つ。
 
 本当にこのまま勢いに乗って良いのか……。
 それは、限りなく危険なことではないのか。学が学であるように行動するということは、美春が決断した覚悟を、無駄にしてしまうものなのではないのだろうか。
 励ましや期待をかけてもらえることは有難い。
 だが……。

 学の気持ちがスッキリと整理されることはない。
 美春の気持ちや会社のことを深く考えれば考えるほど、彼らしくはないくらいに迷いも深くなっていくのだ。

 学はやっと屋上を下り、専務室へと向かった。
 櫻井はどうしているだろう。上司不在ではあるが、彼のことだ、上手く仕事を処理しているかもしれない。それともまだ探し回っているのだろうか。
(もしそうなら、連絡してやったほうが良いかな……)
 どことなく前向きになりつつある気持ちを持って、学は専務室のドアに手をかける。ふと、学が出たあとに櫻井も専務室を出たのなら、ここには鍵がかかっているはずであることが思い立った。
 ガチャリとドアが音を立てたということは、彼は中にいるのだ。「すまない」のひと言くらいはあったほうが良いだろうか。そのあとは、須賀にも一言謝りに行こう。――そんな考えを抱きながら、学はドアを開く。
 中へ入ってすぐスーツの足元が目に入り、櫻井かと思い何の疑いもなく顔を上げた。
 しかし……。

 学はその瞬間、勢い良く大量の水をかけられ、全身が水浸しになったのだ――――。

「……は……?」
 訳が分からず、自分でも不思議なくらい呆然としてしまう。
 髪から滴り続ける水滴。頬を伝う冷たさ。スーツが水を含み、何とも言えない重さを感じる。
 上半身どころの話ではない。学は、全身がずぶ濡れになるほどの水を浴びせられたのだ。

「……何の……、冗談です?」

 信じられないと言わんばかりに問いかけた先で微笑む、神藤によって。

「学様に水をかけるなど、大変な無礼を働き恐縮でございます。ですが、私の大切なお嬢様からの御命令です。従わぬ訳にはまいりません。何卒、御容赦を」
 時には凍りつかんばかりの冷たささえ感じさせる、彫りの深いエキゾチックな相貌に楽しげな微笑みを湛え、彼は左手に大きな空バケツを携えたまま右手を胸に頭を下げる。
 考えようによっては、片手にバケツを持つ彼の姿などかなりのレアだ。いつもの学なら、「そのバケツに紗月姫ちゃんを入れて持ち歩いたら?」とからかうところだろう。
 だがもちろん、気持ち的にそんな余裕などありはしない。
 どうして自分が水をかけられなくてはならなかったのか、学はそれが分からないのだ。

 神藤は「お嬢様の御命令」と言った。ならば、その指示をした“お嬢様”はどこにいるのだ。
 水で崩れた前髪をかき上げ、頬に纏わりつく水滴を拭う。頭を振って水を飛ばしていると、視界の端に白衣姿で立つ大介の姿を捉え、なぜ彼がここにいるのかという思いと共に顔を向けようとしたが、学の動きはその途中で止まってしまった。

「目が覚めましたか?」

 冷たく澄んだ声が、彼を凍りつかせたからだ。
「一伯父様には、鉄拳制裁くらいはいただいたのかしら? 伯父様のことだから、叱咤激励くらいで終わりそうね。美春さんのお母様と弟さんも面会に来ていたようですけれど、励まされて持ち上げて褒めちぎられて、それで学さんの心は動いたのかしら?」
 皮肉めいた言葉は彼女の十八番(おはこ)だ。しかし今日は、その口調にどこか辛辣なものを感じずにはいられない。
 目を向けた先には、学を見据え、ゆっくりと応接用のソファから立ち上がる紗月姫の姿がある。
 夏らしいふんわりとしたアイボリーのワンピースはとても可愛らしく、その姿で微笑んだのなら、神藤ではなくとも「天使のようだ」と抱き締めずにはいられない様相だというのに。
 今の彼女は、柳眉を逆立て、その秀麗優美な相貌をこれ以上なく厳しいものに変えている。
 もしもパーティー会場などで彼女がこんな表情を見せたのなら、その場は一気に葬儀会場であるかのように静まりかえるだろう。

 紗月姫は腕を組み、目を逸らすことのないまま学へと歩み寄る。
 彼女としては彼の真正面まで行きたかったのだろうが、その途中で進行方向を神藤の腕に遮られ、足を止められた。
「ここより先は床が濡れております。お止まりください」
 学へと見舞った大量の水は、彼を濡らし、その周囲にも被害を広げた。背後に飛んだ水のほうが多いが、前方にだって飛んでいる。ぐちゃりと水が浸み出し彼女の足に不快感を与えるであろうことが予想されるこの絨毯を、「踏んではいけない」と神藤は進言しているのだ。
 紗月姫が止まると、神藤は腕を引き、進言を聞き入れられたことに対し頭を下げる。バケツを片付けるために彼が下がると、紗月姫は学との間に空いた空間を埋めようとするかの如く、その長い腕を伸ばし人差し指を突き付けた。
「何です、その“迷い”に濁った目は」

 突き付けられた指先は、どんなに伸ばしても学の鼻先もかすりはしない距離だ。しかし学は、あまりの驚きに顔を後ろへと引いてしまった。
 紗月姫が人を指差し、なお且つその指を相手の眼球も突き破らんばかりの勢いで攻め伸ばしてくる姿など、レア中のレアだ。
 学どころか、おそらく彼女の両親でさえ、そんな姿を見たことはないだろう。
 ――神藤に見つかれば、間違いなくお尻を叩かれるレベルの不作法だ。

 だが今は、それを口にできる雰囲気ではない。
 つまり彼女は、それだけ憤慨しているという意味なのだから……。







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