理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第16章4(天使の叱咤)

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「それが葉山学ですか、この私が“兄”と慕った人間ですか!」
 紗月姫の声は、専務室内に大きく響き渡った。
「様々な人たちが、きっと、貴方に気遣いを見せている。貴方に期待を寄せている。なのに、貴方はそれを知っていても何もしようとはしない。一伯父様に戒めを受けても、今でも貴方は迷っているのでしょう?」
 学は言い返すことも聞き流すこともできない。
 紗月姫の言葉は、真実であるからだ。
 この状態が辛いのなら、美春を取り戻せと一に叱咤激励を受け、エリや一真には信頼を向けてもらい、学の精神は高まったはずだ。

 学が学であるやり方で、美春を取り戻すために動いても良いのかと。

 だが、それを考えると迷いが生じるのだ。
 美春と約束をした儚い方法ではなく、学的な方法で、すぐにでも美春を奪還する行動に出たとして、その後は、どうなるのだ。
 抗体の件は。会社は……。
 美春の決断によって上手くいくことになっていたものを、崩してしまうことにはならないか……。
 だから学は迷うのだ。
 彼の行動ひとつに、この会社に関わるものの未来がかかっていると言っても過言ではないのだから。

「こんなにも迷い、英気を失った目をしている人間を、私は知りません。貴方は、私が知っている葉山学ではないわ」
「……紗月姫ちゃん」
 茫然とした表情からやっと反応を変えた学だが、紗月姫は態度を変えない。相変わらず冷たい視線を向けたまま、それでも、真っ直ぐに指差していた手だけは下げた。
 それが自分の意志なのか、神藤が戻ってきたからなのかは不明だが、彼女は腕を組み深い溜息をつく。
「……とんでもない話だわ。貴方が、私が知っている“葉山学”ならば、とんでもないことよ……」
 首をゆっくりと左右に振り、紗月姫は懸念されるべき大きな問題を口にする。彼女の瞳は、あいかわらず滴る水滴を拭おうとしないまま立ち尽くす学を睨(ね)めつけていた。

「これが葉山学ならば、この“葉山”のすべてを継ぐ人間だということになる。……なんということなの……、こんな、自分が大切に思うものひとつ、手放してはいけないものひとつ分からない男に任せていては、葉山グループは終わりよ」

 それは、はたから聞いてとても辛辣な言葉であることだろう。
 跡取りである資格がないと言われているのだ。代々続くこの葉山製薬を、父が成したこの葉山グループを、背負っていける器ではないと。
 屈辱的な言葉であるそれは、学の心に響き、悔しさを引き出しながらもどこか納得せざるを得ない重さを持っていた。
 跡取りにあるまじき悩みを、自分は持っている。
 会社を犠牲にするかもしれない可能性のある行動に、出ても良いものか否か。――いや、“出たい”のだと。

 許されるのなら、“世界”を取り戻したいのだと。

「見るに堪えないわ……。貴方がこのまま何の行動も起こせない男なのだと私が判断したなら、私は、辻川財閥の次期総帥として、グループごと葉山製薬を吸収します。こんな男に、大切な一伯父様やさくら伯母様が受け継ぎ守ってきたものを、私の母が大切にしている生家を、任せられるものですか」 
 決して不可能ではなく、有り得ないことではない現実に、学は眉をひそめた。それを見逃さず、紗月姫は彼に選択肢を与える。
「それが嫌なら、いつもの葉山学に戻りなさい!」

 学が学としての行動を躊躇するのなら、葉山のすべては辻川へ吸収される。――だが、行動を起こすのなら……。
 限りなくスケールの大きすぎる恐喝だ。
 だがそこには、誰にも真似のできない紗月姫らしさがあり、彼女が心から求めている望みが見え隠れしているではないか。
 学にも、愛従妹の気持ちは伝わっている。だからこそ彼は、彼女の言葉に驚きを見せながらも、心のこもったこの厳しい叱咤に心を揺さぶられずにはいられないのだ。

「……いつもの学君に戻ってくれることを前提に、ちょっと、話しをしても良いかい?」
 紗月姫が作りだす緊迫感をいともたやすく柔軟に和らげ、学の前に足を進めたのは大介だった。
 ずっと傍観者を決め込んでいた彼。学を訪ねて専務室へやってきたところ、同じく何の予告もなくやってきた紗月姫と神藤に出くわした。明らかに専務室用の鍵ではないものでドアを開いた神藤に苦笑いを見せながらも、一緒に中で学を待つことになったのだ。
 入室してから、神藤が水をたっぷりと入れたバケツを用意して出入り口付近に立っていたので、何をしているのだろうと疑問に思っていたが、まさかあんなに盛大に学へ水を浴びせるとは思いもしなかった。
「学君」
 紗月姫とは違い、濡れた床を踏むなと進言する人間もいない彼は、学の正面に立ち、いつもは自信に充ち溢れているのに今はその欠片も感じられない顔を見つめた。
「抗体が、完成したよ」

 学は目を見開いた。今、“抗体”と言って思いつくものはひとつしかない。話の重要性を悟り、紗月姫も視線を向け大介の言葉に聞き入った。
「これで、さくらさんを救える。そして僕は、これが、美春を救えるきっかけになれると信じているんだ。――そのための最終確認を、“学君に”頼みたい」

 余計なことは口にしない。
 だがこれで、大介が謎とされていた二十五年前の研究者であることがハッキリとした。
 学も紗月姫も、それが大介であろうという憶測は持っていた。だが、その内容的に明確な確認を本人に問えるものではない。それは、暗黙の了解という心の領域で処理されていたのだ。
 闇に葬られ封印された研究。この件について、光野博士が関与していると分かっていても、人としてもモラルが、口に出すこと許さなかったのだから。







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