理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第17章8(戻せない愛情)

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『特に何もなかったのかしら……』
 視線を向けた場所では、いつも通りスクリーンセーバーの菜の花がそよいでいる。デスクトップにも異常はない。
 通話中、気になって何度か振り返った時には見えていた警告の赤枠もなくなっている。今までは、ハッカーが入ると反応したセキュリティが、反対に抜き出したハッカーの情報をプロファイルしてくれたはずなのに。その気配さえない。
(ハッカーの情報が残っていないなんて。そんなことが有り得るのかしら……)
 もしかして、興味本位で使ってしまった強制排除のプログラムのせいで、ハッカーの情報を壊してしまったのではないのかだろうか。チラリとそんなことも考えてみるが、有り得ないことだ。
 腕を組んで自分のパソコンを見つめ、グレースは溜息をつく。
 ハッカーなど侵入してはいなかったのだと考えるのが妥当なのだろうか。ならば、あの警告は何だったのだ。
『特に何も持ち出されていないのなら、良いのだけれど……』
 訝しむ気持ちのままパソコンに手を伸ばす。本当に何事もなかったのか、ファイルの点検をしようと思ったのだ。

 だがその時、何者かの腕が身体に巻きつき、彼女を拘束した。
『何をしているんだ? レインにラブ・コールでもするのか?』
 嘲るアランの声。彼がベッドルームから出てきたことに気付けなかったが、パソコンの前に立つグレースを見つけた彼自体が、見つからないようにこっそりと近付いてきたのかもしれない。
 ラブ・コールとは悲しい皮肉だ。アランの様子や仕事の経過報告など、兄弟の確執を知りながらも、グレースが細かくレインに報告していることを知っているからこそ出てしまう言葉だろう。
 グレースは元々、アランが研究などで暴走しないよう、監視役として彼の傍に就けられたのだ。彼に関しての報告をするのは当然であるし、アランも特にそれをやめさせる気配もない。
 だがアランは、自分の指示がなくても毎日レインに連絡を取るグレースの行動を、快く思ってはいない。
『本日分の副社長への報告は、既に済ませました。パソコンのファイルを整理しようかと思っていただけです』
『僕が寝ている間にか? それはさぞ楽しかっただろう』
『日本に来て三週間以上ですから……。スイスの知人と話すのは落ち着きます……』
『……“レインだから”……だろう?』
 アランは片腕でグレースを拘束したまま、ワンピースのスカートをたくし上げる。いつもならがそのまま彼がやりたいようにさせるのだが、今ばかりは身をよじった。
『アランっ……、ミハルがそこにいるの……。彼女はサクライのように薬で眠ったわけではないから、いつ目を覚ますか……』
『目を覚ましたって、状況を察してミハルは寝たふりをする。……そういう子だ』
『妻にする女の前で、違う女を抱く気ですか』
 ショーツを掴んだ手が止まる。反抗を口にしてしまったことに冷や汗が出そうになったグレースだが、直後浮かんだアランの嘲笑は、本当に冷や汗を噴き出させた。
『そうだな……。じゃぁ、近々、“レインの前で”お前を抱いてやろうか……』
『……アラン?』
『悔しがるだろうな……。あの忌々しいほど穏やかな顔を、真っ赤にして怒るだろう。――――お前の一族を崩壊させた僕に、殴りかかってきた時みたいに……』
『レイン副社長は、……基本的にお優しい性格の方です。……昔から、そうでした。だから、“あの時”だって、わたしを哀れんでくれて……、だから……』
 アランのおかしな思い違いを正そうと、グレースは自分にもレイン側にも誤解を受けるような繋がりはないと説明をしようとした。だが、咄嗟に出てしまった言葉は、まるでレインを庇ったかのような言い方になってしまう。訂正をしようとした時は既に遅く、アランはグレースをデスクへ叩きつけるように突き離したのだ。
 パソコンにぶつからなかったのは幸いだったが、腹部や腕をデスクに強く打ちつけ、机上にあったファイルや備品が床に落ちてしまった。

 前かがみでデスクに伏し、打撲の痛みに身体を固めたグレースに背を向けて、アランは重い声で言い放つ。
『……どうせお前は……レインにくれてやるつもりだ。仕事を美春に引き継いだら、お前はスイスに戻す。……日本支社に、秘書はふたりもいらない。お前は、本社で新社長になるレインに就けばいい』
 彼の言葉を聞きながら、グレースは下唇を噛んだ。
 秘書交換として、最初は学に渡そうとした彼女を、今度はレインの元へ行かせるという。どうやっても、アランはグレースを手元から離そうというのだ。
『……そんなに……、わたしが邪魔ですか……?』
 思わず出てしまった言葉が、アランに聞こえたのかは分からない。だが、彼はそのまま部屋を出て行ってしまった。
 デスクの上に、ポタリと涙が落ちた。叩きつけられたままの体勢で流れた涙は、身体が痛いからではない。
『……もう少し……、もう少しだけ……。傍にいさせて……。アラン……』
 涙を遮断しようと、ブラウンの瞳が閉じられる。そしてそこに浮かび上がったのは、まだ彼に対して怯えることを知らなかった頃の自分。まだこの髪が、幼少期の名残で金色を保っていた頃。それを編んでくれたアランに、無垢な笑顔だけを向けていた自分。
 アランは、“あの頃”のグレースを、とても愛しみ可愛がってくれた。
 グレースも、アランが好きで好きで堪らなかったのに……。

 ――なぜこうなった。
 どこで、運命は幸せの歯車を外してしまったのだろう――。

『アラン……、おねがい……』

 誰にも聞かれてはいない。
 だからこそ、グレースの口からは、胸の中だけで繰り返され続けていたその言葉が出てしまったのだ。

『……あなたを……、死なせたくないの……』

 すすり泣く声がその場にこもる。
 そんな彼女の泣き声を、ただひとり、聴けた者がいた。

 横たわったまま、瞼を開くことなく、ただ耳だけでこの状況を感じ取っていたのは美春だ。
 美春にはフランス語を理解する語学力がある。もちろん、アランとグレースの会話は、すべて理解できた。
 そして、最後にグレースが呟いた言葉も……。







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