理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第17章9(早朝の駆け引き)

 ←第17章8(戻せない愛情) →第17章10(逆襲の金曜日)

 メール着信に気づき、学は手を止めた。
 デスクの上で充電中のスマホを覗くと、相手は一だ。開く前に時間を確認し、そろそろ日付を超える時間であることに気づいた。
「……もう、こんな時間だったのか……」
 時間も忘れて没頭していたらしい。考えることとやっておかなくてはならないことが多すぎて、時間を気にする余裕がなかった。
 数時間後、すべての準備が整ったら行動を起こさなくてはならない。考えてみれば、そんなに時間は残されてはいないのだ。
 学はメールを開き、その内容に表情を和める。
 夕方に抗体を投与したさくらが、数分前に一度目を覚まし、十五分程度意識が確認されたあと、また眠ったらしい。睡眠の深さも今までとはまったく違うので、朝になれば普通に目を覚ますだろうとのことだ。
「……母さん……」
 肘をついてスマホを額に当て、学は安堵の息を吐く。下がった視線が目の前にある封筒を捉え、和んでいた瞳に憂いが混じった。
 そのまま置いてしまった筆ペンのふたを閉め、白い封筒を手に取る。
「これを、会長のデスクにおけば、……俺の準備は完了だ」

 静まり返った専務室。この時間まで残っていることは珍しくはないが、ひとりきりは初めてだ。
「専務室は……、こんなに広い部屋だったんだな……」
 いつも一緒にいる秘書がいないだけで、自分の周囲にできる空間がとても広く感じる。寂しさを感じさせるこんな空間も、そして心にできる隙間も、いつも埋めてくれていたのは愛しの秘書なのだ。
「美春……」
 椅子から立ち上がり、学はブラインドを上げたままの窓から外を見つめた。
「待っていろ……。今行くからな……」
 封筒を手に足を踏み出す。専務室の照明を落とし、ドアを閉め……。
 そして、自分の場所ではなくなるこの部屋に、背を向けた。

 *****

 早朝四時。いくら社内に泊り込んでいる研究員や警備員、その他、社員がいるのだとしても、さすがにビルの正面入り口は解放されてはいない時間だ。
 だからというわけではないが、一は自ら愛車のBMWで出社をすると、地下駐車場からそのまま直通エレベーターで三十五階へ上がった。
 今朝は社用車を使わず、それも秘書の柵矢にもこの時間に来るとの旨は伝えてはいないままの出社になった。
 その理由は、一自身、この時間に出社したのは、ある人物に時間を指定され呼び出されたからなのだ。
 午前四時に会長室で。会社に関する大切な話があるからと。そんな連絡が、昨夜、学にメールを打つ前に入っていた。
 こんな早朝から、それもいきなりだ。普通で考えれば礼儀を欠いた行為だろう。だが、無視するわけにはいかない。それは、会社にとって大切な話だと言われたからではない。なんといっても、呼び出した相手が……。

「おはようございます。会長」
 重役用エレベーターのドアが開き、爽快な声が一を迎えた。
 挨拶をした青年は、人懐こく爽やかな笑顔を浮かべ、いつもはかけてはいない眼鏡をかけ、ネクタイを締めたスーツ姿だ。
(こうして見ると、父親にそっくりな顔つきになったな……)
 どちらかといえば母親似であると思っていた青年が、父親にそっくりだと思えた時、一は週明けの合格発表後に、もうひとり“無敗の男”と称される弁護士が誕生するであろうことを確信した。
「おはよう、信君。早起きだね」
 こんな時間に呼び出したというのに、一からは不快な表情ひとつ見受けられない。信は小脇に抱えた書類封筒を意識しながらも、笑顔を返した。
「すみません、こんな時間に。ですが、この時間でなくてはならない事情が……」
「分かっているよ。君が何の理由もなく、早朝に自分より年配の男を叩き起こす人間だとは思っていないよ」
「……会長が、年配なんて言葉を使ったら、ウチの父が三白眼になりますよ……」
 わずかに皮肉が混じっているのかもしれないと思いもするが、信は冷や汗寸前のフォローを入れる。一より信悟のほうが四つほど年上だからだ。
「こんな所でする話でもないのだろう? 秘書がまだ出社していないのでコーヒーは出せないが、良いかな?」
 一が歩き出すと、信は「お気遣いなく、会長」と後を追った。
 どちらにしろ一には、会長室へ入って“あるもの”を見てもらわなくてはならない。それがないと、ここから先へは進めないのだ。
 そして、話しを進めなければ、学が次の行動へ出られないのだから。

 会長室へ入り、信を応接用の椅子へと促した一だが、信はピタリと足を止めた。
「申し訳ありません、会長。その前に、デスクに乗っている書類をご確認ください。
「書類?」
 言われて一はデスクへ目を向ける。昨日会社を出る時には綺麗に整理したはずの場所に何かが乗っているのを見つけ、デスクへ近付きハッキリとそれが目に入ると、眉を寄せた。
 それは、普通の白い封筒だが、表側には印刷したのかと見まごうほど綺麗な筆文字で“辞表”と記されている。

 微かな嫌な予感を抑え込み、一は封筒を手に取る。
 裏返し、提出をした人物の名前を見て、刹那、瞠目した。そこには、あってはいけない名前があったのだ。

 “葉山学”――――と。

「本日は、会長にこちらの書類をご確認のうえ了承願いたく、お伺いさせて頂きました」
 辞表から目を逸らせない一の横で、信は小脇に抱えていた書類封筒を差し出す。
「……これは?」
 一が受け取ると、信はさっきまでとは違う真剣な口調で説明を入れた。

「この葉山製薬、及び、葉山グループ、そして葉山家自体。それらのものから葉山学をまったく無縁の者にするという念書。――絶縁状です」

 封筒を手にした一の手が、ぐしゃりと握られた。







人気ブログランキングへ




もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第17章8(戻せない愛情)】へ  【第17章10(逆襲の金曜日)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第17章8(戻せない愛情)】へ
  • 【第17章10(逆襲の金曜日)】へ