理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第20章4(愛しいお嬢様)

 ←第20章3(ふたりきりのバスタイム) →第20章5(ふたりきりのベッドで)


「ベッドへ行くより、温室でゆっくりしたいわ」
 そう希望したのは紗月姫だ。
 広大な辻川家の敷地。邸の裏手に建つ、巨大迷路かと惑うばかりの温室。そこは紗月姫の、そして神藤のお気に入りだ。
 十八年前にふたりが出会った場所。ここには、春にふたりが結ばれた際、見守る役目を終えたとばかりに散り消えてしまった藤棚があった。
 藤棚の跡地には、来年の春、新しい藤棚が作られる。紗月姫の両親にとってもあの藤は思い出であったらしく、父親である総帥は張り切って藤の選定を行っている。
 まっさらな芝だけになってしまっていても、そこは紗月姫の指定席。そして、彼女の傍らは神藤の指定席だ。
 この場所で温室の花や木々の囁きに耳を傾け、ふわり穏やかな空間に身を預けるのが彼女は好きだ。気持ちが良くなって、神藤に支えられながらうたた寝をしてしまうこともよくある。
 紗月姫のためならば、二十四時間、四十八時間、不眠不休も厭わない神藤だが、この場所で安らぎを共有している時だけは別だ。彼女の存在が、彼の心を夢のような安らぎへと引き込んでしまい、何度ウトウトとしてしまったことだろう。
 昨夜はふたりとも睡眠をとってはいない。いつものように藤の跡地で身を寄せ合っているうちに、愛しい天使は静かな寝息をたて始めるだろう。そうすれば神藤も、いつしか彼女に釣られて至福の時を……。
 ――……すごす、はずだった……。

「信じられないわ。何も言ってはいなかったのよ。酷いと思わない?」
 幸せな予想は“予想”で終わる。
 なぜなら、紗月姫が御立腹だからだ。
「まあ、学様もどうなるか分からなかったのですし、この一カ月間はとみにお忙しくなさっておりました。計画も予定も立てられていないので明言は避けられたのだと思いますよ」
 珍しく学を擁護する神藤。それも、話の内容と紗月姫の立腹具合からしょうがないことだ。
「この一件が済んだら夏期休暇を取るとは聞いていたけれど、D王国へ行く予定だったなんて聞いていないわ!」
 立腹、いや、彼女の口調は、珍しく悔しそうだった。

 温室へ入っていつもの場所へ腰を下ろすと、紗月姫は神藤を手招きした。通常であれば芝に直接座るなど彼女に許される行為ではないのだが、ここは特別だ。
 神藤も腰を下ろすと、当然のようにその胸へ紗月姫が寄りかかる。彼女が力を抜いても心配ないようシッカリと抱き支え、お互いの存在を感じ合う安息の時が訪れた。……その、直後。
 神藤のスマホが着信を告げたのだ。連絡をしてきたのは同じお付きで、立場的には彼の部下に当たる水野章太郎だ。
 状況的に無視をしたいところだが、今後の予定についてレイン側との調整が済んだら連絡を入れるよう指示をしていたのは紗月姫であるだけに、そういうわけにもいかない。
 アランとグレースの強制帰国に関して、スイス大使館からその権限を請け負ったのは紗月姫だ。彼女には報告を受けなくてはならない権利と義務がある。神藤は素早くスマホを繋ぎ、紗月姫へと差し出した。
「そう、分かったわ。御苦労さま」
 水野の報告は順調に伝えられる。だが、余計な報告まで紗月姫の耳に入ってしまった。
 一が、D王国へのチケットをふたり分手配したという情報だ。
 時期は一週間後。葉山の名で手配されているので、他人の分ではないだろう。さくらの状態を考えても、一がプライベートのために取ったとも思えない。
 とすれば、行く人間は決まっているではないか……。

「ねえ、神藤っ。夏休み、余計に十日ほど取っても良いでしょう?」
 これは間違いなく“ついて行きたい”という意思表示だ。だが、神藤は片腕で紗月姫を抱き寄せたまま人差し指を立てた。
「いけません。休み明けはすぐに大切なテストがありますし、お嬢様は生徒会のお仕事がございます。二学期は行事が多く忙しいけれど、学園のために生徒会長として最善を尽くすとおっしゃっていたのは、お嬢様ではありませんか」
 学校の件を混ぜて叱られてしまうと、まるで「学校へ行きたくない」と言って駄々をこねているようではないか。紗月姫は少々気まずい思いに捉われながらも、正論を返す。
「でも……、D王国は神藤の祖国よ……。私だって、予定の調整が取れなくてまだ正式に王室へ御挨拶に行ってはいないのに……。学さんはズルイわ。行けばきっと、女王陛下に謁見の許可をもらうに決まっているのだから」
「……早い話が、先を越されて悔しいのですね?」
「……は、早い話が、……そういうことよ……」
 図星をつかれ、赤くなって拗ねる紗月姫に愛しさを誘われた神藤は、彼女をキュッと抱きしめた。
 彼に抱きしめられる幸せな気持ちは、紗月姫の苛立ちを抑え込む。まだ昼前であり、神藤が“お世話役”でいなくてはならない勤務時間内だ。しかし紗月姫は“ふたりきりの時は、時々婚約者に戻る”の特例を持ち出す。
「煌(あきら)は、悔しくはないの? 煌だって、まだ正式に女王陛下とお話をしていないでしょう? 学さんは何度もお会いしているのに、煌が会ったのは一度だけだわ。おかしいでしょう、貴方はあの国の王じ……」
 興奮してまくし立てる紗月姫だが、その唇は神藤の唇に塞がれる。
 もちろん紗月姫は、神藤の気持ちを思って言っているのだ。生まれて間もなく、王政の権力争いの犠牲となった彼。今、正式に迎えられることはないものの、神藤はD王国の王族の血を引いた正当な王子だ。
 その彼が、現女王と一度しか直接会話を交わしたことがないというのに、学は何度となくあるのだ。紗月姫がズルイと思ってしまうのも無理はない。
 婚約をしたこと、来年紗月姫が高等部を卒業したら結婚をすること。女王に報告はしているし電話で話をしたこともある。だが、王室側でスケジュールの調整が取れず女王とゆっくり会える機会がなかなか作れなかったため、この夏休みにD王国へ行くのは諦めていたのだ。
 学と美春が旅立つ頃、紗月姫は学校が新学期を迎えている。神藤の様子から考えるなら、学校を休んでまでついて行こうとするのは無理であるようだ。

「……悔しくなどないよ」
 唇をゆっくりと離しながら、煌の穏やかな声が風に乗る。
「確かに、私が生まれたのはD王国なのかもしれないけれど、私は、自分を王子などとは思ってはいない。……私は、神藤煌でしかない」
「煌……」
 紗月姫が見つめる先で、温室の光に透けたグレーの瞳が笑む。
 ふわりとなびいた風が、少しクセのある彼の髪を光の加減でプラチナ色に輝かせた。
「私は、……この温室で、あの藤棚の下で生まれ変わった。……紗月姫に命をもらい、紗月姫に生きる意味をもらった。……誕生日も、愛する気持ちも、与えてくれたのはすべて紗月姫だ。……私は、紗月姫がくれた“神藤煌”という人間以外にはなれない」

 風がそよぐ……。
 その風が、どこから吹いたのかは分からない。
 だがそれが、以前まで藤棚の下で吹いていたものと同じであると感じてしまい、紗月姫はノスタルジックな憂いを覚えながらも、大きな幸せに包まれる。

 その腕で、その胸で、紗月姫を大きく包み込むように抱き締め、煌は出会いの誓いのままに変わらぬ想いを口にする。

「いつまでも……、貴女の傍に……。お嬢様」

「ずっと……、一緒にいてね……」

 そして紗月姫も、自然とその言葉を口にする。
 それは、永遠に変わらぬ、ふたりの誓い。

 包み込み、そよぐ風。
 それは、ふたりを見守り続けた藤のように、優しく暖かかった……。







人気ブログランキングへ




もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第20章3(ふたりきりのバスタイム)】へ  【第20章5(ふたりきりのベッドで)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第20章3(ふたりきりのバスタイム)】へ
  • 【第20章5(ふたりきりのベッドで)】へ