理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第20章7(ふたりきりの昼下がり)

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「いよいよ来週は、信の合格発表だ」
 そう言いながら、竹の器に入った水羊羹に小さなスプーンを添え台に置く。顔を上げ視線を仰がせれば、そこには、この十六年間見つめ続けてきた笑顔があるのだ。
「心配はまったくしていない。お前もそうだろう? ――はるか」
 田島家の仏間。大きな仏壇に飾られた遺影。そこで優しく微笑む女性は、信が八歳の時に他界した信悟の妻、はるかだ。
「あいつが落ちるなど考えてもいない。……だが、やはり、やっと本物の弁護士になってくれるのかと思うと、とても楽しみだ」
 信の合格を心待ちにする信悟の口調は、とても嬉しそうだ。
 こんな気持ちは、信の前でも晒したことはない。だが、はるかの前でだけは特別なのだ。
 はるかの仏前で彼女と話をするのは毎日の日課。今日は早朝から呼び出され、ひと仕事の後そのまま事務所へ行った。昼食で外に出たついでに、はるかが好きだった水羊羹を買い、信悟は一度自宅へ戻ったのだ。
 はるかに会うために。
 三十三歳で彼女は他界した。遺影の笑顔はふたりが出会った十九歳の頃の物だ。ちょうど信悟との結婚が決まり、毎日幸せに充ち溢れていた頃の写真。
「はるかにも見せてやるからな。……弁護士バッジを付けて帰ってくる、信の姿」
 はるかに約束をし、信悟はふっと失笑する。
 一番楽しみにしているのは自分なのかもしれない。心から、そう感じるのだ。
 信の晴れ姿を思うと、今朝、自分の手の内をすべてひっくり返され、悔しそうに信悟を睨みつけていた息子を思い出してしまう。
 一を追い越すと断言した学を見つめて、決意を固める表情をした信。きっと彼も、学と同じ思いを胸に抱いたに違いない。
「いつか、私は信に追い越されるのかもしれないな……」
 事務所のスタッフが聞いたなら、悲鳴をあげて救急車でも呼びかねないほど珍しい弱音だ。しかし彼はすぐに口角を上げる。
「簡単に、抜かせてやるつもりなど、これっぽっちもないが」
 指の腹で眼鏡の下をクイッと上げ、信悟は大きく吐息した。
「……だが……、もしもこの先、何かの間違いで、法廷なんかであいつと戦わなくてはならないようなことになったら、困るな……」

 ――――どうして?

 遺影のはるかが、そう問いかけているような気がする。信悟は、今も変わらぬ最愛の前で彼女にだけ見せる本音を晒した。
「私の無敗伝説に、傷が付きそうな気がする」
 クスリ……。と、笑うはるかの笑みが想像できるようだ。

 信の前では言わない。言ってやれば喜ぶだろう。期待に応えようと奮起するだろう。
 だが、今はまだ言わない。
 どんなに信をやりこめようと、何度彼を論破しようと、信悟は信の実力を一番よく知り、そして認めているのだ。
 無敗の男と言われ、法廷では怖いものなどない彼は、ただひとつ、時々、息子の成長に脅威を感じる瞬間がある。

 ――――その気持ち、信ちゃんに言ってあげたらいいのに。
 信を溺愛していたはるかなら、きっとそう言うだろう。だが信悟は、ニヤリと意地の悪い顔をする。
「あいつには、またまだ悔しさと目標をバネに伸びていって欲しいからな。――褒めてやるのは、まだまだ後だ」

 ――――信悟君の、意地悪っ。

 愛妻の口癖を耳に甦らせて、信悟はふと笑みを作る。
「はるかが残してくれた形見は、私と、法曹界の宝だよ」
 ひとり息子の未来を頭に描いて、信悟ははるかと笑い合った。

 *****

「はい、分かりました。ええ、時間内には出社します」
 立ち上がってスマホを耳に会話をする学の前で、彼のシャツのボタンを甲斐甲斐しく留め進めているのは美春だ。
「え? 本当ですか? ありがとうございます」
 学の声が跳ね上がった。通話の相手が一であることは知っている。内容はおそらく、明日行われる契約の件だ。今まで仕事用の声であったものが少々変わったトーンを放ち、美春は「ん?」と顔を上げた。
 すると、ちょうど学も美春を見ていたらしい。ふたりの視線が合うと彼はにこりと笑い、再び会話に戻る。
「はい、早速明日から準備に入ります。ありがとうございます、お父さん」
 再度礼を言う相手は“父親”だ。どうやら仕事の話ではなくなっているらしい。
 シャツのボタンを留め終え、美春はソファに腰を下ろす。ノースリーブワンピースの軽いフレアがふわりと広がり、心にくい清涼感を誘った。

 ゆったりとベッドで愛し合い、身体を休めたふたりが起き出したのは昼も過ぎた頃。
 そのままプールにでも飛びこんでしまいたくなる太陽がメインルームに射しこみ、中庭のプールが光を反射して綺麗だった。「学、朝も入ったけど、プールに入る?」と冷やかすと、「今日はもういい。プールを見ただけで耳に爆音が響く」という苦笑いと共に頭を小突かれてしまった。
 一が手配をしていてくれた着替えをコンシェルジュから受け取り、ついでにアフタヌーンティーの手配を頼んで着替え始めたのだが、その途中で一から学のスマホへ連絡が入ったのだ。

 テーブルに乗ったアイスティーを取ろうと手を伸ばした時、スマホをテーブルへ置き、学が美春の隣に腰を下ろした。
「書類の取り交わしは、明日の十一時だそうだ。そのあとは昼食会。それが終わったらフリー」
「向こうの出席者は、レイン社長だけ?」
「……ああ、アランとグレースは、既に監視下に入っているからな。レイン社長とその秘書だ。こっちは俺と美春と、立会人として信悟先生。……そして、“後学”のために、田島だ」
 学の言葉に、美春はクスリと笑いを漏らす。信悟にしてやられた時の信を思い出してしまったのだ。
「それと、夏季休暇の予定も決まったぞ」
「夏季休暇……あ、そうか、この件が終わったら、っていう話だったものね。スケジュール調整しなくちゃ。いつ?」
「一週間後だ。予定通り、D王国をメインにその周辺。近隣国は観光地が多いから楽しみだ。俺も旅行では行ったことがない」
 アイスティーを手に、ストローを口へ運びながら、なぜか美春は溜息を零す。
「一週間後かぁ……。スケジュール調整のために忙しくなるから、櫻井さんのスパルタが飛ぶなぁ……」
「一日五回くらい、書類で頭ポコポコやられそうだな」
 想像したのか、美春は渋い顔で頭頂部を押さえた。
「でも、楽しみ。学と一週間も旅行なんて」
「ずっと忙しくしていたから、時間作れなかったもんな。俺も楽しみだ。でも、新婚旅行は一カ月くらい欲しいな」
「なにっ、その贅沢っ」
 学の肩に凭れ掛かると、彼は首を伸ばして美春のアイスティーを吸い上げる。「俺が淹れたほうが美味いな」という自信に、美春は声をあげて笑った。
「そうだ、美春さ、結婚式は何月が良い?」
「え? けっ、けっこんしきぃ……?」
 いきなり出された現実的な相談に、美春はちょっと慌ててしまった。
「ちゃんと決めないとな。もう決めても良くなったんだから。仕事以外にも、やらなきゃなんないことたくさんあるぞ」
「うん」
 幸せにはにかむ唇に、学の唇が近付く。
 アイスティーの味がするキスを交わす間、しばしふたりは、現実の忙しさから逃れた。






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