理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第20章8(愛しい人)

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 ポコポコポコポコ……。
 楽しげなリズムで、その音は続く。
 薬棚の補充を終えた冴子は、扉をパタンっと締めながら音の出所へ視線を向けた。
 壁側の大きな寝椅子に脚を組んで腰掛け、物思いに耽りながら丸めた薄いパンフレットを手のひらに打ちつけているのは、誰あろう彼女の夫だ。
 本人は無表情でいるつもりなのかもしれないが、その口元は微かに上がっている。「何をニヤニヤしてるの? いやらしい」とからかってやりたくなる姉さん女房根性をグッと抑え、冴子は櫻井の前に立ち、身を屈めて彼を覗き込んだ。
「りっくん、楽しそう」
 ポーカーフェイスを気取っていたつもりなのに、そう言われては櫻井もきまりが悪い。実際、内心楽しいのは間違いではないのだ。
 櫻井は素直に胸の内を明かす。
「ああ、楽しいよ。一週間後に専務たちが約一週間の夏季休暇をとるんだ。だから、約二週間分のスケジュールを調整していかなくちゃならない。会長から、スッキリとした気持ちで休暇がとれるよう、シッカリと女史の手助けをしてやってくれって、直々のお達しをもらったからな」
 冴子はぷっと噴き出してしまった。この楽しげで悪戯っ子のような表情は、まったく気取りがなく、出会った頃の彼そのままではないか。
 それだけ櫻井は、学や美春に心を許し、ふたりに関わるのが楽しいのだ。
 ちょっと妬けるものを感じつつも、冴子は櫻井の頭をなでなでと撫でた。
「りっくんは、光野さんが大好きだもんね」
 いつもの彼から考えれば「誤解を招く言いかたすんな」と眉を寄せるだろう。しかし櫻井は笑顔で答えたのだ。
「ああ、大好きだ。しごいてあんなに楽しい女はいない。それと同じくらい、俺は専務も大好きだよ」
 彼らしくないとも思えるその笑顔に、冴子はしばし見惚れる。彼をこんな笑顔にしてしまえる、あのふたりが羨ましい。
 だが、嫉妬を起こすような羨ましさではない。かえってとても微笑ましい気持ちだ。
 冴子は身体を起こし、櫻井に合わせてにこりと微笑む。
「りっくんは、とても大切なものを見つけたのね」
 すると櫻井は冴子の腰に腕を回し、膨らみを見せる彼女の腹部に額を付ける。
「でも、俺が一番大切なのは、冴ちゃんと……この子だ」
 櫻井の髪を撫で、冴子はこの幸せを噛みしめた。
 愛する人と、幸せを共有する昼下がり。
 それは、過ぎゆく時間さえ、愛しく思えるひと時だ。

 *****

「須賀さん、御機嫌?」
 ランチタイム用のコーヒーを空になったカップに注ぎ、悠里は須賀が座るテーブルに置いた。
「ニコニコしてる。何か良いメールでもきたの?」
 テーブルには、須賀のプライベートマシンが乗っている。メールが起ちあがっていたので、その関係かと思ったのだ。
 徹夜の特別任務明け、会社の仮眠室でひと休みをした須賀は、婚約者の悠里が勤めるカフェに朝食兼昼食をとりに来ていた。
 ランチタイムも過ぎた頃、店内の客はまばらだ。それなので、四人掛けの席を須賀がひとりで占領していても悠里に怒られることはない。
「うん、凄くね。良い話を聞いたんだ」
 須賀は悠里が持っていたコーヒーポットをテーブルへ置かせ、彼女の両手を握る。
「専務からだったんだけど、オレたちの結婚式、約束通り仲人をやってくれるって」
「本当?」
 悠里は嬉しそうに須賀の手を握り返す。しかし直後に少し躊躇をした。
「あ……、じゃあ、……招待状に入れる仲人さんの名前は、連名で良いのかしら……。葉山学さんと光野美春さん、で……」
 すると須賀は、右手を顔の前で振り悠里を手招きすると、寄ってきた彼女の耳にコソコソと囁いたのだ。
 それを聞いて、悠里は目を丸くする。だがすぐに楽しげな笑顔を見せた。
「素敵……。じゃあ、連名じゃなくても良いのね」
「うん、だって、オレたちの結婚式はクリスマス・イブの前日だから、その時はとっくに……」
 ふたりは顔を見合わせ、くすりと笑う。
 悠里がずっと婚約者の席で油を売っているが、店も暇だし温かくて気持ちいいしと、カウンターのマスターものんびりとサイフォンを磨きだした。
 そんな穏やかな店内。須賀は、悠里の両手を握って彼女と見つめ合う。
「最高の結婚式になるよ。きっと」
 愛しい人と未来を誓い合うふたりが、ここにも……。

 *****

 翌日の契約は十一時から始まり、お互いの社風などを話題に和やかな雰囲気で進められた。
「少し、遠回りをしてしまった気はしていますが、これから共に躍進できることを願っています」
 レインの言葉は誠意を込めて出されたものではあるが、少々重い気持ちを学と美春に落とした。
 昨年夏、美春の存在に気付いたアランが無理やりに担当交代などしなければ、既に契約は成立していただろう。仕事も結婚も、一年分遠回りしてしまっていたのは間違いではないのだ。
 契約の締結後、昼食会が行われた。雑談を交え約一時間半ほど。始終、学とレインは会話が弾み、その雰囲気から、美春はこれからのロシュティスとの関係に良い兆候が見えているように感じた。
 昼食会終了を見計らい、レインを迎えに来たのは辻川財閥の車だ。彼はこれから秘書とは別行動となり、スイスへ強制送還をされるアランとグレースに同行する。
「アランとグレースさんに、お幸せにと、お伝えください」
 美春の言葉に、レインは驚いた。
 アランはこれから、国家の監視下でスイス警察に拘束される。グレースはその付き添いではあるが、同罪であるようなものだ。
 だが、言葉にすれば悲壮的でも、アランとグレースふたりにとっては十七年前の惨劇からの関係をやり直す意味で、気持ち的にはとても充実した日々となるだろう。
「伝えますよ。そして、きっと、良い報告をおふたりに、そして、寛大な処置をくださった辻川のマダムに、したいと思います」
 狂おしいほどの奇愛。それを生みだすほどに欲した少女の笑顔が傍にあるのだ。きっとアランは、自分の罪を贖っても有り余るほどの、素晴らしい研究成果をあげてくれることだろう。
 「生きて、罪を贖え」学がアランに告げた言葉を、アランの未来を、そして犠牲になった人たちを思い、美春は感動と希望に胸が熱くなった。

「終わったんだね……」
 レインを見送り、信悟や信とも別れた後、昼食会が行われたホテルの駐車場で、美春は深く吐息した。
 この後はふたりもフリーだ。土日を過ごし、来週は夏季休暇のために忙しくなるので、しばし安息の時間となるだろう。
「いや、まだ終わっていないぞ。もうひとつ、すっごく大切なことが残ってる」
 レクサスの助手席側に立っている美春に歩み寄り、学はドアを開いてやるより先に、封筒サイズに折り畳まれた紙を差し出した。
「これ、出しに行かないと」
「何?」
 紙を受け取り、何気なく開く。そして美春は大きく目を見開いた。

 その紙には【婚姻届】と書かれていたのだ。







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