理想の恋愛 完璧な愛・第12部(完結編)

第12部こぼれ話・2『愛しい貴方のお仕置き理由』

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 ――――それは、学が叱咤激励を繰り返された水曜日……。

 どん底までプライドを堕とした男が立ち上がった。
 瞳の熱を取り戻し、ロケットランチャーを抱えて、“自分の世界”を取り戻しに行くとまで口にした。
 学の復活を目にした紗月姫は、例えようのない喜びに包まれ、思わず彼に抱きついてしまったのだ。
 ぐしゃりと濡れる絨毯を蹴り、目を覚ませとばかりにバケツの水を浴びせられてスーツも濡れたままである学へ。
「それでこそ、私の学お兄様です!」
 心明るくなる微笑ましい光景だ。傍で見ている大介は、面映い思いで仲の良い従兄妹同士を見守っている。
「手間かけさせて、ごめんな。紗月姫ちゃん」
「本当に手がかかるわ。今度やったら、もう二度とお兄様だなんて呼んでさしあげません」
「――もう、絶対にないよ、こんなこと」
 抱きついている紗月姫が落ちないよう、学は彼女の腰に両腕を回し、ちょっとふざけてブランコのように揺らした。もっと身長が低かった幼い日、こんなふうに学にぶら下がって遊んだ思い出が甦り、紗月姫は珍しく無邪気な笑い声をあげる。
 だが、そんな従兄妹同士のじゃれ合いも長くは続かない。なぜなら、学に抱きついていた紗月姫をヒョイッと引き離してしまった人物がいるからだ。
「では、お話はついたようですので、失礼させて頂きます」
 いつもの姫抱きで紗月姫をさらうのは、もちろん神藤だ。
 だが学は、少々不満げに眉を寄せる。
「もう少しゆっくりしていけば? せっかく来たのだし」
「学様に接触してしまった影響で、お嬢様のワンピースが湿り気を帯びてしまいました。このままにしておくわけにはまいりません。それと……」
 遠回しに“学に抱きついたせいで濡れてしまった”と不服を述べ、彼は腕の中にいる紗月姫を厳しい表情で見下ろした。
「濡れた絨毯に足を着かぬようお願い申し上げ、御了解頂いたと思いましたが、その約束を反故にしてしまわれたために御足が濡れてしまったようです。そのままにはしておけません」
 ドキンッと、紗月姫の鼓動が跳ね上がった。
 ただしこれは、ときめいたなどの可愛らしい感情ではない。“どうしよう!”と、気まずさを感じてしまった時に起こる鼓動の高まりだ。
「学様も早急にお着替えください。風邪を召されますよ、この大切な時期に」
「ハハハ、お気遣い有難う」
 至って冷静な神藤に、学は濡れた身体で乾いた笑いを漏らす。彼が言いたいのは、当然のひと言だ。
 「この大切な時に、水ぶっかけたのは神藤さんだろう!!」――と。
 だが、水をかけたのは紗月姫の命令。ご主人様の命令ならば、たとえ熱湯だろうと、彼は躊躇なく学に浴びせたであろう。
 惚れた女のためならなんだってできるという点で、ふたりは同類だ。そう思えば責める気にもなれない。
「では失礼致します。水浸しの床は、すぐに辻川の者を処理に入らせますので、しばしの御辛抱を」
「学さん、のちほどご連絡致しますわ。色々と計画を立てなくてはね」
 微笑み手を振る紗月姫を抱きかかえ、神藤は学に、そして大介へ頭を下げる。
 そんなふたりがドアの向こうに消えると、大介は感心をして息を吐いた。
「いやぁ、いつ見ても凛々しいねぇ。あの神藤君は」
 学と良い勝負だなと思いつつ顔を向ける。すると、学が両手を見つめながらクイクイッと指を動かし、何か感慨深そうな表情をしている。
「どうしたんだい、学君」
 首を傾げた大介が近寄ると、学はハァッと息を吐いて両手を握り締めた。
「今、久し振りに抱っこしたんですけどね……」
「紗月姫嬢かい?」
「女性らしい身体つきになったなぁって思いましてね。……イイ仕事してますよ、神藤さん」
 聞く人によるとは思うが、この時の学にいやらしい気持ちは一切ない。例えるならば、そう、大介が「お父さんおはよう!」と後ろから抱きついてきた美春に対して、その柔らかさから愛娘の成長を感じてしまうようなものだ。
(君もイイ仕事しているけどね……、学君)
 しかし、複雑な思いを娘の父親は胸の奥底に詰め込み、似たような思いを抱いた学の肩を、ポンポンッと叩いたのだ。
「まぁ、取り敢えず神藤君の前では言わないほうが良いと思うよ」
「ええ。俺もまだ命は惜しいので」
 賢明な判断だ。

 *****

 片や、そんなほのぼのとした会話がなされていたのだが、その話題を提供したふたりは、いささかほのぼのとは程遠い状態にあった。
「し……神藤? 何か怒っているの……?」
 葉山製薬地下駐車場。重役及び来賓専用駐車スペース。専用車であるベンツの後部座席に下ろされた紗月姫ではあったが、彼女はすぐにらしくない口調で神藤の様子を窺いながら、座席の奥へ奥へと腰をずらした。
 いつもなら紗月姫を乗せてすぐ運転席へ向かう神藤が、なぜか共に後部座席へ腰を下ろしドアを閉めたからだ。
 人の姿がない駐車場。後部座席にふたりきり。これが学と美春ならもちろんだが、このふたりだって自分たちの甘い世界を構成したくなる周囲環境だ。
 正式な婚約者同士となって日は浅いが、車の中で愛を囁き合ったこともある。今だって充分に可能だ。だが……。
 それを感じさせてもらえないのは、ひとえに神藤の気難しい表情にある。
 ポーカーフェイスの中に微量寄った眉と細められた双眸。キュッと結んだ唇。この表情は、紗月姫が幼い頃から密かに恐れている行為の前ぶれだ。
 まさかと思えど、彼女の予想は的中する。神藤はその表情のまま紗月姫を見据え、スラリとした綺麗な右手を顔の横に立て、彼女に選択を迫ったのだ。
「……何発叩いて欲しいですか? 御希望にお応えいたしますよ」
(やっぱり!)
 予想通りの展開に、紗月姫は両手で腰の後ろを押さえる。そして、彼がその行動の理由を述べようとする前に、自ら弁解を始めたのだ。
「あの場合はしょうがないでしょう? 学さんが元に戻って嬉しかったのですもの。神藤に、濡れた絨毯を踏むなと言われた言いつけを守らなかったのは悪かったけれど、でも、いつもの学さんに戻ってくれて嬉しいあまり……」
 学に見舞った大量の水が絨毯を激しく濡らしていた。神藤は紗月姫に、足が汚れるから、濡れた部分を踏むなと言い渡してあったのだ。
 だが紗月姫は学の様子に歓喜し、言いつけを破ってしまった。――神藤のこの表情は、幼い頃から紗月姫を叱ろうとする時の前ぶれなのだ。
 先手を取るとばかりに言い訳を繰り出した紗月姫だが、神藤はその体勢のままハアッと溜息をつき、首を左右にふった。
「嘆かわしい……」
「神藤?」
「ひとりの人間が立ち直った素晴らしい瞬間に冒してしまった過誤を、なぜ責めましょう? 私が心を痛めておりますのは、そんなことではありません」
「……じゃあ、何?」
 問おうとするが、紗月姫はハッと気付く。
 もうひとつ、“お世話役”として、幼少の頃に教育係も兼ねていた彼として、許し難いであろう行為を思い出したのだ。
「神藤……っ」
 だが、それに対しての弁解をしようとした瞬間、彼女はグイッと腕を引き寄せられ、そのまま彼の膝にうつ伏せの体勢で倒れた。そして、浮いた彼女の腰の下めがけて、伸ばされた形の良い手がパンっと爽快な音を立てたのだ。
「きゃっ……!」
「たとえ憤慨なさっていたとしても、相手が学様だったからだとしても、他者に人差し指を突き付けるなど、無作法にもほどがあります」
「やっ……ちょっとっ、神藤っ」
 神藤がくれるお仕置きの中で、幼い頃紗月姫が一番嫌いだったのが、この“お尻叩き”だ。
「み、見ていたの!?」
「見えていなかったと御思いですか」
 憤慨した紗月姫が学に指を突き付けたあの瞬間、神藤はバケツを片付けに行っていた。紗月姫としては、神藤に見られる前に指を下げたつもりだったのだ。
「御姿が見えなくとも、お嬢様の行動は気配で分かります」
 まるで、美春に対する学のようなセリフを口に、神藤の手は再度紗月姫のくるりっとした丸みを打った。
「や、や……やだっ、ごめんなさい」
「もっと叩きますか?」
「ごめんなさいっ。いくら相手が学さんでも、気をつけるからぁ」
 頬を染めて必死の哀願。音のわりには神藤の叩き方は優しく、決して痛いわけではない。“お尻を叩かれる”という行為が、とても恥ずかしいのだ。
 下げられるべき手がなかなか下がらない。紗月姫はムキになって神藤を見上げた。
「だっ、だいたい、D王国では、子どものお尻を叩くのは犯罪なのよ! あなたがそんなことをしていてどうするの」
「お嬢様は、“お子様”ですか?」
「す……、少なくとも、神藤よりは年下よ」
「私は、認知をされていてもD王国に国籍は持っておりません。その法律に、なんら関係はないかと」
 最後の手段だ。下りない手に指を絡め、紗月姫は身体を起こして神藤に抱きついた。
「……煌」
 そして、少し甘ったるい声で、愛しい婚約者の出現を待ったのだ。
「……“神藤”が、意地悪するのよ……」
 まだ“神藤”の勤務時間内だ。だが、空いた彼の腕は優しく紗月姫を抱き、その髪に唇を付けた。
「――紗月姫がムキになるから、“神藤”はそんな紗月姫が可愛くて堪らないんだ。だから、つい意地悪をしてしまうのだよ……」
 優しい声にうっとり聞き入っていると、指を絡めたまま煌が紗月姫の顎を掬いあげ、唇を落とした。
「“神藤”が怒ったのも無理はない。紗月姫が学様に抱きついたりするから、機嫌を悪くしてしまったんだ。指をさしてしまった件なんて二の次だよ」
 本当の理由を知り、今度は花恥ずかしげに紗月姫の頬は染まる。
 愛しい煌の唇を感じながら、紗月姫は学に抱きついた時よりも強く、彼に抱きついた。




     『愛しい貴方のお仕置き理由』
     *END*



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後書き
こんにちは。玉紀直です。
こぼれ話「2」でした。お読み頂き、ありがとうございます。^^
これは、本編でいうなら、第16章5のあとにあったお話ということになりますね。
学君を指差ししてしまったのは、第16章3です。

神藤さんの言いつけを守らなかった紗月姫ちゃん。
そのままで済むわけはないのです。
けど、無作法以上に、神藤さんの気持ちを揺らしてしまった出来事があったんですね。
彼も、やきもち妬き屋さんです。(笑)

「2」にもお付き合い頂き、ありがとうございました。
「3」も近日公開させて頂きます。
またお付き合い頂けると幸いです。





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