溺愛マリッジ

第一章・2月/2

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 創業三百年。老舗一流企業としてその名をはせる葉山製薬。
 国内では常に売り上げのトップ争いに顔を出し、新薬開発部門としての研究開発力は世界レベルの研究所と肩を並べている。
 また、昨年、世界トップレベルにその名を君臨させるスイスの製薬会社、ロシュティスと手を結んだことにより、今後さらなる躍進が予想されるだろう。
 そのロシュティス社との提携契約を成功へ導き、葉山製薬をさらに盛り立てていくべき使命を背負っているのが、三十五階建て本社ビルの三十四階におかれた専務室の主。
 葉山製薬次期社長にして、葉山グループ跡取り。二十四歳の若き専務取締役、葉山学だ。
 そして、同フロアの秘書課秘書室に所属し、専務秘書を務めるのが、彼の愛妻、葉山美春なのだった。
 美春は学と同学年の幼なじみだが、彼女が三月生まれで学が四月生まれであることから、実質ひとつ違いであるようなものである。
 ふたりは昨年、八月末に入籍をした。六月に結婚式をしたいという学の希望で挙式は四カ月後。只今結婚半年目、事実上、新婚真っただ中だ。
「でさー、撮影どうだった? 撮影」
 秘書課のオフィスで書類を確認していた美春にいそいそと近づき、わくわくした表情を隠せないまま近寄ってきたのは同期の柳原詩織(やなぎはらしおり)だった。
 撮影の様子を聞きたくとも、ちょっと聞きづらいなと遠慮をする先輩秘書が多いなか、詩織に遠慮はない。
 これは、同期として美春と一番仲が良い強み。そして、結婚十ヶ月になる彼女の夫、人志(ひとし)が、この葉山製薬本社ビル一番の元気印警備員であり、学と美春のお気に入りであるという理由に他ならない。
「やっぱりさぁ、カメラとかいっぱいあって賑やかなの?」
「んー、そうでもないよ。ポーズとるっていっても普通に立って笑ってればいいだけだったし。すぐ終わったし。そんなにいっぱい人がいたわけでもないし」
「カメラマンって、男の人?」
「うん。なんとかっていう先生。こういう撮影では有名なんだって」
 カメラマンは美春を豪く気に入っていたというのに、名前も覚えてもらえてはいない事実。少々気の毒ではあるが、彼女自身興味がなかったのだからしょうがない。
「他にも男の人はいたの?」
「スタッフさんほぼ全員男の人だったかな……。うーん、最後にお茶くれた人ぐらいしか印象に残ってないんだよね……。あ、ひとりだけ、カメラマンのアシスタントさんが女の子だった。……って、なんなのよ詩織ちゃん、どうして男の人のことばっかり訊くのよ。旦那様と喧嘩でもした?」
 自分で言いながら、美春は「まさかね」と思う。柳原夫婦は人志が詩織にべた惚れだ。喧嘩をしても、たとえ自分が悪くなくたって人志が折れる。
「違うよー。専務は大丈夫だったのかなって思ったの」
「専務? どうして?」
「会長との会議が入っちゃったから、仕方なく撮影には弁護士さんがついて行ったんでしょう? 専務さぁ、会議が終わった途端に物凄い勢いで会議室飛び出して行ったんだよ。その慌てぶりがあまりにもいつもの専務らしくなくておかしかったのか、会長、ずっと肩を震わせて笑ってたんだから」
「あ……」
 美春は思わず苦笑いを漏らす。会長とは葉山グループの会長であり、葉山製薬代表取締役社長である。早い話が学の父親、美春にとっての義父だ。
 この親にしてこの子ありと言わしめるほどの英明(えいめい)な紳士で、学が唯一まだ敵わないと口にする人物でもある。
 ただ、ちょっとしたツボにはまると笑い上戸が発動してしまうという欠点があり、そのたびに止めるのは彼の妻である第一秘書の役目なのだ。
「撮影現場が男の人ばっかりだったなら、美春ちゃんが男の人に囲まれてる姿を見て、専務すっごく機嫌悪くなったんじゃないの? 『俺の美春に近づくんじゃねえ!』みたいな感じで」
「鋭いね、詩織ちゃん」
「えっ? 本当にそんなことになったの?」
 期待を込めて詩織が食いついてくるが、美春はそんな彼女のおでこをツンっと人差し指でつついた。
「ざーんねんでしたっ。十代の頃じゃあるまいし、そんなことあるわけがないでしょう。弁護士の田島先生も一緒だったしね」
「あっそ」
 なんだつまらないと言いたげな反応を見せつつ、詩織は内心、聞いてはいけない事実を悟ったに違いない。
 ……十代の頃は、そうだったんだ、と……
 詩織と話しながらデスクに置かれたパソコンの時計を覗いた美春は、さらに腕時計を確認し、手元の書類を抱えた。
「さて、そろそろ専務室に行かなきゃ」
「あ、夕方からお客様が来るんだっけ」
「うん、四十分後なんだけどね。その前にお茶を淹れてあげようと思って」
「それならお客様のときでいいんじゃないの? お茶淹れるにしても時間が半端だよ」
 すると美春はクスリと笑って、デスクの端に置いてあった熊の模様がかわいらしいペーパーバッグを手に取った。
「だって。今日はバレンタインでしょう?」

 *****

 美春を迎えに行き、共に帰社した学は専務室にいた。彼女に同行した信に撮影の様子を聞いていたのだ。
「――と、いうわけで、撮影中は美春さんに触った男も下品な声をかけた男もいなかったよ。唯一彼女に触ったのは、カメラマンのアシスタントの女の子。髪の毛を途中で少し整えただけ」
 応接セットの椅子に座り報告をする信は、コーヒーをひとくち飲んでからカップを持ったまま学を見た。
「以上です。奥様に不埒な行為を行おうとする輩の存在は認められませんでした。ご満足ですか? 葉山専務」
 しかめっ面に加え、どことなく口調が嫌味っぽい。学にこんな態度をとれるのも、彼が学の無二の親友であり、それこそ十代の頃からふたりを知っているからに他ならない。
 自分のデスクで椅子を半回転させながら聞いていた学は、腕を組み、右手を口元に当てた“考え事ポーズ”を解き、ゆっくりと立ち上がった。
「ああ。悪かったな、田島。忙しいのに呼びたてて」
 予想外にも謙虚な態度を見せる学を前に、信は珍しいと言わんばかりにしかめっ面を和める。
「まあ、大丈夫だ。他ならぬ葉山専務の頼みだからな。接見の予定が入っていたって、そっちに代理をたてて行って来いって指示をくれるよ。うちのドS所長様は」
「息子に相変わらずの言われようだな。信悟先生は」
「俺はそれ以上に言われてるけどなっ」
 信が弁護士として籍を置く田島総合法律事務所は、信の父親が所長を務めている。
 田島家は代々続く法曹一族。葉山家との関わりも長い。所長である父親は学の父の専属弁護士で、葉山グループの顧問弁護士だ。
「なんにしろ、お前が来てくれて助かったよ。急な会議だったからどうしても出られなくてな」
「“専務のお傍付き”の方々はどうしたんだ? IT事情部の須賀さんあたりなら、美春さんの御供だなんて聞いたら自分の仕事投げ出してでもついてくるだろう? あの人、美春さん信者だもんな」
「須賀さん、頭は良いけど体力的な実戦に弱いから駄目」
「別に喧嘩しに行くわけじゃないだろう。……あっ、会長の第三秘書の櫻井さんは? あの人、頭も良けりゃ喧嘩も強いだろ。第三秘書くらいなら今回の会議は抜けてても良かったんじゃないのか?」
「あの人は立ってるだけで怖いから、カメラマンやらが委縮して撮影が順調に進みそうもないから駄目」
「あっそ……」
 “専務のお傍付き”とは、社内でも逸脱した技能を持ち、特に学に目をつけられた者をいう。彼の指示があれば、たとえ自分の仕事を投げてでも特別任務にあたらなくてはならない。
 過去、その特別任務が発令されるのは必ず美春絡みであり、また、結婚してからは平和そのもので、それもなくなっていることを信は知っている。
 そして、せっかく特別役職手当を出しているんだから、わけの分からないこだわりを持ってないで有意義に仕事をしてもらえばいいのにと、思っているに違いない。


【続きます】






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お待ちしてました

コンバンワ。とーっても待ってました。今か今かと・・・。なかなか始まらないのでジレジレしれましたわ。早速なにやらはじまるのかな??と思いましたが、いつもの甘々で・・・。この状態がふたりには普通なんですよねえ。
また更新楽しみに慕います。

Re: お待ちしてました(ペコちゃんさんへ)

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