溺愛マリッジ

第一章・2月/4

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 なんだかんだと言い合いながらも、信が喜んでいる様子を感じれば親友である学も嬉しい。
 自分にも子供ができたなら、あんなことで一喜一憂してしまうのだろうかと考え、どこかくすぐったい気分になった。
 ……がっ……
(そんなわけはないか。美春が俺のことを二の次にするなんて、絶対にあり得ないじゃないか)
 ――人間、“自信”というものは偉大である。
「でさ、美春」
「なに?」
「俺へのチョコは、これなのか?」
 愛しの妻へ声をかけ、学は持たされたトレイを指さす。そこにはマグカップがひとつ載っている。湯気を上げる茶色の液体は、一見ココアのようにも見えるが、濃い目の色と香りからホットチョコレートだろう。
「そんなわけがないでしょう」
 美春は学へと近づき、彼からトレイを取り返す。彼女はそれを学のデスクへ置き、にこりと微笑んで振り返った。
「これはね、秘書から専務に、よ。会議お疲れさまでした。急な案件、大変だったことでしょう。学が同行できないうえに櫻井さんまで席を外せないほどのことだもの。それなのに、迎えに来てくれてありがとう」
「美春……」
 多くを語らずともちゃんと分かってくれている。自分だって緊張の中でモデルの仕事をこなしてきたというのに、笑顔でねぎらいの言葉をくれる美春。
 言うまでもなく、学の心は鷲づかみだ。
「大切な旦那様にあげるチョコレートは別に用意してあるわ。実はね、絶対に見つからないように、実家に隠してあるんだ。今年はね、お母さんと一緒に作ったの。あ、でも、お父さんとか一真(かずま)のより大きいんだからね」
 美春の実家は、ふたりが暮らす葉山邸の隣。そこには両親と、学さえも敵視してしまうほどのブラコンぶりを大発動する、三つ年下の弟が住んでいる。
 忙しい仕事の合間をぬって、いったいいつ用意をしてくれたのだろう。それも、こともあろうに手作りだというではないか。
 美春が二歳、学がもうすぐ三歳になろうかという春に出会ったふたり。それから幼なじみとしてたくさんのバレンタインを迎えてきた。
 婚約者時代を経て、結婚して初めてのバレンタイン。妻は、なんと感動的な趣向を凝らしてくれたのだろう。
「美春っ!」
 これを学が放っておくはずがない。彼は感動のまま美春を強く抱きしめた。
「ありがとう、美春。嬉しいよ」
「もう、学ったら。そんなに力を入れちゃ苦しいわ」
 美春はくすくすと笑いながら学の背に腕を回し、諭すようにポンポンッと叩く。学が喜んでくれている姿は、もちろん美春だって嬉しいのだ。
 しかし、苦しいわと言われたくらいで愛情のペースが落ちる学ではない。彼はそのまま、さらに美春の身体を押した。
「まっ学っ、転んじゃう……きゃっ!」
 感動のあまり力を入れすぎているのかと思いきや、学はいきなり美春を抱きしめたままヒョイッと持ち上げたのだ。
「ま、学……」
 抱っこしたまま移動した学は、応接セットのソファに彼女を下ろし、そのまま押し倒してしまった。
「愛してるよ、美春」
 「おはよう」と「おやすみ」、それら以上口にしているのではないかと思われる言葉を囁き、学は美春に顔を近づける。いや、唇を近づける。
 こんなにかわいいバレンタインを仕組んでくれたのだから、ここは愛情いっぱいのキスでお礼の気持ちを表すべきだろう。
 なんの不思議も不都合もない。愛しているの言葉と同じくらい、キスはふたりの日常的愛情表現だ。
 ――が……
「専務っ」
 学はハッと目を見開く。彼の唇は、まだ愛しい感触を得られてはいない。それどころか、「学」と、かわいい声が発せられるべき唇からは厳しい声が飛び、彼を抱きしめるはずの腕と手は顔の前で唇が近づくのを阻止している。
「あと十五分ほどで、お客様がいらっしゃいます。いいえ、今回のお客様はお約束の十分前にはいらっしゃる方です。そうなると、残された時間はあと五分」
「……それで?」
「今は、このようなお戯れをなさっている場合ではありません」
 学が呆然としている隙に、美春はするりと彼の下から身体を抜く。組み敷いた相手がいないまま停止する彼の体勢は、中途半端な四つん這い。あまり格好の良いものではない。それでも美春は、そんな彼に秘書の顔で微笑んだ。
「ご準備を、専務。チョコレートは、今お飲みにならないようでしたら、あとで温め直しますね」
 ここまで仕事モードになられてしまってはしょうがない。学は溜息をつきながら身体を起こし、ソファに座って頭を押さえた。
「ああ、分かった。今すぐ飲むよ。せっかく淹れてもらったんだし」
「おそれいります。では私は、お客様をお迎えする準備をしてまいります」
 一礼し、美春は踵を返す。
 彼女の後ろ姿を見ながら、学は納得のいかない思いでいっぱいだ。
 以前なら、五分後に来客の予定があろうと、一分でも二分でも余裕があれば“ふたりの時間”を許してくれた。
 抱きしめることも、濃密なキスをすることも、ときにはこの専務室内で愛し合った経験だってある。
 なのに……
 パタンっと締まるドア。そして、なんとなく思い出してしまう信の言葉。
 ――――結婚すると女は変わる……
 いささか実感しつつも、学はそれを認めたくはないのだった。

 *****

 閑静な高級住宅街。その一角に広大な敷地を持つ葉山邸。
 三階建ての洋館には、葉山当主夫妻と長男夫妻の二世帯が生活を共にし、他、メイドや使用人たちが住み込みや通いで従事している。
 四季折々に彩られる前庭や中庭。そして裏庭には植物園かとまごうほどの温室もある。
 敷地が広ければ邸も広い。数回訪れた程度の人間ならば迷ってしまうことは必至だが、美春は幼い頃から葉山邸で遊んでいたので、下手をすると入邸してから二、三年のメイドよりも屋敷に関しては詳しい。
 学と美春が使用する夫婦の部屋は三階にある。二十畳のメインルームに十二畳の寝室。元々は学個人の部屋だった。
 十八歳のときに婚約して美春が時々泊るようになると、必然的に少しずつ彼女の私物が増えていき、結婚前になるとすでに生活に支障がないほどの移動が完了していたのだった。
 そんな夫婦の部屋で、ふたりはバレンタインを謳歌している真っ最中だ。
「はい、学。あーん」
 ふたり並んでソファに座り、美春が差し出すのはフォークに取られたガナッシュケーキ。バレンタイン用として、美春が学のために用意したものだ。
 美春がフォークに取る量は、どう見ても女性用のひと口分。それでも学は文句など言うことはなく、笑顔でそこに食いついていく。
「美味しい?」
「美春が作ってくれたものが、美味しくないはずがないだろう。美春のお手製ならセンブリケーキだって食べるぞ、俺は」
「そんなもの作らないよぉ」
 身を寄せ合い、ほんわりと花でも舞い飛びそうな雰囲気は、第三者が見たならあまりの気恥ずかしさに距離をとってしまうことだろう。ちょうど、今日の撮影現場でのひとコマのように。
 しかし、引いてはいけない。
 これが、ふたりにとっては極普通なのだから。


【続きます】






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