溺愛マリッジ

第二章・3月/1

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 そこは、とても無機質な空間だ――
 四角い箱をそのまま置いたかのような殺風景な部屋。
 内装が凝っているわけでも、調度品で飾られているわけでもない。
 おまけに窓もなく照明も消されている。真っ暗闇にならないのは、かろうじて足元を走っている常夜灯が明るく感じられるおかげだろう。
 それでも、いつもはこんなにも寂しい場所ではない。
 仕事中は賑やかだ。
 椅子や机が置かれ、様々な機材が並べられる。カメラのフラッシュがまたたき、かけ声が響き渡る。
 今はそれがなく、ただひとりの人物が部屋の中央にたたずんでいるだけ。それだから、より寂しく感じてしまうのだろう。
 その人物は、骨組みが剥き出しになった天井を見上げる。
 忙しすぎて泣きたくなるとき、このままこの鉄筋だらけの天井が落ちてきてくれたらどんなに良いだろうと、何度思ったか分からない。
 この場所が、崩れて無くなってしまえば。
 ここで動き回っている人間が動けなくなってしまえば、この冗談のような忙しさから解放される……と。
 けれど最近は、そんなことを考えなくなった。
 ――“あの人”を、この場所に見てから……
 閉じた瞼の裏に映る、女神の微笑。
 透き通る笑い声。秀麗な花のような女性は、その存在でこの薄汚れた場所を一瞬にして浄化した。
 そんな彼女の面影が残るこの場所。無くなってしまえば、女神の面影もなくなってしまう。
 手に持っていた小さなナイフが無意識のうちに滑り落ち、床に跳ね返る金属音が幻を打ち砕く。
「……お誕生日……おめでとうございます……。――葉山……美春さん……」
 同時に崩れた身体から、無機質な声が零れた……

 *****

「でね、一真ったらね『誕生日のプレゼント、なんでもいいからお姉ちゃんの好きなもの言って』って言うのよ。どうしよう、もうっ」
 嬉しさのあまり少々はしゃぎすぎたかな、という自覚は美春にもあった。
「それがね、なんていうか恥ずかしそうっていうか、ちょっと男らしいっていうか、やだっ、一真ってばこんな男らしい顔するようになったんだ、みたいな感じで、なんか嬉しいって言うか、私のほうが恥ずかしくなったって言うか。我が弟ながら頼もしいって言うか」
 いや、確実にはしゃぎすぎている。
 とはいえ、仲の良い弟とのやり取りを話す彼女はとても嬉しそう。
 楽しいものは楽しい。嬉しいものは嬉しい。それを態度に表すことは悪いことではない。
 美春が嬉しければ、傍で話を聞いている学だって嬉しい……
 ――とは、限らない……
 三つ年下の弟、一真(かずま)に向ける美春のブラコンぶりは昔から。今に始まったことではない。いつもならば学も、ちょっとした苦笑いで聞いてくれる。
 しかし、最愛の夫は、なぜか無表情で彼女を見つめていた。さらにその口からは、なんとも意地の悪いひとことが飛んだ。
「自家用ヘリでも買ってもらったらどうだ? 美春、欲しがってたろう?」
 冗談にもほどがある。
 オモチャではない。学が言うのは本物の自家用ヘリのこと。それも笑って口にするのならともかく、彼は真顔なのだった。
 楽しげな美春の声は止まり、専務室内に沈黙が走る。
 出勤して、仕事に入る前の和やかなひととき。……に、なるはずの時間。
 本来ならば、こんな張りつめた沈黙はあり得ない。
 おまけに今日は三月十三日。美春、二十四回目の誕生日である。
 愛しい妻の記念日に、夫である学だってご機嫌で然るべき。妻至上主義の彼が、ご機嫌で張り切っていないのはおかしい。
 彼が少々ご機嫌斜めなのには、わけがある。そして、その理由が美春には分かる。
(一真の話……しすぎちゃった……)
 美春は心の中で、自分の失敗に舌を出す。
 学は美春が楽しそうに一真の話ばかりをするので、やきもちを妬いているのである。
 大人げないと呆れてはいけない。美春がブラコンなら、弟の一真は強度のシスコン。弟ではなければ、学の最強のライバルになったのではないかと思わせるような男なのだ。
 仲が良すぎる姉弟に、やきもきさせられてしまうのは幼い頃からの常。
 結婚してからもそれが続くとは。少々学に同情せざるを得ない。
 美春は腕に抱えていた大きな書類封筒を学のデスクの端に置き、パソコンのモニターを見つめて不機嫌になっている彼へ近づいていく。
「学っ」
 呼びかけると学の顔が上がる。それと同時に、美春は彼の膝にちょこんっと座った。
 上手い具合に学が身体をデスクの横に出し、足も組んでいない状態だったので美春も座りやすかった。彼女は学に顔を近づけ、人差し指を立てる。
「自家用ヘリは駄目っ。『欲しいときは必ず私に言ってくださいね』って紗月姫(さつき)ちゃんに言われてるの」
 皮肉な言葉に真面目な回答をする美春を見て、学はクッと喉で笑いを詰まらせた。
 学の脳裏には、天使の微笑みを湛えながらとんでもない暴言を当然のように吐く、大財閥の令嬢が思い浮かんだことだろう。
『美春さんのご希望ならば、自家用ヘリでも自家用ジェットでも、すぐに用意させますわ。どうせなら専用のヘリポートを葉山邸に造らせましょう』
 彼女が言うであろう言葉まで想像できる……
 巨大組織、辻川財閥の令嬢であり次期総帥。破天荒ではあるが、計り知れない英知を備えた十八歳の少女。辻川紗月姫(つじかわさつき)は 学の従妹(いとこ)である。
 紗月姫は美春をとても気に入っている。
 いや、懐いている。
 それこそ、本当に美春が頼めば、指先ひとつの命令で自家用ヘリくらいは用意させてしまうだろう。
「そういえば、紗月姫ちゃんは誕生日のプレゼントになにをくれるって言っていた?」
「当日まで内緒です、って言われているの。今日分かると思うけど、まだ連絡はきていないわ」
「あの子のことだから、湖畔の別荘一軒くらいポンッと渡してくるかもしれないな」
「学っ、それ、あり得て笑えないっ」
 笑いながら小首を傾げ、美春は学の肩から両腕を回す。ご機嫌斜めだった彼も、かわいい愛妻の仕草に気分が良くなったようだ。
「美春は欲しいものがあってもハッキリと言わないから。一真も困ってるんじゃないのか?」
 自分に向けられる笑顔と、さらに妹のようにかわいがっている愛従妹の話題で、学の機嫌はすっかり直ったようだ。今まで不機嫌の原因を作っていた弟の話題を、彼自ら振ってきた。 
 そして、美春のひとことは、さらに学に至福を与える。
「欲しい物なんてないわ。学と一緒にいられるだけで幸せよ」
 二十年以上の付き合いがあるから、というわけではないが、美春は学の操縦方法を心得ている。
 結婚してからは、さらにその腕は上がっているようだ。
 そんなことを言われてしまっては堪らない。当然学は、美春を両腕で抱きしめた。
 これが仕事前でないなら、髪がくっしゃくしゃになるほど頭を撫で、デスクの上にでも良いから押し倒してしまいたいくらいの心境だろう。
「俺も幸せだよ。美春」
 彼のやきもちは、すっかりどこかへ行ってしまったようだ。学に擦りつき、美春は彼の愛情を確認して幸せに浸る。
 毎日浸ってはいるが、こればかりは飽きることがない。
 するとそのとき、ノックと共に返事を待たず、専務室のドアが開いた。
「失礼いたします、専務。櫻井です。こちらに女史が……」
 入ってきたのは、葉山グループ会長第三秘書、櫻井陸都(さくらいりくと)。三十歳にして秘書課の係長である彼は、元は美春の教育係。今は上司であり良い相談役だ。
 そしてなんといっても、“専務のお傍付き”と呼ばれるほど、ふたりにとっては近しい人間である。
 問いかけの言葉からして、どうやら彼は美春を探していたらしい。ここへ来ればいるかと思ったようだ。
 確かに彼女はいる。――学の膝の上に……
「さっ……さくらいさんっ、おはようございますっ」
 美春は慌てた挨拶を口に、学の膝から下りようとした。……が、なんたることか、学が彼女の腰を抱いたまま離さない。
「おはようございます。櫻井さん。美春君を引き留めて申し訳ない。急ぎの仕事でしたか?」
 この状態を見るなら、櫻井が見なかったふりをして引くのが普通。「お取り込み中失礼いたしました」という状況は、彼としても気まずさを感じずにはいられないことだろう。
 しかし……
「はい。受付のほうに、女史に届け物があるようです」
 櫻井は生真面目な表情をわずかに和らげ、そのままデスクの前へ近づいてきた。
「花束とのことですが、受付で止めておりますので、本人に確認を」
「花? 誰からかな」
「宅急便のようです。封筒が付いているらしく、中を見れば差し出し人が分かるとは思います。封をしてありますので、確認は本人でなければ」
「そうか……」
 学は一瞬なにかを考えたようだが、すぐに押さえていた美春の腰を放した。
「誕生日だし、友だちから届いたのかもしれない。確認しておいで」
「は、はい」
 学の膝から下り、チラリと櫻井を見る。目が合った瞬間、冷やかし半分にニヤリとされるのではないだろうかとドキリとしたが、櫻井は表情を変えずそのまま学を見た。
「櫻井さん、美春君に同行してもらえますか? ――念のため……」
「かしこまりました」
 美春はふと、学の口調におかしなものを感じた。
 念のため、と一応の心配をした彼は、それだけではなくなにかを案じているかのように感じたのである。
 友だちからかもしれないと言いながら、そうではない可能性を疑っているかのような――
「女史、仕事に入る前に確認を」
「あ、はい」
 櫻井に促され、美春は「いってまいります」と学に一礼し、専務室を出た。
 ――少しだけ……、おかしな胸騒ぎを抱えて……


【続きます】






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