溺愛マリッジ

第二章・3月/4

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 スタジオ内は、いつも通りの忙しさだった。
 四か月前に採用され、まだ試用期間である青年は、今日もディレクターや先輩アシスタントにどやされながら走り回る。
 機材を抱え、両手どころか口に配線を咥えて。右へ左へ。
 正直、忙しくて堪らない。果たして今日は何時に帰れるのだろう。その前に、昼食をとる時間はあるだろうか。今朝はコンビニにも寄れなかったので、栄養補給用のゼリー飲料さえも買えていない。
 だが、忙しいのは会社のみんな同じだ。自分は好きでこの仕事を始めた。文句を言ってはいけない。
「うわっ……!」
 歩いている最中にいきなり背中から激突をされ、青年は手に持っていた撮影機材を落としそうになる。
(誰だよ! あぶねーな!!)
 キッと睨みつけたものの、相手は慌てて「すみません!」と口にし、少々足をもつれさせながら反対方向へ走っていった。
 カメラバッグを抱えた女性。確かカメラマンのアシスタントだ。忙しく走り回っているうちに、ぶつかってしまっただけなのだろう。
 女性はまだ二十歳。自分より年下だ。それで重労働でも頑張っているのだから。男の自分だって頑張らなくては。
 ……そうは思えど、重い溜息が出てしまった。――そのとき、スタジオのドアが開いたのである。
 みんな慌ただしく動いている最中だ。出入りも激しいのだから、ただドアが開いたくらいでは意識して見る者もいないだろう。
 だが、青年はアシスタントの女性を目で追っていたため、出入り口が目に入った。そして、そこへ現れた人物たちに目を瞠ったのである。
 入ってきたのは三人の男。ドアを開いたまま押さえている男に見覚えはないが、他のふたりは見たことがある。
 先月入っていた、企業ポスターの撮影で見かけた男だった。
(ひとりは確か、弁護士バッジをつけていて……。もうひとりは……、そうだ、モデルの旦那さんだとかで……、クライアントの……)
 そこまで思いだしたとき、青年はさらに目を瞠る。見知った男ふたりの間から、忘れようにも忘れられない女性が現れたのだった。
 上品なスーツに身を包んだ、栗色の髪の女性。どのモデルクラブからきたという女の子よりも綺麗で、心に残っていた。
 彼女は青年の視線に気づいたようだ。彼に顔を向けにこりと微笑んでくれた。
「あ……こ、こんにちは」
 青年は慌てながらも頭を下げた。
(うわーっ、目ぇ合っちゃったよ。やっぱり綺麗だなぁ)
 企業ポスターの撮影でスタジオ入りしたことがある女性だ。あのとき、青年は撮影が終わった彼女に飲み物を渡している。ひとことふたこと話をしただけではあったが、もしかして自分のことを覚えていてくれているのだろうか。
 嬉しさがこみ上げた。忙しくて泣きごとを言いたいときもあるけれど、こうして一緒に仕事をした人に覚えていてもらえると、この仕事をして良かったと現金にも思ってしまう。
 いや、そう思う価値があるほど、なぜか彼女を見ていると癒されるのである。
 すると、彼女のほうから青年へ近づいてきた。もしや話しかけられるのでは……。青年の鼓動は高鳴る。
 出入り口には、どう見ても関係者ではない男が三人。そしてそこから現れたひとりの女性。
 存在感がありすぎる四人を迎え、スタジオ内は動きを止めていた。誰もが手を止め足を止め、その四人に目を奪われていたのだった。
 そんななかで、彼女がピタリと立ち止まる。――そして、話しかけた。
「こんにちは。チューリップのかわいいお花、ありがとうございます」
 ――青年に、……ではない。
 彼女が話しかけたのは、カメラマンのアシスタント。
 話しかけられた女性は、疲労で憔悴しているはずの目を大きく輝かせ、血色が悪かった顔に血の色を巡らせた。

 *****

「まあ、悪い言いかたをすれば、ブラック企業、っていうものに入るのかな……」
 車の後部座席に身体を沈め、学は溜息と共に言葉を吐いた。
「業績も良い、評判も良い、表向きは優良な制作プロダクションなんだが、仕事量に対してスタッフが少ない。……少々、気になってはいた」
 学の横に乗りこんだ美春がドアを閉めると、続いて運転席に櫻井が乗り込む。
「撮影のときも、思ったわ……。男の人たちがとても忙しそうに動き回っていて……。撮影に関係のないスタッフもスタジオに出入りしていた。アシスタントの人たちは、同時にいくつも仕事を掛け持ちしているみたいに駆け回って……」
 呟きながら、美春は車の窓の外へ視線を移す。
「そんな所で、女性が同じような仕事をしていた。……ノイローゼ寸前だったのも、分かるような気がするわ」
 そこには、三階建てではあるが、大きいとは言い難い制作プロダクションの社屋が見える。
 表から見ただけでは分からない。外壁は白く爽やかなイメージはあれど、忙しさのあまり、その社内はグレーに染まりかかっていたようだ。
 一か月前。美春を担当したカメラマン。そのアシスタントの女性が、花束を贈った人物だった。
 後ろでひとつにひっつめた髪。あまり化粧っ気のない顔は青白く、疲労の色だけが濃く窺えた。過酷な労働が続き、彼女の心もダウン寸前だったに違いない。
 ほどなくして信が戻ってきた。彼は助手席へと乗り込みシートベルトを引きながら、後部座席の学を振り返る。
「チーフカメラマンとディレクターに警告はしてきた。状況が改善されないようなら、調査に入る」
「すまないな。仕事を増やして」
「たいしたことないさ。被害者を出すなっていう、他ならぬ葉山専務の頼みだ。任せておけ」
 頼もしい言葉を口にした信が前を向くと、車は走り出した。
 学と信を交互に見てから、美春は学の横顔を見つめる。ここへ来る前に、彼が車内で話してくれた見解を思いだしていた。
 花束についていたメッセージカード。あれを見たときから、学と信は贈り主の予想がほぼついていたという。
 自分の存在を隠そうとしながらも、贈り主の女性は自分の感動をそのままメッセージに込めてしまった。
 “柔らかなこげ茶の髪に触れた感触が忘れられない”。この一文である。
 誰が、気易く美春の髪に触れられるというのだろう。
 髪どころか、彼女の身体に不用意に触れられる者など、ここ最近いたためしはない。
 だが、“触れたらしい”人物の話なら聞いている。
 信に、撮影現場での話を聞いたときだ。
 あの日、撮影には学も櫻井も同行できず、呼び出された信が美春に付き添った。最近、唯一、彼が美春と行動を共にした日である。
 信の監視下で撮影中、美春に対して不埒な言動を見せた者はいなかった。もちろん、彼女に触れた者もいない。
 ……いや、ひとりだけ、いたのである。
 乱れた髪の位置を直すため、美春の髪に触れた者が……
 ――それが、アシスタントの女性だった。
 メッセージカードの冒頭、“ライトを浴びた”とは、撮影のライトをいっていたのだろう。
 美春や櫻井に、最近不埒な男の視線を感じたことがあるかと訊いたのは、一応の確認。それがないことで、学はさらに自分の見解が間違いではないと結論づけた。
 男、ではない。今回美春に惹かれたのは、女性。
 それも、性的に不埒な視線を向けられたのではなく、当の女性は、美春に癒しと憧れを追い求めただけだった。
「なんにしろ、おかしなことにならなくて良かった。葉山から呼び出されたときは、一瞬大惨事かと覚悟したよ」
 信が苦笑を漏らす。助手席の後ろに座る美春を振り返り、冷やかしの笑みを向けた。
「涼ちゃんがやきもち妬くよ。美春さんに憧れて花を贈った女の子がいるなんて知ったら」
「涼香に妬かれるなら嬉しいわ。大好きな親友だもん。私だって、涼香と田島君が目の前でイチャイチャしてたら妬いちゃうもんね」
「ちょっ、なにそれっ。やめてくれよ、美春さんに言われると複雑だっ」
 意外な嫉妬の矛先を向けられ、信は焦る。美春はふざけて言ったのだが、他のふたりは笑いだした。学よりも先に笑いを止めた櫻井が、口を開く。
「同性惚れ、ってやつですね。同性に憧れを抱く気持ちというものは、誰にでもあるものですから。そう考えると、追いつめられた精神状態の中で憧れの対象になった女史に癒しを求めた、今回の女性の気持ちも、分からなくはない」
「櫻井さんでも、男惚れするなんてことがあるのですか? ……あっ、会長にかな?」
 意外な話を耳にして、学は少々驚いた様子だった。
 櫻井のようなタイプは、どちらかといえば憧れを持つというよりも、持たれるタイプである。
 しかし彼は、学の母親である会長第一秘書を敬愛し、会長である父を崇敬している。そんな彼が憧れをもつ男と考えれば、やはり父なのだろうと学は考えたのだった。
 しかし櫻井の口からは、まったく予想もつかない言葉が出たのである。
「なにをおっしゃいます。専務ですよ。専務の行動力と判断力は、行動を共にさせていただいている身としては男惚れせずにはいられません」
 意外、というより、意外すぎる言葉だった。
 まさか櫻井に、そんな言葉をかけられてしまうとは。学としても思わず言葉を失わざるを得ない。
 珍しい反応を見せる学を横目にクスリと笑い、美春は運転席の櫻井を見つめ声をかける。
「ありがとうございます。櫻井さん」
 振り返ったわけではないが、軽く上げた彼の左手が親指を立てたのを見て、美春は笑顔が止まらなくなった。
 学が褒められれば、美春だって嬉しい。それを、櫻井は知っている。
 朝から気を揉まされた彼女を気遣ってくれたのか、それとも誕生日だからと思って喜ばせてくれたのかは分からないが、櫻井の気持ちがとても嬉しい。
「櫻井さん、急いでくださいね。早く会社に帰らなくちゃ」
「張り切っているな、女史。さすがに誕生日の残業はイヤだよな。終業後には予定が入っているんだろうし」
「そうじゃなくて、お花。そのままにしてきちゃったから、早く花瓶に活けてあげなくちゃ」
「花? ああ、例の花束……」
 切り花用の処置はしてあるだろうが、だからといっていつまでもそのままで良いわけではない。
 急いで出てきてしまったせいもあるが、花束のまま専務室に置きっぱなしなのである。
「あの花、黄色いチューリップだったよね……」
 なにかを思いだしたようにポツリと呟いた信が、美春を振り返った。
「うろ覚えなんだけど、黄色いチューリップって、あんまり良い意味じゃなかったような気がするんだよね。女の人なら、ピンクとか赤とかを選びそうな気がするんだけどな。……どうして黄色を選んだんだろう……」
 良い意味、とは、花言葉のことだろう。確かにイメージとして、女性ならばもっと華やかな色を選ぶのではないかと感じる。
 すると、美春の代わりに学がその疑問に答えた。
「いいや。花を贈った女性は、実に良いセレクトをしている。憧れた人物の誕生日を考えた、女性らしい贈り物だ」
 信号で車が停まる。櫻井もルームミラー越しに学へ視線を送り、話に聞き入った。
「確かに、黄色のチューリップにあまり良い意味はない。“叶わぬ恋”とか、そういった悲恋的な花言葉がついているはずだ。けれど、色にこだわらず考えるなら、チューリップ全般の花言葉は“思いやり”。そして、黄色は……」
 学は美春に顔を向ける。彼女と視線を合わせて、その頭をポンポンと撫でた。
「三月十三日、美春の、誕生花だ。憧れの人の誕生日に誕生花を贈るなんて、細やかでお洒落な考えだと思わないか」
 不安を煽る材料にされていた花束が、とても素敵な贈り物に思えてくる言葉だった。
 美春が笑顔でこくりと頷くと、学も微笑み返してくれる。そこへ信が口を挟んだ。
「葉山、花言葉に詳しいんだな。初めて知ったぞ」
「知人に、生花流通商社の副社長がいるんだ。色々と聞かされているうちに覚えた」
「お前のことだから、その誕生花とやらの話も、自分から訊いたんだろ?」
「当たり前だ。美春関係の話だぞ」
 車内に笑い声が響く。会社を出るときは深刻な雰囲気だったというのに、今はまったく逆になった。
 美春の頭を撫でた学の手は、彼女の膝に下り、そこにある手を握る。
 いつでも、どんなときでも、安心をくれる愛しい手。
 美春は学の手をもう片方の手で包み、彼に微笑みかけた。
「ありがとう。学」
 どんなに平穏な毎日に甘んじる日々が続こうと……
 彼の手は、いつでも彼女を守り続けている。
 それを、再確認したような気がした。


【続きます】






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