溺愛マリッジ

第三章・4月/1

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 わずかに開いた教室の窓が、タッセルに捉まえてもらうことを忘れた白いカーテンを揺らす。
 吹き込んでくるそよ風に新緑の香り。少し前までは、そこに桜の花びらが迷い込むこともあった。
 生まれた季節が春だから、というわけではないが、美春はこの季節が大好きだ。
 春の陽射しは眩しく、しかし優しい。
 それはときに、落ち着いた栗色を持つ彼女の髪を、いささか明るめの焦げ茶色に見せてしまうことがある。『染めてるの?』何度訊かれただろう。進級進学するたび。周囲の友だちが変わるたび……
 美春はクォーターなのである。彼女の母親が、フランス人の父と日本人の母を持つハーフ。ゆえに、髪の色はそんな美春ならではの特徴だった。
 幼い頃などは、それをからかわれたこともある。しかしそんなとき、必ず美春の前に出て庇ってくれた言葉があった。
『美春の髪は染めてなんかいない。世界一綺麗な、春の栗色だ』
 ――春の栗色……
 春生まれだから、そんな言葉を使ったのだろうか。幼なじみの学がくれるその言葉は美春の心に強烈な印象を落とし、高校一年生になった今でも消えない。
「美春ー」
 教室の後ろで固まる友達の輪に混ざり、話を聞くより窓からそよぐ風を感じていた美春は、呼びかけられたことに気づいて自然と窓のほうへ顔を向けた。
 私立西海学園高校、一年生の教室は一階にある。一年A組の教室を外から覗きこむのは、眉目秀麗を絵に描いたかのような少年。
 彼が浮かべる笑顔は、いつも美春にしか向けない愛しげな微笑み。
「学、なにやってんの。そんな所から」
 彼とは同じクラス。お弁当の時間に学の姿がなかったので、学食にでも行っているのだろうかと思っていたのだった。
 美春は窓辺に近寄り、中途半端だった窓を全開にして学を見下ろす。
 高校に入学したばかりだというのに、すでに一八〇センチという長身の学。美春も女子にしては大きく一七〇センチに近いが、幼い頃から身長で学を追い越せたことはない。
 それでも今は視線の下に彼がいる。こんな機会はめったにない。美春は思わず学の頭を撫でてしまった。
「なんだよ」
「うん。視線の下にいる、ちっちゃい学はかわいいなぁと思って」
「なんだよ、それ。お前のほうがかわいいよ」
 アハハと笑いながら出される言葉に、きっと意味はない。学は女性全般に優しいフェミニストだ。これは彼の、幼なじみに対するリップサービスなのだから。
 ――美春はずっと、そう思い続けていた。
「美春、帰りにさ、ケーキ食いに行こうぜ。パティスリーカフェの限定フルーツタルトのセット、予約取れたから」
「え……?」
「そのあとは本屋な。百貨店の近くにあるでっかい所。写真集展やってるから見に行こうぜ。バイクに乗っけてやるからすぐに着く」
「あの……学……」
「あっ、今度の土曜は水族館だぞ。ああ、ナイトアクアリウムのほうだからな」
「学っ」
「ん?」
 美春に強い口調で呼ばれ、ひとりで予定を並べ立てていた学は、やっとその口を止める。
 口元に薄微笑を浮かべ、彼女の言葉を待つ。美春はそんな彼の表情に照れくさいものを感じながらも、控えめに尋ねた。
「……あの……、それって、あれなの? 誕生日の、お願い?」
 学の微笑が嬉しそうな笑顔に変わる。やっと分かったかと言わんばかりに、彼は張り切って補足を加えた。
「当たり前だろう。今日は俺の誕生日だ。――今日のお前は、俺のものなんだからな。付き合ってもらうぞ」
 ようは、俺の言うことを聞け、という意味。しかし幼い頃からずっと学を想い続けている美春にとっては、心密かにドキリとせずにはいられない言葉である。
 友だちの呼ぶ声に振り向き、学は「じゃあな。帰り忘れるなよ」と窓から離れていく。
 新緑の風、春の優しい陽射し。その中を走りぬけていく後ろ姿を見つめ、美春は胸が締めつけられるほどの愛しさに襲われた。
 今日、四月十四日は、学の誕生日。
 幼い頃から、彼の誕生日に美春があげるのは物ではない。彼がしてほしいことをしてあげるのがプレゼントになっていた。
 学は大企業の御曹司だ。品物をプレゼントするにしても、その内容に困ってしまう。してほしいことといっても、たいてい買い物や展示会、演奏会などの付き添い。かえって美春も楽しめることばかりで、気が楽だった。
 だが、あるとき、ふと気づいたのである……
「……フルーツタルト食べたいって言ったのは私だし……、写真集展を覗きたいって言ったのも、私だよ……」
 遠ざかる学の後ろ姿を見つめ、美春は呟く。
「ナイトアクアリウムだって、私が……」
 誕生日のお願いなのかと美春が気づいたときに見せた、あまりにも無邪気で嬉しそうな学の笑顔を思いだす。
 彼は本当に嬉しいのだろうか。今言われた予定は、すべて美春がやりたい見たいと言っていたものなのである。
「学……」
 彼は、いつもそう……
 誕生日にはいつも、美春が喜ぶ予定をたて、彼女を引っ張り回す。
 学に付き合ってあげている。彼の誕生日プレゼントに言うことを聞いてあげているという建前ではあれど、美春は学と一緒にいられて、嬉しいし楽しい。
 ――学も、嬉しくて楽しいと、思ってくれているのだろうか。
 視界から学の姿が消える。それでも、彼の笑顔は美春の瞼の裏に焼きつき、いつまでも離れない。
 爽やかな新緑の風より、優しい春の陽射しより。ただ学の存在だけが、美春の心を埋め尽くす。

 ――学が、本当にしてほしいこととはなんだろう。
 せっかくの誕生日。気を使わず、彼が本当に頼みたかったこととは……
 そんなことをよく考えた、幼なじみ時代――――

 ***

「――おはよう、美春」
 ゆっくりと開く瞼。ぼんやりとした視界に映る人を確認しきれないうちに、かかる声。
 しかし、特に不安などを覚える必要はない。目の前にいるのは、美春の愛しい旦那様で間違いはないのだ。
 毎晩同じベッドで眠り、朝を迎える、最愛の人。
「おはよ……、学……」
 ふわりとした声を発する唇に、同じくらい柔らかなキスが落ちてくる。乱れた美春の髪を梳き、学は愛しげに彼女を見つめた。
「大丈夫か? 動けるか?」
「……どうして?」
「昨夜、苛めすぎたかなと思って」
 彼の言葉の意味をゆっくりと悟った頭が、美春の頬をほんわりと染める。「もぅっ」と拗ねた表情をすると、学は笑って裸の上半身をベッドから起こした。
 ひと伸びすると、寝室の窓に顔を向け、表情を和ませる。
「良い天気だ。仕事したくないって言いたくなるな」
 カーテンの隙間から、早朝の陽射しが薄暗い寝室に光の線を作っている。
 爽やかな朝。昨夜、彼に愛された余韻で気だるさの残る身体も、この光を浴びればみるみる活気を取り戻してしまいそう。
 それにしても、学が仕事をしたくないなどと口に出すのは珍しい。美春はクスリと笑って彼の腕に触れた。
「駄目ですよ、専務。そんなことを言っては。珍しい我儘ですね」
 秘書の顔でおどけると、学が顔を近づけ、こつんっとおでこをくっつける。
「おっかない秘書様に怒られないなら、サボりたいな、今日は」
「――誕生日だから?」
 そう言った美春の視界に、とても嬉しそうな学の笑顔が広がる。
 よくぞ気づいてくれたと言わんばかりの無邪気な笑顔。そこにふと、過去の思い出がよみがえった。
「叶うなら、一日中美春を抱きしめていたいよ」
 美春から離れ、ひとりベッドを下りる。パジャマのズボンを穿いた彼は、脱ぎ捨ててあった美春のネグリジェを彼女へ放り窓辺へ向かった。
 学が両手でカーテンを開くと、眩しい朝の光が流れ込んでくる。薄暗かった寝室に、いきなり朝がやってきた。
「今日は俺の誕生日だからな。たくさん美春に我儘言うんだ」
「ええっ? ちょっと学っ」
 焦る美春の声を聞き、学は笑いながら改めて身体を伸ばす。ベッドの中から彼を見つめ、美春は考えた。
 ――学がしてほしいこととは、いったいなんだろう……


【続きます】






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