溺愛マリッジ

第三章・4月/3

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 学の様子は、朝の雰囲気を維持したまま外出中も変化することはなかった。
 仕事での外出には社用車を使用する。同行する社員がハンドルを握ることもあるが、本来は専用の運転手が担当している。
 しかしこの日の運転は学が自ら行い、しかも自分の車を使用しての移動となった。社用車の整備が行き届いていなかったわけではない。“専務指示”で、そうなった。
 車内にふたりきりだからといって、特にベタベタと密着してくるわけではない。相変わらず甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
「はい、どうぞ」
 横から差し出されたコーヒーチェーン店のカップを受け取り、美春はいささか恐縮をした。
「あ……、ありがとうございます」
「朝から忙しく走り回っているから疲れただろう? 昼を過ぎてしまったけれど、もうひとつ片づけてから昼食にしよう。そのほうが時間に余裕ができる。昼食まで、コーヒーでも飲んで我慢してくれ」
「は……はい、大丈夫です」
 こんな気遣いをされては、どっちが秘書だか分からない。美春は助手席でコーヒーのカップを両手で持ち、運転席の学を見つめ微妙な気持ちになる。
 コーヒーチェーン店の駐車場。車に乗ったままの休憩ではあるが、コーヒーとバニラの香りに癒され、美春はやっとひと息つけたような気がした。
 残業は進捗次第、などといってしまったせいだろうか。学は目に見えて張り切っている。いつも精力的に仕事をこなしてくれる人ではあるが、今日はそれ以上であるような気がするのだ。
 そのおかげで今日のスケジュールは順調すぎるくらい上手く進み、かえって時間的に余裕ができている。それでも学は、まだ時間を作りたいようだ。
(昼食時間を多めに取りたいとか……。もしかして、早く終わらせて定時前に退社したいとかなのかな)
 昼食はともあれ、定時前の退社は無理だろう。夕方からは役員会議が入っている。おそらく定時時間ギリギリまでかかるはずだ。
(別の予定を入れたい、とか……)
 両手でカップを持ったまま、視線を上蓋に注ぐ。考えこむあまり一点を凝視していると、その視界に彼女を覗きこむ学の顔が入りこみ、美春は小さく飛び跳ねてしまった。
「そんなに驚くな。蓋になにか付いていたのか? 穴でもあきそうなほど見つめていたみたいだけれど」
「い、いいえ、別に……。ちょっとボーっとしてしまって……」
「ボーっと?」
 笑顔を引き攣らせる美春を見つめると、学はなにか思い付いたかのようにカップをドリンクホルダーへ置く。そしてなぜか運転席を出て、すぐさま後部座席へと乗りこんだ。
 なにをしているのだろう。振り返り目をぱちくりとさせる美春に、学はいつもの優雅な微笑みを向けた。
「美春、こっちおいで」
「は……い?」
 いきなりプライベートモードになったようだ。彼の行動を理解できないまま小首を傾げていると、学は自分の両膝をポンポンッと叩いた。
「疲れたんだろう? もう少し休むか。ほら、膝枕してあげるから」
「いっ……いいよぉ……」
「遠慮するな。俺の膝が気持ち好いってよく言ってるだろ」
「いきなりこんな場所で……。いいってばっ」
 いきなりの膝枕提案。戸惑いつつも美春は辞退をするが、一瞬学が寂しそうな表情をしたのを見て言葉が止まってしまった。
(そんな顔しないでよぉ……)
 英知に溢れ、弱点などないかのように周知されている葉山の御曹司。少々頼りなさげな表情を見せてしまうのは、もちろん美春にだけなのである。
「あとで、あとでね……。家に帰ってからのほうがゆっくりできるし」
 咄嗟に口にすると、学の表情がぱあっと明るくなる。こんな学を目の当たりにして『かわいい』と思えてしまうのは美春の特権だろう。
「よし、じゃあ、コーヒー飲んだらすぐに一件片づけて病院へ行こう」
「病院?」
 それは今日の予定には入っていない。なんのために行くのだろう。もしや具合でも悪かったのだろうか。美春は心配になるが、後部座席を出て運転席へ戻ってきた学は、嬉しげに微笑んだ。
「美春に、会わせたい人がいるんだよ」

 コーヒーを飲み終わったふたりは、前倒しにした仕事を片づけ総合病院へとやってきた。
 時刻は十三時。午後の外来診療が十三時三十分からであるせいか、ロビーを行き来する人もまばらだ。
 そんななか、ロビーに入ってきた学と美春の姿をいち早く見つけ、駆け寄ってきた人の姿がある。
「美春ー、葉山君」
 小さな乳児を抱いた女性だった。美春より背は低いものの、スラリとした和風の美人で、背の中ほどまで伸びた綺麗なストレートヘアを後ろでまとめ上げている。
 ラフな重ね着のチュニックにジーンズという服装は、着物姿か折り目正しいお嬢様スタイルの彼女しか知らない者が見たなら、驚きで言葉を失ってしまうだろう。
 しかし美春は驚かない。彼女の服装が変わったのは、愛娘と存分に戯れるためなのだということを知っている。
「涼香!」
 美春の声は弾み、久々に顔を合わせる無二の親友、田島涼香(たじまりょうか)が駆け寄ってくる前に彼女の元へ走り寄った。
「どうしたの、こんな場所で会うなんて。わー、はるかちゃん、久しぶりー」
 美春は涼香の肩を小さく揺すり喜びを表すと、彼女が抱く愛娘に顔を近づける。
 罪のない満面の笑みが美春との再会を喜ぶ。はるかは昨年十一月に生まれた信と涼香の娘である。とても懐いてくれるので、美春もかわいくて堪らない。かわいいあまり、顔を見に田島家へ行くたび涼香から奪い取ってずっと抱っこしているほどなのだった。
 そうすると、当然のように言われてしまうのである。『早く子供作んなよ』と。
 涼香が美春にはるかを渡す。美春の腕に抱かれてニコニコする娘に複雑な顔をしながら、涼香は背後を振り返った。
「はるかの健診日なのよ。ほら」
 涼香の視線の先には、少し離れた場所でふたりの様子を見守る信の姿がある。スーツ姿ではないということは愛娘の健診に合わせて休みを取ったか、仕事を中抜けしているかどちらかなのだろう。
 信が肩から掛けている少々大きめのバッグはマザーズバッグ。それが意外と似合って見えてしまうのだから、彼も“お父さん”が板についているということだろうか。
 美春はふと、信の姿に学を重ねてしまい、いつか自分にもこういう日がくるのだろうかと密かに心を弾ませた。
「午後からの健診で予約を入れているんだけど、信ちゃんが今日の話を葉山君にしたら、美春を連れていくからロビーで待っていてくれって言われたらしくてね」
「え……?」
「久し振りに美春に会えると思って張り切っちゃった。一カ月以上ぶりだよね。」
 嬉々として言葉を出していた涼香だが、はるかが美春の胸に顔を押し付けているのを見て慌て始める。どうやら涎が出ていたらスーツに付けてしまうと思ったようだが、その心配はなかった。
 涼香がはるかを構っているあいだ、美春はチラリと学を振り返る。彼女の視線に気づいた学は、にこりと微笑み軽く手を上げて信のほうへ歩いて行った。
 学が仕事を急ぎ、時間を作ってくれようとしていたのはこのためだったのである。
 涼香に会いたい。はるかを抱っこしたい。そんな言葉を会話の合間に挟んで何気なく口にしたのは、四月の初めくらいだっただろうか。
 大好きな親友に会いたいのは本心でも、簡単にはいかないのが現実だった。
 新年度に入って、美春は仕事が忙しく、なかなか会いに行ける時間が作れない。涼香だって、小さなはるかの世話もあれば、時々時間を見ては実家へ行かなくてはならない身なのだった。
 彼女の実家は日舞の大家、菱崎流の本家。家元の長女である涼香は、信に嫁ぐことがなければ次期家元になるべき女性だったのである。
 次期家元の座は降りたものの、今でも師範代として指導の役には就いている。美春も涼香も忙しい身。信は仕事柄ちょくちょく学に会いに来られるが、涼香はそうもいかない。
『涼香に会いたいな……』
 学は、何気なく出たそんな望みを、叶えてくれたのだった。
 ゆっくりと話ができる状態ではなくとも、顔を見られただけでも嬉しい。そして、美春の気持ちを学が考えてくれていたことが、とても心に染みた……


【続きます】






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