年下ですが貴女を好きになってもいいですか

第一章・年下は嫌いです!/3

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 出かける間際に降りだしていた雨は、用事を終えて帰社する頃、さらに強いものに変わっていた。
(なんか、イヤな予感がする……)
 外出先で特に不快なことがあったわけではない。だが美涼は、モヤモヤとした気持ちが胸から抜けきらないまま傘を閉じた。
 本社ビルの自動ドアの前に立ち、空を見上げ嘆息する。考えてみればこの雨は、琉生に絡まれ気分が下降気味になったあたりから降りだしたのだ。さらに強くなっているということは、また煩わしいなにかが起こるのではないかという胸騒ぎを感じずにはいられない。
 とはいえ、実際、雨の強さと琉生のあいだにはなんの関連性もないだろう。昨日から今日にかけての出来事を考え、そう思ってしまうだけだ。
(またすぐ、絡まれたりして)
 苦笑いを浮かべ、ビル内へ入る。皮肉なことを考えてみるが、琉生にだって仕事があるのだから、そんなに度々顔を合わせるはずがない。
 ……しかし……
「おっかえりなっさーいっ」
 弾んだ声と共に背後から伸びてきた手が、美涼が持つ傘を掴む。引っ張られるのと同時に振り向くと、そこには彼女の気持ちを曇らせる原因が立っていた。
「雨、強くなりましたねぇ。濡れませんでしたかー?」
 美涼はムッとした顔で琉生を見る。彼女の答えがないので彼は小首を傾げたが、すぐに意味を悟ってにやりと口角を上げた。
「はいはい、見れば分かりますよ。濡れなかったんですね。良かった」
「なにしてんの?」
「は?」
「なんで帰ってきたときまで、あんたがここにいるの? まさか、ずっといたわけじゃないわよね」
 琉生の質問には答えないが、自分の疑問はシッカリとぶつける。すると彼は、さらに傘を引き寄せて美涼に顔を寄せた。
「なに言ってんですかー? 美涼さんを待っていたに決まってるじゃないですかー」
 傘を掴まれていなければ、外出前と同じようにすねのひとつも叩いてやったことだろう。美涼は傘から手を離して琉生からも離れた。
「仕事しなさいよ。バカじゃない?」
「してますよー、仕事」
「どこがっ?」
 アハハと笑いながら、琉生は受付カウンターへ歩いていく。どうやら傘を返しにいってくれるようだ。
「ご苦労さん。雨の中、悪かったな、倉田」
 琉生の後ろ姿を睨みつけていた美涼に威勢のいい声がかかる。顔を向けると、体格のよい父親ほどの年齢の男性が近づいてきた。上司の松宮だ。
 挨拶代わりに上げられた手には、愛飲する煙草の箱。それを見て、美涼はちょっと恨みがましい顔をする。
「はい、雨の中、課長のご指示を執行すべく出かけてまいりました。……課長は……、ご休憩でしたかぁ~?」
 これはまずいと言わんばかりに、松宮は素早く煙草をスーツのポケットへ入れる。誤魔化し笑いをしながら、彼は背後を指でしゃくった。
「ちょっとな。でも、俺もこれから出かけるんだ。出陣前の一服なんだぞ」
「それは、お疲れ様です」
 松宮が示したのは、エントランスホールの片隅にある喫煙室。自動販売機がズラリと並ぶ壁側に設置されたガラス張りのスペースは、主に男性喫煙者の憩いの場だ。松宮は、ここの常連である。
「どれ、雨の中を素直にお使いへ行ってくれた良い子には、ジュースでも買ってやるか」
「わーい。ありがとーございますー」
 美涼がおどけた声を出すと、松宮は威勢良くハハハっと笑って彼女の背をバンバンと叩いた。……少し勢いがありすぎて痛い……
 商社の営業課長というよりは、工事現場の監督といってもおかしくない雰囲気を持つ松宮。武骨で大雑把にも感じられるが、実はとても仕事に正確で部下にも細かい配慮をしてくれる上司である。
 松宮に目をかけられた男性社員は必ず出世をするとまで言われており、実力とやる気さえあれば、女性の部下でも上へ押し上げる手助けをしてくれる。彼が目をかけて一番出世している元部下といえば、なんといっても現在総務課に在籍する女性だろう。彼女は三十一歳にして総務部部長であり、この会社の副社長夫人だ。
 いくらなんでもそこまで出世したいとは思わないものの、美涼は松宮の部下になれて嬉しい。
 一カ月前、会社を辞めようとまで思い悩んでいた彼女の様子を察し、松宮が自分の下に就くようにと指示をくれた。
 そのおかげで、美涼は救われたのである。
 ――会社にも家にも、身の置き場を感じられなかったあの状況から……
「あーっ、いいなぁ、美涼さんっ。ジュース買ってもらってる」
 飲み物を選び、それを取り出そうとしたとき、背後から琉生の声が聞こえた。駆け寄ってくる足音が背後で止まると、美涼は握りしめたペットボトルを彼に突きつける。
「ジュースじゃないわよ。お茶よっ」
 琉生の鼻先には、燦然と輝くブレンド茶。息の長い定番商品である。
「どっちだっていいじゃないですか。買ってもらっていいなぁ、って話なんですから」
「よくないっ。ジュースとお茶は違うでしょう。炭酸飲料の商談に行って、お茶商品の説明はしないでしょう。それと同じよ」
「美涼さんの説明、わけ分かんないです」
「分かんなさいっ」
「でも俺、お茶系の商談に行って、炭酸飲料の契約取ってきたことありますよ」
「わけ分かんない」
「分かってくださいっ」
 意地の張り合いのような言い争いをしていると、見ていた松宮が楽しげに笑う。
「なんだなんだ、仲良しだな、お前ら」
「えーっ、そうですかぁ?」
「仲良くないですっ!」
 嬉しがって照れたのが琉生。反発したのが美鈴である。当然だが、松宮はさらに噴き出した。美涼のときよりも強めに琉生の背を叩き、自動販売機の前へ促す。
「どれどれ。じゃあ、喫煙室まで追いかけてきて俺を休ませてくれなかった仕事熱心な部下にも、ジュースを買ってやろう」
「ごちそうさまですー、課長ーっ」
「お前のおかげで出陣前の一服がまずくなったから、でっかいペットボトルの高いやつは駄目だぞ。ちっこい缶のやつを選べ」
「課長っ、せこっ」
「ごちゃごちゃ言うなら買ってやらんぞ」
「ちっこい缶で充分でありますっ」
 チクリと皮肉を交えながらも、和気あいあい楽しそうな上司と部下。普段ならばクスリと笑ってしまう光景だが、美涼は少し申し訳のない気分になるあまり、それができない。
 出かけたときと同じように琉生がエントランスで美涼に声をかけた状態を、彼が仕事をさぼっていたのだと決めつけ、憎まれ口をきいてしまった。松宮との会話を聞く限り、琉生は仕事の話をするためにここにいたのだ。
 話が終わってひと息ついたときに偶然美涼が帰ってきた。これが真相。それなのに、誤解をした美涼を琉生は責めなかった。ムキになって言い返すことも、機嫌を悪くすることもなかったのである。
(ちょっと、悪いことしちゃったかな)
 姿を見ただけでサボリと疑ってしまったことを少し反省する。わずかなりと湧いたお詫びの気持ちで、五〇〇ミリリットルのペットボトル飲料は自分が買ってあげようかと思うが、琉生が流行りのエナジードリンク缶を選んだのを見て考えは却下された。……缶は小さくとも、美涼が選んだお茶より高価だ。
「遠慮ねえな、堂嶋は」
「課長、ちっこい缶ならいいって言ったじゃないですかー」
 それでも楽しそうに笑う男性陣を、美涼は苦笑いで見つめる。すると、松宮が彼女に顔を向けた。
「デスクに新規の書類置いておいたから。見積もりの作成頼むな」
「はい、分かりました」
「急ぎなんだけど、今日中にできるか?」
「大丈夫です」
「倉田は仕事が早いから、ほんと助かる」
「ありがとうございます」
 新たな仕事に向かうべく、美涼は「お茶、ありがとうございました」と再度礼を言い踵を返す。エントランスを急ぎ足で歩きながら腕時計を確認し、見積書の作成くらいならば定時までにできるだろうと確信した。
(項目の量にもよるけど……)
 それでも、松宮は部下に回す仕事もあらかじめの確認が徹底しているので、商品や価格の再確認もスムーズだ。
 おかげで、以前よりは格段に美涼の残業は減っている……
 エレベーターの前で立ち止まり、呼び出しボタンを押そうと手を伸ばす。すると、真後ろから伸びてきた手が先にボタンを押した。
「かっこいいなぁ……」
 押したまま動かないので、声の主である琉生の腕は美涼の右側をふさいだままだ。背後に立ち、彼はわずかに身をかがめて彼女に囁きかけた。
「仕事量の確認もしていないうちから、『できます』って言えちゃうんだー? かっこいい。かっこよすぎるよっ、美涼さんっ」
 腕でふさがれていない左側のエレベーターが先に下りてくる。ドアが開くと、美涼はさっさと乗りこんだ。
 他に乗る者がいなかったのですぐに扉を閉めてやろうとしたが、一瞬早く琉生が中へ滑りこんでくる。ムッとする美涼を見て薄笑いを浮かべ、腕を組んだ。
「美涼さんってさぁ、かーわいいよねぇ」
「はぁっ?」
 素っ頓狂な声を出したときドアが閉まる。美涼は急いで九階を押し、琉生に向き直った。
「あんたね、そういう軽口はいい加減に……」
「なんか無理してる。いっつもそうだよねぇ。仕事も人間関係も、“私は強いんです”って、無理やり相手に思わせようとしてる」
 美涼は咄嗟に琉生を睨みつける。しかし彼がニヤリと笑ったのを見てハッとした。
 してやったり……。そう言われているような気がしたのだ。
 ここでムキになっては図星だと思われて当然。琉生は、わざと煽ってきている。
 思い直そうとするが、琉生の行動のほうが早い。美涼は両肩口を掴まれ、エレベーターの横壁に押し付けられた。
「俺に対してもそうだよね。冷たいっていうかなんていうか。がっちり上下関係を作ろうとしてるっていうか、絶対に自分を下に見せないようにしてるっていうか」
「あんたは後輩でしょう? 上下関係はあるのが当り前じゃないの! それとも、なに? 女だから、年上でもバカにしてるの?」
「バカになんてしてませんよ。だいいち美涼さん、後輩の女子にはフレンドリーで優しいじゃないですか」
 美涼は言葉に詰まる。一瞬の沈黙のあと、琉生が口を開いた。
「美涼さんってさ……、年下の男が嫌いなだけなんじゃないの?」
「嫌い……。嫌いよ! 特にあんたみたいに、後先なにも考えていないような、チャラくて生意気な男、大っきらい!」
 ムキになりすぎている。
 自分の理性がそれを理解していた。しかし動揺で先走る思考が、そのまま言葉を出してしまう。
 特に、と、琉生を示したのは、さすがに彼もカチンときたのかもしれない。感情を示していなかった琉生の眉が、ピクリと寄った。
「じゃあ、年上なら好きなんですか」
「……なんで、そっちの意味になるのよ」
「だって、そういう意味でしょう? 年下男は大嫌いで、年上男は大好きなんですよね? ……部下にわざと残業をさせて、ふたりきりになったところで襲ってくるような男でも、年上なら好きなんでしょう?」
 美涼は目を見開く。自分でも分かってしまうくらい身体が固まり、血の気が引いた。


*次回更新・8月31日予定






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