年下ですが貴女を好きになってもいいですか

第四章・年下はやっぱり嫌いです!/1

 ←第三章・年下はしつこいです!/6 →第四章・年下はやっぱり嫌いです!/2

「……いってきます……」
 こそっと呟き、ドアを閉める。
 ひと声かけたのは、誰かに気づいてもらいたかったからではない。
 むしろ、気づかれたくないからこそ、いつもより二時間も早い電車を選択して家を出たのだ。
 門を出て左右を見渡す。早朝の住宅街は、歩道車道とも静かなものだ。
 また昨日のように琉生が迎えに来るのではないか……
 警戒しつつ、それを期待した。もし来たら、美緒を起こして言ってやるのだ。昨日と一昨日、一緒にいたのはこの男なのだと。
 琉生の存在を利用しようとしている自分の考えに、虚しさが湧き上がる。
 そんなことをしても無駄かもしれない。美緒は、美涼が嘘を信じさせるために後輩を呼びつけたのだと考えるだろう。昨日あれだけ興奮していたことを考えれば、かえって逆効果だ。
「主任に……説明してもらうしかないか……」
 言葉と一緒に出るのは重い溜息。この誤解を解けるのは国枝しかいないだろう。
 ひとこと言ってもらえばいいのだ。『仕事が忙しくなって連絡ができないでいた』と……。そうすれば、美緒も分かってくれる。
 しかし、この誤解を招くきっかけとなった国枝と美涼がつきあっていたという事実を、美緒はどうやって知ったのだろう。
 誰かに聞いたと考えるのが一番可能性のある原因だろうが、だとすれば、誰に聞いたのかという疑問が生まれる。
 会社の人間に、ふたりの関係を知る者はいなかったはず。――たったひとり、知っていたらしい琉生は別として。
 早朝で電車がすいていて楽だったせいか、それとも考え事をしていたせいか、いつもより早く会社へ到着したような気がした。
(朝ご飯食べてこなかったしなぁ……。カフェでモーニングとか、ちょっとかっこつけてもよかったかな)
 目の前に見えてきた本社ビルに向かいながら、ぼんやり考える。朝早くから出社したのは、急ぎの仕事があるからなどではない。単に、美緒と顔を合わせるのが気まずくて、のんびり朝食をとる気になれなかったのだ。
「やっと、平気になったのにな……」
 家に身の置き場を感じられない気持ちになるのは、一ヶ月ぶりだ。
 一ヶ月前、国枝と美緒の関係を知り、自分の立場だけが中途半端なことに気づいた。美緒が妊娠したかもしれないという話に動揺し、国枝の恋人だったという立場を口に出せないまま、美涼は、姉として美緒の味方についた。
 会社では国枝と気まずくなり、仕事がしづらい。家に帰ればなにも関係のないふりをして美緒から国枝の話を聞き、隠し事をし続ける。
 いっそ会社を辞めて国枝が自分の前から消えれば、美緒を騙している罪悪感から逃れられるのではないだろうかとまで考えた。
 そんな時期を乗り越え、やっと平気になったのに。また同じような気持ちになってしまうとは……
「迎えに来てくれて……本当にありがとう……」
 不意に聞こえたその声は、とても小さかった。通行人や車の通りが多い時間帯なら、きっと耳には入ってこなかっただろう。
 声に気づけたのは、人の姿がほとんどない出社時間であったことと、その声が、昨日も耳にした切なげな声だったからだ。
 嫌な予感をよぎらせながら、美涼はこそっと視線を上げる。本社ビル正面入口までもう少し。その手前にある地下駐車場へ続く通路の出入口、そこから出てきたらしいふたつの影が目に入った。
 ――琉生と、例の経理課の女性だ……
「朝……早かったのに……。ごめんなさいね……」
「いや、いいよ、別に。俺は大丈夫だし」
「……昨日も……、来てくれてありがとう……」
「うん……」
 ふたりはビルの正面入口で立ち止まり、一度顔を見合わせてから女性だけが自動ドアをくぐっていく。琉生はそこに立ち、ドア越しに見える女性の姿を見送っているようだった。
 短い会話だが、それだけでこの状況が理解できる。
 つまり琉生は、この早朝からあの女性を迎えに行き、会社まで一緒に来た。そして聞くからに、彼は昨日、あの女性のもとへ行ったのだ。
 おそらく、美涼と別れてから……
 どこか深刻な顔をして立つ琉生の横顔を、美涼は呆然と見つめる。
(……行かないって……言ったのに……)
 心がそう呟いたとき、琉生が動き出す。彼はなぜか会社へは入らず道を戻ろうとした。
「美涼さん……」
 彼女がいたことに気づいた琉生は、一瞬真面目な顔で眉をひそめ、驚いた表情を見せる。しかしすぐに態度をころっと変えた。
「おっはよーございますぅ。どーしたんですっ、こんな早くに」
 分かっていても、思わずイラッときそうな軽い口調。美涼の前に立ち、ムッとする彼女を覗き込む。
「これから迎えに行こうと思ってたんですよー? なんか昨日より早く出てきたんですね?」
「……あんたが来たらうざったいから、わざと早く出たのよ」
 そう言い捨て、琉生の横を通り過ぎる。当然のように彼も横へ並び、一緒に歩き出した。
「早くに出るなら連絡くれればよかったのに。俺の番号、知ってますよね?」
「知らない」
「えーっ、マジで? 沢田にでも聞いて知ってると思ってた。じゃあ、教えますよ。だからいつでも……」
「いらないっ。教えられても消す」
「なんだろー? 今朝はまた一段と冷たいですねぇ」
 あははと笑い声をあげる琉生と並んだままエントランスへ入る。美涼は返事もせずにエレベーターホールへ向かおうとしたが、琉生に腕を掴まれ足が止まった。
「美涼さん……、もしかして、見たの?」
 軽口から一転した口調。この言葉の意味は、もちろん例の女性と一緒にいたところを見たのかと問うているのだろう。
 神妙な表情になりかかる琉生をひと睨みする。と、そのとき、軽快なヒールの音とともに快活な声がかかった。
「あら、おはよう。早いのね、おふたりさん」
 ふたりが同時に顔を向けた先には、ひとりの女性が近づいてくる姿がある。
 洗練されたスーツ姿。スタイルが良ければその面立ちは嫌みのない美人顔。微笑みを浮かべる大人っぽい相貌に、桜色のルージュがちょっとかわいらしい。
「おはようございます。朋美さん」
 琉生が無難な挨拶をしたことに焦り、美涼も「おはようございます」と頭を下げる。そうしながらも、とんでもない偶然に鼓動が騒ぎ出した。
 彼女のことは、美涼も知っている。というよりはこの会社で彼女を知らない者はいないだろう。直接話したことはないが、それほどの有名人だ。
 この東條商事本社の副社長夫人。総務部部長、東條朋美(とうじょうともみ)。
 もとは松宮の部下だったということで、彼女の話は聞かされたことがある。結婚前、総務課の主任だった時代も気さくで明るく、部下や他部署からも信頼が厚かった人気者だ。
 しかし、いくら気さくな人だとはいえ、一介の社員にこんなにも気軽に話しかけてくれるとは……
「早かったのね、琉生君。仕事でも残していた? 松宮さんに鍛えられているらしいじゃない」
「鍛えごたえがあるって言ってもらいたいし、頑張ってますよ。それより、朋美さんはどうしたんですか?」
「副社長が、今日は早朝会議なのよ。だから、ついでに私も一緒に来ちゃった」
「そうですか。相変わらず仲良しですねー」
 冷やかす琉生に、朋美はうふふと笑い「やーい、羨ましいかー」とおどけてみせる。
 美涼は目をぱちくりとさせてその光景を見守った。
「仕事、頑張って。あっ、近いうちに連絡するわね」
「分かりましたー。早朝からお疲れ様です、部長っ」
 おどけた琉生が背筋を伸ばし、片手をひたいの横にかざして敬礼をしてみせる。クスクスと笑う朋美は美涼に微笑みかけ、エントランスを颯爽と横切っていった。
 かっこいい……。同性ながら見惚れてしまいそうだ。
 しかし美涼は朋美の姿を追っていた目を無理やり横へ向け、琉生のスーツをグイッと引っ張った。
「ちょ、ちょっとぉっ、あんた、なにやってんのよっ」
「はい?」
「選り取り見取りなんだか単に節操がないだけなのか分かんないけど、これはまずいでしょうっ」
「なにがですかー?」
「よ……よりによって、副社長夫人はまずいわよ。どんだけ年上ばっかターゲットなのよ。馬鹿じゃない?」
「は?」
 首を傾げた琉生だったが、美涼の言いたいことが分かったのだろう。スーツを掴む彼女の手をとり、焦るその顔を見つめて口角を上げた。
「もーっ、美涼さんってば、またやきもち妬いてるんですか? かーわいいなぁ、もうっ」
 瞬間的にカッとした表情を抑えられないまま、美涼は琉生の手を振り払う。怒鳴りつけてやろうとしたのに、言葉が出てこない。
 カッとした原因が、喉を詰まらせるのだ。――怒り、ではなく。……羞恥心が……
「い……いい加減にしなさいよ……。一応……心配してやってんのよ……」
「心配しなくたって、あの人はそんな人じゃ……」
「“あの人”? どれだけ親しいのか知らないけど、副社長夫人を“あの人”とはね。よっぽど仲がよろしいようで。……も、……もういい……。忠告はしたからね。あとはご勝手にっ」
 美涼は一方的に言い捨てて歩き出す。琉生の言い分だって聞いてやるべきだったのだろうが、頬がだんだんと熱くなってきて、顔が赤くなっているかと思うと耐えられなくなった。そんな顔を、琉生に見られるのがイヤだったのだ。
 彼のことだ。美涼がどれだけ怒った顔を見せようと、『もー、またまたぁ』と軽くかわし、真剣になどならないだろう。
 そう思った美涼だったが、琉生は意外にもそこに引っ掛かりをみせた。
「待ってくださいよ。本当に違いますからね。これだけは、美涼さんに勘違いされたくないです」
 少し真面目な口調。美涼には誤解をされたくないという言葉に、不覚にも胸がきゅんとする。
 しかし美涼はそれを振り払うようにさっさと歩き、エレベーターの前で呼び出しボタンを押して振り返った。
「なにを信じろって? イイコトばっかり言って、あんた、口ばっかりじゃないの」
「そんなことないですよ。美涼さんには、俺……」
「ふうん。それなら、昨日、私を送ってから、あんたどこに行ったのよ? どこにも行かないって私に言ったよね?『昨日も来てくれてありがとう』とか、熱心にお礼言われてたじゃない。今朝も迎えに行ったんでしょう?」
 琉生が言葉を出せないまま、わずかに目を見開く。
 その表情を見た瞬間、胸がズキンと痛んだ。
「……口ばっかり……。これだから……、年下の男なんて……」
 わけの分からない怒りが込み上げてきた。
 怒りなのに……なぜか、――悲しい……
「だから……あんたみたいな年下でチャラい男、大っ嫌いなのよ!」
 背後でエレベーターのドアが開く。美涼は素早くそこへ飛び込み、ボタンを押して早々にドアを閉めた。
 十階を指定すると、エレベーターは美涼だけを乗せて上昇を始める。パネルに指を置いたまま、美涼の肩が小刻みに震えだす。
 自分でも分からないうちに……。涙があふれた……


*次回更新2月1日予定






もくじ  3kaku_s_L.png 2017・短編集
もくじ  3kaku_s_L.png 溺愛マリッジ
もくじ  3kaku_s_L.png 恋のエトセトラ
総もくじ  3kaku_s_L.png 迷宮の天使*LS*
総もくじ  3kaku_s_L.png 恋桜~さくら・シリーズ
総もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【第三章・年下はしつこいです!/6】へ  【第四章・年下はやっぱり嫌いです!/2】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【第三章・年下はしつこいです!/6】へ
  • 【第四章・年下はやっぱり嫌いです!/2】へ