恋桜~さくら【改稿版】

第一章・桜の出会い/2

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「お気の毒すぎて、言葉が出ません」
 桃子の声は泣きそうだった。鏡越しに見える彼女は、鼻を一回すすって指先で目頭を押さる。
 桃子は斎音寺家に仕える使用人の娘で、わたしより五つ年上。わたしにとっては一番の相談相手だ。
 いつもはつらつとして元気な彼女が、今夜は目に涙を溜めながら就寝前の髪梳きをしてくれている。腰の下まで伸びたわたしの長い髪を、いつもは気持ちが良いくらいすべらかに梳いてくれるその手が、今夜はたびたび止まってしまっていた。
 原因は、両親から告げられた結婚話を話してしまったせいだ。
 ここは小さな村だから、わたしが村を買い取る企業の社長令息と結婚しなくてはならなくなったなんて話は、あっというまに広まって桃子の耳にも入るだろう。
 わざわざ自分の口から話す必要はなかったが、彼女には複雑な胸の内を知ってほしくて、つい泣きごとのように話してしまった……
「辛いでしょう……。お嬢さん……」
 そう言ってくれる桃子のほうが辛そう。わたしがこんな話をしてしまったせいだ。そう思うと、チクリと胸が痛む。
 後悔をするわたしの顔は、目の前に置かれた三面鏡の前で、だんだんと泣く寸前のように歪んでいった。
 顔の横でサラサラと揺れる髪。そこからのぞく顔は、目を半眼にして不安と不満をたっぷり湛えている。
 十八年間生きていて、こんな顔をした自分を見るのは初めて。なんだか、小学生くらいの女の子が泣きたいのを堪えているような顔だ。
 これが自分だと思うと情けないくらい。
 ……ただ……、よく童顔だとは言われるけど、小学生は言いすぎかもしれない……
 
「その会社の息子さんが二十八歳なら、十歳も違うんですね……。会ったこともない男の人のお家に、一週間後には行かされるなんて……」
 桃子の声も沈んでいる。わたしを可哀想と思うより先に、話の内容に驚きを隠せないようだ。
 本当なら、桃子は短大へ進学する私について、お世話役としてこの村を出るはずだった。ある意味、彼女のこれからの予定も大幅に狂ってしまったのだ。
 明日には父から、直接桃子にその旨の話がされるだろう。幼いころからわたしのそばにいてくれた桃子。わたしがいなくなったら、彼女はこれからどうするのだろう。
「ねぇ……、桃子……」
 わたしは鏡に映る桃子に話しかけた。
「結婚って、好きな男性とするものなのでしょう?」
「……お嬢さん……」
「わたし……、初恋、っていうものも、……まだ、したことがないのよ?」
 口に出したら泣きたくなってきた。
 わたしはほとんど村から出たことがない。周囲にいるのは村の大人たちや子どもたち。年頃の男の子だってもちろんいるけれど、その子たちになにかを感じたことはない。高校だって規律の厳しい女子高で、歳が同じくらいの男の子と接する機会なんてなかった。

 “恋”なんてもの……。本や見聞きした経験でしか知らない。
 けれど、とても素敵なものなのだろうな、っていうことだけは分かる。
 胸がドキドキして、体温が上がって、その人のことを考えるだけで泣きたいくらい切なくなる。
 会いたくて会いたくて、声が聞きたくて堪らなくて、手が触れただけで眩暈がしそうなほどの幸せを感じるもの。
 そんな“恋”が書かれた本を読むたびに、それに憧れた。
 わたしにもそんな経験ができるだろうか。ずっと、そんなことを夢見ていた。
 初恋って、どんなものだろう。
 きっといつか、わたしにも、そんな胸の高鳴りをくれる男の人が現れてくれる、って。

 ――でも、そんな夢も叶わぬまま、わたしはお嫁にいかなくてはならない……

「明日、そのご子息がわたしに会いに来るらしいのだけど……。わたし、会いたくない」
 桃子の手が止まる。会いたくないと言われても、彼女は困ってしまうだろう。これは単なるわたしの我儘でしかないのだから。
「……逃げちゃおうかしら」
 それは、なにも考えずにポツリと出た言葉だった。
「その人が来る、っていう明日だけ、いなくなっちゃおうかな……」
「いなくなるって……、そんな、お嬢さん」
 不思議なもので、口に出すと段々とその気になってくる。それとともに“いなくなっちゃう案”が胸の中で大きく膨らみ始めた。
「その人が来るっていう時間帯だけ家出して、そうね……、夜には、帰ってくるわ」
「いっ、家出って……、お嬢さんっ」
 家出という言いかたがまずかったようだ。桃子はその言葉にとんでもなく慌てていた。けれどすぐにわたしの気持ちを分かってくれたらしく、鏡の中で確認するように真剣な顔をする。
「本当に……夜には帰ってきてくださいね」
「ええ」
 我ながら良い考え。クスッと小さな笑いが漏れた。
「わたしが帰ってこなかったら、お父様もお母様も、村の人たちも困るでしょう? こんな大切なことを事後承諾で勝手に決めてしまったお父様とお母様を、ちょっとだけ困らせてやりたいだけよ」
 こんな反抗的な考えを持つのは初めてかもしれない。

 数時間家を出て、夜には帰ってくる。
 明日そのご子息に会わなくたって結婚話は進むのだろうから、こんなのは無駄な抵抗だろう。
 でも、その無駄な抵抗を、わたしはしたかった。
 それは、ほんの小さな反抗心。
 ただ、それだけ。
 


 永遠に続いているのではないかと思わせる、桜トンネル。
 右も左も、前も後ろも、三六〇度、一面の薄桃色。
 この桜の群生から成る並木道は、村の名物だ。
「綺麗……」
 桜の中で、わたしは溜息をつく。
 毎年見ていても、この光景に飽きることはない。
 村を覆い尽くす、見事な桜。
 その群生の中、ほぼ中央の位置でその存在感を示し、ひときわ大きく誇らしげに咲く桜がある。
 この村の桜の中で一番古いと言われている樹。“御神木”とも呼ばれている樹だ。その桜の上、太い枝の根元に、わたしは腰かけていた。
 村には子どもが少ない。そのせいか、わたしも村の子どもたちと外で遊ぶことが多い。こうみえても木登りは意外に得意。ときに着物の裾をまくって樹に登ってしまうわたしの姿は、子ども同士の秘密だ。
  
 屋敷にいるときはほとんどを着物ですごしている。プチ家出を目論んだ今日、さすがに着物で家を出るわけにはいかず、桃子に白いシャツとジーンズを借りた。
 自分の洋服にしなかったのは、ラフな普段着というものを持っていなかったから。かしこまったワンピースで家出、というのも、ちょっと違う気がする。
 一五〇センチで小さめな私に反して、桃子は一六五センチあり少々体格もいい。彼女の服では当たり前だけどサイズが大きいので、袖と裾を何回もまくっている。
 借り物であることが一目瞭然。我ながら、あまりの似合わなさに苦笑いが漏れた。
 いつもは下げている長い髪を後ろでひとつにくくり、どことなく村の子どもっぽい雰囲気を作れたような気がする。けれど、恰好を変えただけで村の中を歩いていたって、一目でわたしだとバレてしまうだろう。
「夜までここにいるしかないわよね……」
 夜まで桜の樹の上ですごす。人が聞いたなら辛いと感じるのかもしれないけれど、わたしにとってはさほど苦にならない。
 わたしは、この景色が大好きだ。
 視界一面の薄桃色。その壮大さと優美さに何度も感歎する。見惚れるというのは、こういうことをいうのではないだろうか。
 この景色の中で、辛さを感じることなどあるものか。
 
 うっとりとした気持ちを抱えながらも、私はふと小さな不安が湧き上がってくるのを感じていた。
 結婚相手のお家に連れて行かれたら、もうこの桜たちも見られなくなってしまう。
 そう思うと涙が浮かびそうになった。生まれ育ったこの桜花村を離れるのが辛い。
 見たことも話したこともない御曹司の所へなんか、本当は行きたくない。

 ザワザワ……っと、桜たちがざわめく。
 そのざわめきが、まるでわたしを慰めてくれているかのように感じて、自然と口元がほころんだ。

 そのとき、桜のざわめきの中に車のエンジン音らしきものが混じった。
 なんだろうと不思議に思い、目の前の枝をよけて桜並木に視線を落とす。すると、道の向こうから一台のタクシーが走ってくるのが見えた。
 観光客だろうか。最近では珍しい……
 タクシーはてっきり通り過ぎて行くだろうと思っていた。しかしわたしが腰かける御神木の前で停まり、後部座席からスーツ姿の男性が降り立ったのだ。

 ――誰……?

 背の高い、見るからに品の良いスーツを着こなした若い男性。歳は、二十代半ばくらいだろうか。
 走り去るタクシーを目で追うこともなく、男性は桜の木々を仰いだ。
 仰ぎ見たその表情を瞳に入れて、わたしは息を詰める。

 綺麗な人……

 男性に“綺麗”という言葉を当てはめて良いのかは分からない。
 けれどわたしは、その人から目が離せなかった。

 遠目からでも分かる。引き込まれてしまいそうな、力強く透き通った瞳。
 立ち姿から漂う品格。
 実物としては初めて目にする、大人の紳士。

 周囲の桜を見回していた男性は、目の前に垂れ下がっていた御神木の細枝が気になったのか、それに手を伸ばした。
 そんなつもりではなかったのかもしれないけれど、観光客は桜が綺麗だと思ったらその枝を折ってしまうことが多い。この人も折ろうとしているのではないか。
 そう思ってしまったわたしは、自分でも意識をしないうちに声を出していた。
「折っちゃ駄目!」
 その声に驚いた男性は、左右を見回したあとに桜を仰ぐ。私は枝を掻き分け、男性の前に姿を現した。
「この桜は、村の御神木なの! 折ったら、バチが当たる!」
 男性は、いきなり現れたわたしの姿を見て瞠目した。
 それはそうだろう。こんな所から人が出てくるなんて、絶対に思わないだろうから。
 わたしは、ただ無我夢中だった。枝を折られたくない、その思いだけしかなかった。

 でも……
 桜を見上げた男性と目が合った瞬間……
 わたしは、動けなくなった。

 かきわけた枝。
 揺れる、薄桃色の桜。
 舞う、花びら……

 その花びらたちがスローモーションで視界を舞い、わたしの心の中になにかの影を落とす。
 桜の花びらが、……夢のように、わたしの目の前で舞っている。

 胸に湧き上がるこの感情がなんなのか分からないまま、私は男性を見詰めていた。



【続きます】




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