恋桜~さくら【改稿版】

第四章・一夜の恋/2

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「まだお仕事をしているのに、すみません。お先に休ませていただきます」
 わたしが控えめにそう言うと、葉山さんは笑顔で「ああ、おやすみ」と言ってくれた。
 時刻は二十二時を過ぎている。彼はまだ仕事中だ。
 部屋を飛び出したわたしを捜しにきたり、色々と話をしてくれたり。……髪を乾かしてくれたり……
 話をしているのが楽しいとは言ってくれたけど、わたしにつきあっていたせいで仕事が大幅に遅れてしまったのではないかと思う。
 ちょっと申し訳なさがあるせいで、先に寝てしまうことに引け目を感じる。

 だからといって、一緒に起きていてわたしになにかできるわけでもない。
 結局は、さっさと寝床に入って彼の邪魔にならないのが一番だ。

 わたしがベッドに入ったのを見て、葉山さんが室内の照明を落としてくれた。
 真っ暗ではないけれど、就寝の妨げになる明るさではない。ベッドの中からこっそり視線を流すと、デスクのライトがとても明るく感じた。
 
 邪魔になってはいけないから……とはいうものの、なかなか眠れない。
 今日のことやこれからのことを考えると、頭は冴えていく一方。

 どのくらいそうやって考え事をしていただろう。
 デスクのライトが消えた気配にハッとする。続いて椅子が床を擦る音。そして、ソファが軋む音……
 おそらく、葉山さんが仕事を終えてソファで横になったのではないか。

 毛布から顔を上げ、ベッドの横に置かれている時計を見る。時刻は夜中の十二時をとっくに過ぎていた。
 考え事のせいで、随分と時間がたっていたようだ。それでも、気持ちが落ち着かなくて眠れそうな気はしない。
 わたしは薄闇の中、もそもそと起き上った。葉山さんが横になっているだろうソファのほうに目を向ける。最初はぼんやりだったけれど、しばらくすると薄闇に目が慣れてきた。
 彼はソファの上に身体を横たえ、両腕を頭の下で組んで目を閉じている。こちらを見る気配はない。
 わたしはベッドから下り、足音を忍ばせてソファに近寄った。

 葉山さんの横に立って、そのかたわらにしゃがむ。
「……きれい……」
 瞳いっぱいに映った彼の顔を見つめ、わたしは無意識のうちに呟いた。

 本当に、とても綺麗な顔をした人。
 だからといって女々しいという意味じゃない。凛々しくて、まるで御伽噺に出てくる王子様みたい。
 ――わたしが眠れなかったのは、この王子様のせいだ。
 葉山さんのことを考えて、考えれば考えるほど、眠れなくなった。

 切なくて胸が締めつけられる。
 必要以上に考えなければよいのだろうけど、考えずにはいられない。
 考えれば考えるほどドキドキして、顔だけじゃなく身体まで熱くなってくる……

 わたし、どうしちゃったんだろう……

 彼の寝顔を見ているだけなのに、なぜか恥ずかしい気持ちになった。それなのにどこか嬉しくて……鼓動は大きくなる一方。
 こんな自分が分からなくて、わたしは視線を下げる。
 すると、とても優しい声が静寂を破った。
「……サキ?」
 視線を戻すと、葉山さんが薄目を開けてわたしを見ている。どうやら起こしてしまったらしい。
「眠れないのか? どうした?」
「あの……」
 やっと仕事を終えて休んでいたというのに。遅くまで仕事をしなくてはならなくなったのはわたしのせいなのに。そのうえ起こしてしまうなんて。
 謝ろうとしたとき、葉山さんが起き上り、ソファに座り直しながらわたしの腕を引いた。

 引かれるままに、彼の横へ腰を下ろす。
「やっぱり、こんな慣れない所では眠れないのか? 家が恋しくて不安か?」
 葉山さんは、とても心配そうにわたしを見つめていた。
「それとも、やはり……、家を出されてしまうことを考えてしまうのか? そうだな……、おまえにとっては大変な出来事だ。親兄弟のためだと思っても、割り切れないものもあるだろう」

 その目はとても優しくて、同情に満ちている。
 わたしは、そんな葉山さんを見ていると泣きたくなってきた。
 優しくされているのに、泣きたい、っていうのはおかしい。けれど今のわたしは、葉山さんに優しくされればされるほど泣きたい気持ちでいっぱいだ。
 わたしの頬にかかった髪を、葉山さんの手がうしろへ流し、そのまま頭を撫でる。
 どうやらわたしの瞳に涙が溜まってきたことに気づいたらしい。とても穏やかな声で慰めてくれた。
「……泣くな。サキ……」

 ――サキ、を……

 そう。この優しさは、“サキ”にくれているものだ。

「サキは優しい子だと思う。親兄弟や村のために、ひとりで見知らぬ場所へ行く決心をしたのだから」

 葉山さんは、サキを褒める。
 十八歳で、村のために見知らぬ場所へ行くのはサキじゃない。“さくら”だ。
 けれど、葉山さんの口から出るのは、サキの名前。

 わたしは、葉山さんを騙している……
 
 心の中に、またもや理解不能な感情が湧き上がり始める。
 それは、切なくて胸が苦しくなるほうの感情ではなかった。女性秘書の話を聞いたときのような、焦りにも似た、なんというか、悔しい気持ち。
 ……誰に?
 わたしは、誰に対して悔しがっているの?

「サキ……?」
 葉山さんが、その名を呼ぶ。
 するとわたしは、……苦しくて哀しくなる。

 ああ、そうか。

 わたしはサキに、嫉妬をしているんだ。
 彼に優しくしてもらえる、“サキ”に。

 ――わたしは、“さくら”は……

 きっと、葉山さんのことを……

「どうしてですか……?」
 わたしは、自分で気づき始めた気持ちが心の中で固定される前に、葉山さんに問いかける。
「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか……」
 涙が一筋、頬を伝った。
「わたしは、葉山さんに、無理なお願いをしたのに……」

 お金で村とわたしを買う“葉山一”という人が、どんな人なのかが知りたかった。
 そんな簡単な気持ちだった。
 綺麗だけど無愛想な人。この人を、そう少し、もう少しだけでいいから知ることができればいい。
 そんな……、自分勝手な気持ちだった。

 でもわたしは、その葉山一さんを、……知りすぎてしまった。

 感情表現が下手でも、言葉が足りなくても。
 胸の内に優しい気持ちを隠していて、とても真面目で真剣で……
 どんなに、素敵な人なのか、知ってしまった……

「おまえに泣かれると辛いんだって、言っただろう……?」
 葉山さんの両手がわたしの頬を包み、そこに流れる涙の小川を拭う。
「泣いてほしくないのに、俺は、サキを泣かせてばかりいる。……どうしたら良いのか考えていたら、仕事なんて手につかない。サキに構いたくて堪らなくて、……仕事なんて、できなかった……」
「……葉山、さん……?」
 頬にあった両手がわたしの身体に回り、彼の腕に包まれる。
 両腕でしっかりと、わたしはその胸の中に閉じ込められてしまったのだ。

「二十八にもなった男が、おまえみたいな子どもになにを言っているかと思うだろう……。なによりも大事だと思っていた仕事が手につかないほど、誰かが気になったのは……初めてだ」

 力強く熱っぽいその声は、わたしの鼓動と体温を上げていく。
 これは、どういうこと……?
 これは、葉山さんが、わたしを……

「あの桜の中からサキが飛び出してきたとき、まるで桜の樹に魂を取られたかのように、一瞬心の中が空っぽになった。……その空っぽになった場所におまえが入りこんで、……ずっと、消えない……」

 わたしを、気にかけてくれていると、……思ってもいいの?

「おまえを褒めたくても、優しくしたくても、それができなくて、歯痒くて堪らなかった。……けれど、おまえが俺の前で泣いたとき、おまえを大切にしたいと思ったんだ。……泣かせたくない、と……」

 出会った瞬間に感じた、言葉にできない不思議な感情を、葉山さんも感じてくれていたと、思ってもいいの?

「こんな感情に襲われるのは初めてだ。俺は……おまえを……」

 ――わたしを、好きになってくれたと、思ってもいいの?

 その気持ちは、とてもとても嬉しいはずなのに、わたしは逆に悲しくなった。
 分かってる。

 彼が好きになってくれたのは――“サキ”だ。

 “さくら”じゃない。



【続きます】






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