恋桜~さくら【改稿版】

第四章・一夜の恋/4

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 どんなに願っても、どんなに泣いても、時間は過ぎるし朝はくる。 
 この朝ほど、痛いくらいにそれを思い知ったことはない。
 ルームサービスの朝食に手をつける気持ちにもなれないまま、わたしたちはチェックアウトのギリギリまでソファで身を寄せ合っていた。
 なにをするわけでもない。葉山さんは、ときどきわたしの髪を撫で、ひたいに唇を付ける。
 わたしは葉山さんの胸に寄りかかって、彼の温かさを感じ続けた。

 特に話をすることもなかった。それでも、さすがにそろそろ着替えて用意をしなければいけないだろうかというときになって、葉山さんはポツリと言葉を出したのだ。
「……ずっと、考えていた……」
「なんですか……?」
 ずっと、とは、一晩中という意味だろうか。葉山さんが眠っていないのは知っている。わたしも、彼を感じていられなくなるのがイヤで眠れなかった。
「俺が、おまえの家の借金を、肩代わりしてやろうかと……」
「……葉山さん?」
 わたしは驚いて葉山さんを見上げ、そして彼のシャツを握った。
「そうすればおまえは、俺の所へこられる」

 無言で葉山さんを見つめる。しばらく見つめ合っていると、彼の口角が切なげに上がり、そして、わたしの頭を撫でた。
「……分かっている。そんなことをしたら『さくらお嬢さんは、どうなるの?』と言いたいんだろう?」
 葉山さんは、本気ではないと言いたげな口調で続ける。それでも最初の口調はとても真剣で、本気で考えていたのだという気持ちが痛いほど伝わってきた。
「そうだな……。すでに妻になる娘が決まっている俺が、考えるべきことじゃない。――逆に、おまえを、苦しめてしまう」
 サキが葉山さんのそばにいられることになったとしても、その立場は微妙なものだろう。
 その微妙な立場のせいで、サキが辛い思いをしないように。葉山さんは、自分の希望を捨てたのだ。

「サキ……」
 一晩中身体を寄せ合ったソファの上でわたしを抱きしめ、葉山さんは切実な想いを口にした。

「おまえが……、村を出た先で幸せになれるように……、祈っている」

 わたしはただ、彼にしがみついて涙を堪えるしかできない。

 もうすぐ、この夢は終わる。
 もう少しこのままでいたい。もう少しこの時間を共有していたい。そう願うのは、無理なこと。

 現実に戻らなくてはならない。
 “サキ”は“さくら”に、戻らなくてはならない。

 わたしが、さくらだったと知ったとき、葉山さんは、許してくれるだろうか……

「そろそろ、着替えるか……」
 帰り支度を告げる葉山さんの声が、どこか辛そうに夢の終わりを告げる。
「……はい……」
 そしてわたしの声も、嗚咽を堪え、震えた。

 心の中の桜は……
 涙を含み、しっとりと、舞い落ちる――――



「御神木、だったな」
 葉山さんが桜の樹を見上げた。
 どこまでも続く、桜トンネル。その中でも一番大きな桜の樹。
 この桜並木の主とも言われる、御神木。葉山さんと出会った場所。

 ホテルからタクシーに乗り、ここまで戻ってきた。
 葉山さんと出会った、この桜の樹のもとに。
 わたしは彼の横に立ち、そして数歩前へ出て御神木を見上げた。
 葉山家へ行ったなら、今度はいつ見られるか分からないけれど、これは、わたしが大好きな桜の樹だ。
 大好きな桜は、わたしと葉山さんを出会わせてくれた。
 とてもとても、大切な思い出をくれた。“恋”を知るきっかけをくれた、桜。

「……ありがとう。葉山さん」
 わたしはそう言って、笑顔を作る。泣きそうだったけれど、心では泣いていたけれど。それでも懸命に笑って、葉山さんを振り返った。
「とても良くしてくれて、ありがとう……。わたし、村を出てもきっと頑張れる。……葉山さんに、素敵な思い出をもらったから……」
 葉山さんはなにも言わなかった。無表情で、わたしを見つめている。
 ただそのポーカーフェイスは、出会ったばかりのときのような冷たいだけのものではなく、とても優しい表情だった。

「本当に、ありがとう」
 お礼のつもりで頭を下げる。次に葉山さんの顔を見たら、泣いてしまいそう。
 そう思うと、わたしは顔を上げられない。
 すると、両腕が強く掴まれる。涙をこらえて顔を上げると、そこには真剣な表情をした彼がいた。
「サキ……」
 その周りには、一面の桜。
 怖いほどに咲き誇る、夢のような薄桃色。

 それは、わたしが大好きな風景のはずなのに、今は、葉山さんしか目に入らない。
 葉山さんしか、映らない。

「ひとつだけ、答えてくれ」
 あまりにも真剣に問いかけるので、わたしは首を傾げる。
 葉山さんは、まるで最後の望みを託すかのようにわたしを見つめた。
「おまえは、本当に、ただの村の娘なのか……?」
「え……?」
「所作も雰囲気も、おまえには村娘とは思えないものがある。――おまえ、もしかしたら……」

 わたしは言葉が出なかった。

 わたしがどんなに村娘を演じようとしたって、完璧になどできない。
 あれだけ鋭い人だ。所々で、なにかしらの違和感を覚えていたのかもしれない。
 それでも、わたしはなにも答えないまま葉山さんを見つめた。

 もしも今、『わたしは、さくらです!』って叫んだら、葉山さんはどうするだろう。
 そんなことを考えてしまう自分が、なんだか哀れだ。
 葉山さんはわたしから手を離し、悲し気に自嘲する。
「……すまない……。俺はまだ、……夢を見たいらしい」
 ……夢?
 それなら、わたしだって見たい。
 葉山さんと見つめ合って、この桜の中で、夢を見たい。

 でも、この夢は終わりなの。
 終わらせなくてはならないの。
 現実に戻って、わたしは葉山さんと向かい合わなくてはならない。

 わたしがさくらだと知ったとき。
 わたしが葉山さんを騙していたのだと知ったとき。
 葉山さん、……あなたは、許してくれますか……?

「葉山さん……、好き……」 

 彼がかすかに眉を寄せる。しかしすぐにふっと微笑み、そして、ふわりとわたしを抱きしめた。
「……おまえは、ずるいな……。俺には、言わせないくせに」
「当たり前です。葉山さんは、言っても良い人じゃない……」
 わたしはそう言いながら、葉山さんの身体を両手で押し、彼から離れる。
「さくらお嬢さん以外に、そんな言葉、言っちゃ駄目ですよ?」
 わたしはそのまま踵を返し、桜並木を走り出した。

「サキ!」
 背後から、葉山さんの声が追う。
 立ち止まりそうになる足を懸命に進めて、わたしは桜の群生に紛れた。
 葉山さんはサキを引き止めようと声をかけたのだろうけど、呼んだだけで追ってはこない。彼は大人だ。自分の立場をよく分かっていて、そしてなによりサキの幸せを考えてくれた。

「……葉山さん……、はやまさん……」
 わたしは彼の名前を呟き、泣きながら桜の中を走り続けた。
 こんなに走るのは初めてではないだろうか。そう考えると足が止まらなくなりそう。その恐怖感から、わたしは思わず目の前にあった桜の樹に抱きつく。
「……葉山、さ……」
 走ることをやめた足は、力を失いそのまま崩れる。その場に座り込み、地面に手をついて、わたしはぽろぽろと涙を流した。

 心を覆う、この大きな悲しみと後悔はなんなのだろう。
 わたしは、とても素敵な恋をしたはずなのに。

 葉山さんを騙し続けたことへの罪悪感。
 そして、葉山さんが“サキ”を好きになってしまったという悲しみ。
 行き場のない、“さくら”の想い。
 それらがすべて入り混じって、わたしの心は悲鳴をあげる。

 ごめんなさい。
 ごめんなさい、葉山さん。
 あなたを騙して、ごめんなさい。

 嘘の自分を装い、葉山さんを騙し続けた。彼が真実を知ったとき、嫌われてしまうかもしれない。
 その考えは、わたしの思考を支配し、いつまでも悲しみと哀れみの涙を流させ続ける。

「……葉山さん……。大好き……」
 天を仰ぐ。そこには薄桃色の空。舞い落ちるのは桜の雨。
 はらはら、はらはら、と……
 止まることなく、わたしへと舞い落ちてくる。

 雨のように、この、流れ続ける涙のように。

 わたしに見せた、恋の夢のように。

 

【続きます】






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