恋桜~さくら【改稿版】

第五章・永遠の恋桜/1

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「とうとう、今日ですね」
 寂しそうな声とともに、櫛の動きが止まった。三面鏡に映る桃子が、手の甲で目をごしごしと拭ったのが見える。
 いつもの日課。朝の髪梳きの時間。
 桃子に髪を梳いてもらえるのも、これが最後だ。

 ――今日は、葉山さんが“さくら”を迎えに来る日なのだから。

 細かい荷物は、すべて葉山家へ送った。箪笥や鏡台などの大きな物は、お嫁入り道具として葉山家側で揃えてくれたらしい。それこそ葉山さんが言っていたように、彼の母親と妹さんが選んでくれたそうだ。
 それなので、わたしの部屋の中はほとんどそのまま。
 ただ、大きな物は残っているが、細かい物や衣類などはなくなっている。それだけで、随分とガランっとした印象を受けた。

「そうね……」
 わたしがぽそりと呟くと、桃子はしゃくり上げながらも髪梳きを続けてくれた。
「お嬢さんっ……、向こうのお邸に行っても、ちゃんと、お食事とか、とってくださいね……。この一週間、あまり食べていないから、なんだか痩せましたよ……」
「ええ、大丈夫」
 わたしは苦笑いをして、鏡の中の自分を見つめる。
 確かに、少し痩せただろうか。

 “サキ”として葉山さんと一日をすごし、桜トンネルで別れてから、一週間。

 わたしは考え事ばかりして、桃子が言うとおり食事もまともにとれてはいない。
 葉山さんに買ってもらったワンピースを見つめながら、毎日彼のことを考え、涙を流してばかり。
 日一日と、彼を騙してしまったことに対しての罪悪感が強くなる。
 好きだという気持ちが大きくなるのと同時に、彼を騙していた事実も痛いくらい胸に刺さる……

 村を救うために、見知らぬ男性との結婚を強いられた地主の娘。
 そんなわたしが起こした家出騒動を、責める人は誰ひとりとしていなかった。
 父も、母も、村の人たちも。誰も……

「泣かないで。桃子」
 わたしはしゃくり上げる桃子を鏡越しに見ながら、精いっぱいの笑顔を作った。
「あまり桃子に泣かれたら、わたし、桃子の恋人に怒られてしまうでしょう? 泣かせるな、って」
「お嬢さん?」
 わたしが急に桃子の恋人を引き合いに出したせいか、彼女は驚いて目をぱちくりさせた。
「……好きな人が、泣くのは辛いもの……」

 ――――サキ!

 悲しそうな声と表情。
 桜の下で別れた葉山さんが、心の中によみがえる。
 葉山さんは、泣いたのだろうか。
 わたしが桜の下でたくさん泣いたように。
 葉山さんも、サキとの別れを悲しんで、泣いてくれたのだろうか。

「桃子……、わたし……」
 葉山さんを思うと、涙が浮かぶ。泣きそうなわたしの肩に手を置き、桃子が顔を覗きこんだ。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」

 心の中で桜が舞う。
 その桜の中で、葉山さんが笑う。

「大丈夫よ……」
 わたしは静かに答えて、鏡の中で微笑んだ。
「だって、これから、好きな人に会えるのですもの……」

 大好きな葉山さん。
 わたしの中の、サキを好きになってくれた葉山さん。

 わたしが騙した、大好きな人。

「大丈夫よ……」

 もうすぐ、彼に会える……



 村を買う会社の人間が、地主の娘を迎えに来る。
 その事実は、村のみんなが知っている。そんなところに葉山さんが来たら、使用人や村の人たちが覗きに来て騒がしくなるだろう。
 子どもたちが騒いで失礼になってはいけない。そう考えた父は、桜並木で待っていると伝えたらしい。
 それも、大きくて分かりやすいからということで、例の御神木の前を指定したようだ。
 わたしはこれから、両親とともに御神木の前まで出向き、迎えに来た彼と葉山家へ行くのだ。

「さくら? 着物はどうした?」
 玄関へ出てきたわたしの姿を見て、父は驚きの声をあげた。
「のちほど送ってください。今日は、これで参ります」
 そう言いながら、わたしは毅然と両親の前へ進み出る。――葉山さんに買ってもらった、ピンクのワンピース姿で。

 この日のために、父はとても綺麗な振袖を誂えてくれた。それを着て、葉山家へと行けるように。
 けれどわたしは、それではなく、このワンピースが着たかったのだ。
「大丈夫です。これで……」
 淡いピンクのワンピース。襟元にレースのリボン。腰には共布のリボン。ふわりと裾が広がる、とてもかわいらしいワンピース。それに合わせた、柔らかく履きやすい白のストラップシューズ。
 葉山さんが綺麗だと褒めてくれた髪は、そのまま下ろして桜の風に流れを任せる……
 これらはすべて、葉山さんがわたしに似合うだろうと選んでくれたもの。そして、似合うと褒めてくれたもの。

 葉山さんにもらった思い出を纏って、わたしは葉山さんに会おうと決めた。

 “さくら”として……

 葉山さんは、きっと驚くだろう。騙されていたことを怒って、そのまま帰ってしまうかもしれない。
 けれど、わたしが葉山さんを好きな気持ちは変わらない。
 この一週間、騙していた罪悪感に苛まれながらも、ずっとずっと会いたかった気持ちも嘘じゃない。
 責められたら、心から謝ろう。
 たとえ、許してもらえなくても……

「葉山様の元へ、参ります」

 わたしはそう言って、両親の前で頭を下げる。
 母はすでに着物の袖で目元を押さえていたけれど、気丈な父までその厳しい瞳を潤ませていたような気がして、わたしは長めに頭を下げていた。
 下げているあいだに、涙を拭ってもらえるように。

 下を向いているわたしの目に、庭に咲く桜の花びらが、かすかな風に乗ってふわふわと足元をくすぐっているのが見えた。

 十八年間をすごした桜花村。
 そこを出て行くわたしを見送り、泣いてくれているように感じたのは、気のせいだろうか。



 桜トンネルは、今日も一面の薄桃色。
 ずっと上を向いていたら、気が狂ってしまうのではないかと感じさせるほどの桜たち。
 そんな桜トンネルのほぼ中央にある御神木。その樹の前に、わたしは両親とともに立っていた。わたしを挟んで、右にお父様、左にお母様がいる。
「そろそろいらっしゃる頃だ。……この場所が分かると良いが……」
 心配そうな父の呟きを耳に、わたしはかすかに笑みを浮かべた。

 大丈夫。
 葉山さんはこの場所を覚えている。ここは、サキと偽ったわたしと彼が出会い、そして別れた場所。
 絶対に忘れるはずはない。

「いらっしゃったのではないかしら?」
 少し前へ出て道を覗きこんでいた母が、そう言いながらわたしの横へ戻ってくる。わたしが立つ場所からは、まだ車らしきものは見えない。けれど、耳を澄ますと車のエンジン音のようなものが聞こえてきて、わたしの鼓動が大きくなり始めた。

 葉山さんに会える。
 やっと会える。

 “さくら”として。



【続きます】





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